今日ふとしたことで都内の大きな聖天様のお寺の信者さんと出会いました。
わたしのブログを読んでくださっているらしい。

その話の中で「大きい悩みがあるのですが、一度祈願したことを再三しつこく聖天さまに頼むのはご無礼だと思うので、どうしたらいいかわからず・・・」ほかに方法もないので祈願は一度きりであとは日参する毎日だという。
日参すると言っても近い距離ではない。大変です!
「そう何度も同じこと頼むのはしつこくてお嫌いになる。」
とそう思うんですね。
でもそれは明確な勘違い。
「あなたは聖天様という方を勘違いしてますね。そんな信仰は水臭くてダメだ」と言っておいた。
聖天様のお寺はどこも大概「月参り」が盛んです。
多くの方が月々祈願を頼む。
でもそれはしつこいのではない!諦めが悪いのでもない!
月々供養して聖天様とより深く信仰でつながるためにするのです。
だから月々祈願しても「コイツ、また、きやがって、毎度毎度しつこいんだよ!いいかげんにしろよな!」とは絶対おっしゃらない。
「おうおう、今月も供養してくれるのか…うれしいぞよ。」と目を細めてお喜びになる。
祈願を無理やり借金頼むみたいに思ってる。これ駄目です!
それとこの方頼み方も大きくがまちがっていましたね。
「すべてお任せ「」といかいってましたが…お任せは「丸なげ」することじゃない。
自分の希望をハッキリだして、せいいっぱい努力精進して、結果をゆだねる。
この人のやり方じゃまるで駅のみどりの窓口に行って「切符を欲しいのだけど・・・」といいながら、「どちらをご希望ですか」と聞かれても「どこかにいきたいうとかはないの」みたいなもの。
それはお任せじゃなく無責任。横着というものです。
事こまかにいわなくてもいい。
でも「聖天さまの良いようにしてください。」は駄目!
だってそれ自分のことでしょ。聖天さまはそんなこと知りませんよ。
それをいうなら「聖天様のお導きで、私が一番良いようにしてください」というべきです。
聖天様の良いようにじゃない!大事なのは私の良いようにです。
そうじゃないと
「・・・お前は一体何を頼みたいのだ?
わしにお任せするっていうけど一体何をどう任せたいのだ?
なにも言わないのではわしゃ知らんぞ。そんなもん。」
とお困りになってしまいます。
信仰する聖天様へはしっかりバッチリお願いしなさいといっておきました。
それが祈願する以上の責任です。
グズグズ想いを抱くだけで明確に何も言わず日参する。
そんな陰気くさいことの方が聖天様は大嫌いだと思うけど。