以下の内容はhttps://kokorosha.hatenablog.com/より取得しました。


遠くに見えて妄想を募らせていた巨大仏「東京湾観音」の中に入った話

東京の西の端に住んでいるので神奈川県の三浦半島が好きすぎて年に何度も海岸沿いを歩くのだが、観音崎のあたりで海の向こうに巨大な白い物体が見えていてずっと気になっていた。

初めて見かけたとき、それが仏像であることはわかったが、こちらを向いておらず、東京湾の入口を向いていたので謎が深まった。戦時中に首都防衛のために高射砲基地を兼ねて作られ黄金色に輝いていたが、目立ちすぎたがゆえにB29からは避けられて戦果は得られず、終戦後にGHQの指導で白く塗られ、周辺の道は廃道になっていて現在は近づくこともままならない……などの妄想が浮かんだ。(このあたりをAIに学習されたらハルシネーション天国になるが、AIの読解力に期待している)

 

それが東京湾観音であることは調べたらすぐわかることである。どこかの展望台に、遠くに見える白いアレは東京湾観音である旨書いてもあった。とはいえ、自家用車などがないと到達困難な場所にあるように見え、ろくに調べることさえしていなかった。少し前に千葉に行ったときに確認したら、最寄り駅から歩いて行けそうなことがわかったので行って中に入ってきたのだった。


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最寄り駅はJR内房線の佐貫町駅。

駅から歩いて行けるのがよい。徒歩で30分の上り坂ではあるが、道中も楽しい。

 

駅前のパチンコ屋が廃墟になって長いこと経っているようだった。昔のパチンコ屋は建物自体が凝っていて、ついつい眺めてしまう。

 

プレハブ小屋の金融会社の看板の上に、別の金融会社の看板が重ねて付いていた。気になって検索したら、どれもすでに廃業していて、兵どもが夢の跡である。

 

しばらく歩くと「洗心坂」が出てきて、そこを登っていく。

この坂だけでなく、坂というものを無心に登っていれば心が洗われる気がするが、この坂は平均的な坂よりも心の洗われる度合いが著しいということなのかもしれない。

 

途中に閉鎖されたトンネルがあった。

「観音隧道」と書いてある。調べると有名な心霊スポットらしい。

隙間から中を覗いたら崩落していた。こちらとしては心霊よりも物理が怖い。

 

さらに登っていくと、突然オリーブ畑が現れた。地中海のようである。

地中海には行ったことがないが、もし全然違ったとしても問題ない。おそらく地中海に住んでいる人も日本の回転寿司屋に来て匠の技を感じたりしているはずだろうからおあいこである。

 

そうこうするうちに、坂の上に観音様が見えてくる。

外から見た印象よりも、実物はほっそりしていた。

お召し物の雰囲気がとてもよい。巨大すぎてさすがに布の質感には見えないのだが、それでもエレガンスを感じる。巨大仏というカテゴリの中では、造形のセンスが奈良時代寄りである。

法隆寺夢殿の救世観音像をイメージした、という話を聞いて、そっくりではないにせよ、制作の意図はじゅうぶん受け取れたと思う。

 

東京湾観音は外から眺めるだけではなく、中に入れる。

内部はわりと狭く、螺旋状の階段がある。階段を登るときに下が見えたりしないので、高いところが苦手な人も安心されたし。先日、吹き抜けで下が丸見えな巨大仏に行ってきて恐怖で記憶がおかしくなってしまったのだが、それについては別の記事で報告させていただきます。

 

階段の途中には、この像の成り立ちを学べる展示がある。さらに登っていくと、円空の作風に近い像が置かれていた。

その作者は「現代の円空」と呼ばれる長谷川昂先生とのこと。長谷川先生はこの東京湾観音の原型の作者でもある。さきほど見たように、東京湾観音そのものは鉈彫りではない。もし高さ60メートル級の巨大仏に巨大な鉈の跡が付いていたら、それはそれで面白いと思う。

 

