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自然法爾ということ

 

久しぶりに心理療法やNLPをしている門下の教会主管者としゃべった。

そこで話題になったのは「あるがまま」ということ。

あるがままが良いという意見をよく聞く。自然に介入せずにあるがまま。

仏教的に言えば自然法爾ということになろうか。

それが主流になりつつあるらしい。

でも私に言わせればその「あるがまま」が阻害されているのでいろいろ起きるのだ。

だから「そのまま」と「あるがまま」は違う。

そのままでいいなら相談も祈願もいらない。セッションすらいらないだろう。放っておくのが良いということになろう。

だがそれでは話にもならない。

これは天台本覚論の一派が犯した過ちと同じだ。

あるべき天台の本覚思想とは本覚と知ることによって初発心の修行を勧めることであり、もう悟っているのだから何もいらぬという修行の放棄ではない。

この考えは福音のようで実は地獄行きの直行便だ。

「あるがまま」であるそのためには「そのまま」では駄目なのだと言うことも知らないといけない。

大事なことは作為的であるより何が邪魔しているのかを見抜いて取り除くということだ。

それで初めてあるがままの「自然法爾」に戻る。




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