途中にはマリア観音もある。この像は平和を祈念して建てられたものだが、日本の戦死者だけでなく連合国の戦死者も慰霊している、という説明だった。千葉県だけでも米軍機の墜落がいくつもあったし、処刑された例もあったので、慰霊することについて納得感がある。

 

しばらく登ると、スースーするところに来た。

観音像の腕のあたりにあたる部分が外に出られるようになっていた。

外から見た写真で、腕のところにメンテナンス用の出口があるように見えていたが、一般の人も出られたのである。

 

網が厳重に張られているのだが、それでも怖いものは怖い。しかし見晴らしは最高だった。海のそばという立地が効いている。

 

さらに登ると、階段がはしごになる。

譲り合って昇り降りする前提の構造だ。

そして頭の部分からも外に出られるようになっていて、さらに眺めがよい。

うっすら三浦半島も見える。長年、あの遠くからこちらを見ていたと思うと感慨深い。いま三浦半島側から、わたしのような人が「あの白いやつ気になるなー」と思っていることだろう。

 

外から見て、上の丸いところが最上階の20階a.k.a.天上界である。

全体を把握したうえでのぼって、「いま丸いところにいるんだな」と思うと感動が増す。

最上階からは外に出られず狭いが、ずっと足で登ってきたので達成感がある。

 

そして、このあと歩いて下界に降りていく。何度も申し上げて恐縮だが、階段を降りるだけなので、怖くない。無事に下界に戻ってきた。

 

あらためて観音像を後ろから見ると、お尻は大きめだが、ほかはかなりほっそりしている。

エレベーターが置けないくらい細い、ということだと思う。牛久の大仏は久しく行っていないが、たしかエレベーターがあって、シンプルな筒状だった。

東京湾観音のスタイルのよさを、階段を昇り降りしつつ噛み締めることができた。個人的には最もビューティフルな巨大仏だと思う。


なお、東京湾観音は高さ120メートルの山の上にあるので、足元に立っているだけでも見晴らしがよい。同じ東京湾沿いでも、三浦半島側よりずっとワイルドに感じる。

わたしは三浦半島側ばかり行っていたが、房総半島の魅力が少しわかった気がした。

 

 

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湖底に沈んだ津久井湖の遺構と移転した神社を見て感動した話

【2026/2/28 更新】出現した神社の遺構が二本松八幡神社であるとは断定できなかったので改訂しました。

 

わたしが四半期に一回くらいのペースで行くお気に入りの個人的名所、津久井湖が水位低下で一躍有名になっていた。

 

貯水池の水位低下といえば遺構。
ワゴンRが注目を集めていたが、湖底に残った跡だけ見てもしんみりして終わりそうである。それだと建設的ではない気がしたので、遷宮後の神社も見てきたのでその報告をさせていただきたい。

 

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ダムを見ないと貯水池を見た気がしない問題

橋本駅からバスに乗って津久井湖方面へ向かった。

バス停は、そのものズバリの「津久井湖観光センター前」があるのだが、少し手前の「城山高校前」で降りるとダムが近くておすすめである。

 

個人的にはダムを見ないと貯水池を見た気がしない。ダムを見ずに貯水池だけを見るときの気持ちはセミヌード写真集を見ているときの気持ちに似ているが、セミヌード写真集で満足する人はダムを見ずに津久井湖に行っても不満はないと思う。

 

城山高校は、相模原総合高校と統合して、2023年から相模原城山高校になったらしい。

SMAPを実践中と書いてあった。2025年度の高校生が「SMAP」と言われてピンと来るかどうかは微妙だが、、SMAPの存在有無にかかわらず身だしなみとあいさつは大切なのでわたしも実践していきたい。

 

校門の前を通りすぎた先に城山ダムの展望台がある。
相模原城山高校の生徒たちがダムを見ながら愛を語りあっているところを想像して、そのような青春時代があってほしかったと思った。

これが城山ダムだが、水位低下しているだけあって水は流れていない。
台風が通りすぎたあとにまた来たいと思う。


見たこともない津久井湖の姿態に感動

そして本題の津久井湖へ移動した。

もともと津久井湖って水位低めのイメージがあったのだが、さすがにこんな姿態の津久井湖は初めてである。

そして岸辺の角度がすごい。降りる場所を間違えたら生命活動終了だし、救助されたとしてもSNSで叩かれて社会的生命が終了してしまう。

とはいえ貯水池だから、遠浅の設計にする意味はまったくない。「渇水のときにエモいなーと思って観光目的で来てほしいので貯水能力は度外視して遠浅にしました」などという設計者がいたらクビだろう。

 

ちなみに小さな半島みたいになっているここの裏に話題のワゴンRがある。ワゴンRが何か知らないが、スリリングな位置にあることはたしかである。

 

湖の南側をずっと歩いていくと、電柱的なものを発見した。

電柱を撤去しなかったのが不思議だが、エモいと思ってほしくて残してくれたのであれば最高にエモいのでありがたい。

 

さらに歩いていくと、人の集まりを確認した。

家族連れもいて、成功を確信した。

……が、どこから降りられるのかわからないまま城山隧道に来てしまった。

水位が通常だった場合、津久井湖の名所といえば先ほどのダムとこの城山隧道の二箇所しかないので、ふだんは城山隧道ありがとうと思うのだが、今回は名所が多数出現しているので前座扱いである。


この隧道は今も現役で横浜に送水している、とも書いてあった。
遺跡のような見た目なのに現役なのがすばらしい。自分もこうありたいと思う。

しかしながら、ここからは降りられなかった。

 

……なのでいったん戻り、ガストを右に曲がって、ラブホテル跡の前の道を通ることにした。

ラブホテル跡には「Wi-Fi」と書いてあった。わりと最近まで営業してたのだろう。
検索してみたら景色がとてもよかったらしい。一度普通に泊まってみたかった、とため息をつきながら歩いていくと、大量の路上駐車を発見した。

ワゴンRの何たるかを知らないため、このような停め方の是非に関してもわたしはよくわかっていないが、目的地に来たことは確実である。

 

路上駐車のあたりは、いつもはボートを貸すところらしい。

しかし今は何もなく、立入禁止されている風でもなかった。人もたくさんいる。

 

神社は確定として、ほかに何かそれらしきアイテムも見つけたい、と思ったらメローイエローの缶があった。
この状態で「メローイエローだ」とわかる程度にメローイエローが好きだった。ときどき復刻版が出ているが、それでは足りないので、ふだんメローイエロー的なものを飲みたくなったらマウンテンデューを飲んでいる。
検索してみてその対応方針が圧倒的に正しいことがわかった。なぜならメローイエローは、マウンテンデューに対抗してコカ・コーラ社が出したものだったからである。


神社跡:残っているものと撤去されたもの

気をつけて歩いて神社跡に到着した。

鳥居や狛犬など、一定の高さのあるものは撤去されていて、階段や木の切り株は残っていた。住民が退去したあと、そのまま水を流しているようなイメージがあったが、撤去作業をして退去するのがふつうなのだろう。


鳥居側から在りし日の神社に思いを馳せつつ歩いたのだが、拝殿のあったとおぼしき場所は大木に囲まれていて、こじんまりした神社であったことが想像される。

 

移動する前に、今回の渇水で発見された主要アイテムをおさえておく。

ガードレール。かなり急な坂にあって、いまのガード力はゼロに等しいので、転んで頼るようなことがないよう、細心の注意を払って歩いた。

 

できてから無数の台風があったのに石垣が残っていて感動した。

 

そして向こう岸には話題のワゴンR。あんまりワゴンRワゴンR言うと嵐山光三郎さんのことを思い出してしまう。

なお、弊ブログにおいて「遠景からズーム」という写真が今後増える予定だが、なぜかというと、レンズの付け替えがしんどすぎて、24mm-105mm/100mm-300mmの2本体制から、24mm-240mmのレンズに替えたからである。気軽にズームできて大変便利。

 

津久井湖から移転した神社も近くにある

きた道を戻って「クラブ前」のバス停からバスに乗った。「クラブ」は何を指していたのか今や不明だが、15分に1本のペースで来るのがありがたい。これから減っていったりするのだろうか。

15分ほど乗って「東原宿」バス停で降りた。

相模原市の原宿は、原野に境川から用水を掘って宿場を作ったから「原宿」らしい。原の宿である。東京の原宿も同様に何らかの原と何らかの宿でそうなったようである。

 

住宅街を歩いているうちに二本松八幡宮に到着した。

昭和30年代に遷宮したはずなのに鳥居に風格がある。由来のところに、創建は1191年で、鳥居は1851年に建立されたと書いてあった。
つまり鳥居はそのまま移設した可能性が高い。

 

拝殿もすばらしいが、新しそうに見えた。

由来を見ると「神殿を築造」と書いてあったので、移転に際して建立したのだろう。

 

そして礎石がどうなっているかを確認すると、小さめの礎石がはまっていた。

もしかすると礎石は当時のものかもしれない。そうだとしたらうれしい。

 

拝殿にのぼる階段も年季が入っていた。これも津久井湖から持ってきたのかもしれない。

 

狛犬は遷宮に伴って新造していた。

 

 

さらに造営碑の「八幡神社」の字は当時の神奈川県知事が書いていた。県民の生活のためとはいえ、遷宮してもらったということもあって破格の待遇である。

この周辺は相模湖から移住してきた方も多かったから、神社も遷宮してきて、さぞかし心の支えになったのだろう。


単に津久井湖の神社跡だけ見て帰っていたら、しんみりして終わりだったと思う。
しかし遷宮して、そのあとも大切にされていて、現在もそこにある。そういう事実を目で見ると、うれしい気持ちになった。津久井湖の渇水が解決して神社跡がふたたび水没したとしても、神はここにいるので問題ないのであった。

 

 

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「コール」のない二郎系ラーメンが快適すぎて戻れる気がしない

わたしの住む多摩ニュータウンは「限界集落」と揶揄されることがある。老人の多い地区に限定したら限界集落と呼べるのかもしれない。大阪で育ったわたしは自分の住んでいる地域を「限界集落」と揶揄されても「話のネタとしておいしいワ」としか思わないので、「限界集落に住んでまんねん」などと自己紹介したいと思っているのだが、多摩ニュータウンのネイティブ住民には大阪の一部の文化にあるような「おいしい」という感覚は理解不能で、あとから来た者がネガティブキャンペーンを精力的に実施しているようにしか感じないということは理解しているので、「多摩ニュータウンに住んでまんねん」と自己紹介するにとどめている。

若者が少なめの多摩ニュータウンに麻辣湯の店はないが、二郎系ラーメンの店ならいくつかある。二郎系というか二郎そのものがあった。しかもラーメン二郎ランキングの上位の常連の野猿街道店である。二郎系ラーメンを食べたいと思ったときに複数の選択肢があるなんて、まるで都会じゃないか!
……などと思いつつ、「ラーメン松木田田」は、その選択肢のひとつではあったが、年に一度行く程度だった。その頻度になってしまったことを説明するには地図が必要である。
これが、かつての松木田田周辺の地図である。

わたしの散歩ルートは野猿街道沿いを歩くか、多摩ニュータウン通り沿いを歩くことが多い。松木田田は2つの通りの間にあるので、わたしにとってよい立地に思えるが、問題はそれぞれの通りの他の店である。

ふたつの通り沿いには「ひとりで入りやすい味の濃い店」が並んでいて、どの方面から行っても、松木田田に行く前にそれらの店に吸い込まれてしまう仕組みになっている。野猿街道の西側はやや手薄に見えるが、歩く頻度が低く、熊本ラーメンの名店、分田上がある。熊本ラーメンは二郎系ラーメンよりも少ないので、このルートを通るときには確実に分田上に吸いこまれてしまうのであった。
また、野猿街道の東側から西へ歩く場合は、まずバーガーキングにあたる。バーガーキングは立川や新宿に行ったときに見かけはするが、せっかくだからそこにしかない店をと思ってチェーン店は選ばないことが多く、わたしが行くバーガーキングといえばほとんどここである。もしバーガーキング気分でなかったとしても、その先にあるのは野猿二郎なので、このルートから松木田田に行く確率はゼロに近い。多摩ニュータウン通りの西側については、もともと王将があったが、さらにパンチョも開店し、二択を迫られてしまうため、松木田田は意識にのぼってこなくなってしまった。多摩ニュータウン通りの東側には天下一品がある。バーガーキングと同様に、わたしが行く天下一品はこの天下一品であった。

 

しかし、この鉄壁の守りが2024年の夏に崩れた。天下一品が閉店してしまったのである。

多摩ニュータウン通りを西に歩くルートで、ついに松木田田への道が開かれたのであった。

 

……といいつつ、道が開かれてからも、そもそも濃いものを食べたいという気持ちが薄れたことや、多摩モノレール通り沿いを散歩することが増えてきたことなどもあり、行ってはいなかったのだが、昨年の秋、久しぶりに行ってきたら状況が大きく変わっていたのだった。

まず、券売機がタッチパネル式のものに変わっていた。それだけではなくて、二郎系でいうところの「コール」が券売機に組みこまれていたのである。

ここで念のため「コール」の説明をしておきたい。二郎系の店では、野菜や脂やニンニクなどを好きなだけ追加することができるのだが、その要望を、食券を出した瞬間に伝えるのではなく、提供される直前に「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれてから、「野菜ニンニク脂」などと言わなくてはならず、それが「コール」と呼ばれている。
最初はそのシステムに戸惑うことはあるかもしれないが、聞かれたらいつものコールをすればよいだけなので、慣れればどうということはないはずである。

ただ、コールが券売機に組み込まれていれば、お店の人が話しかけてくるタイミングを逃すまいと集中している必要がないので、楽でいいじゃんとは思ったのであった。

 

これが昨年秋に行ったときの松木田田のチケットである。コールが組み込まれていることがわかると思う。

なお、「限定」というのは、秋限定のメニュー「麻辣田田」である。

お店によっては限定メニューの頼み方が難しい場合もあるが、松木田田の場合は券売機で選ぶだけである。

このチケットをinputしたらこのラーメンがoutputされた。

二郎系のラーメンに唐辛子は非常によく合う。唐辛子というか、ピーマン系が合う感じがする。パプリカを大量にかけてもおいしいのではないかと思う。

右の飲み物は、オプションの黒烏龍茶とルイボスティー飲み放題。

 

一杯目は単価の高そうな黒烏龍茶にしたが、二杯目はルイボスティーにした。スッキリした感じと二郎系ラーメンのマッチング具合が最高であることを発見した。

 

めでたしめでたし……というところなのだが、この話はそれで終わりではなかった。

後日、別の二郎系のラーメン屋に行ったのだが、それまであたりまえだった「コール」をするのが、わたしにとってストレスフルだったことに気づいたのだ。

食券を買ってテーブルの上に置き、そのあと、まだラーメンを供されていない人の人数を確認し、そこから自分が「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれるタイミングを推測しつつ、時間つぶしにヤフーリアルタイム検索でトレンドを眺める。「見る」のではなく「眺める」。そうでないと自分が「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれたときに速やかに回答できない可能性があるからで、もし特大級の炎上コンテンツを発見したとしても決して深堀りしてはいけない。また、いつもと同じコールだったとしても、いつ聞かれても即答するできるよう、コールの内容を2回ほど脳内でリハーサルを行う。
そして、ついに「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と自分の方を向いて聞かれたら、そのタイミングで答えるのだが、「トッピングどうしますか?」ではなく、「ニンニク入れますか?」と聞かれたとしても、ニンニクについてのみ答えてはならない。何を言われようとも、事前に決めておいたコールを発するのである。聞かれたことのみに答えてはならないのだ。

言葉にしてみるとけっこうな頭脳労働である。

思いかえすに、松木田田で食券を置いてからラーメンが来るまでの待ち時間はこんな感じだった。ひとりで行ったけど……。細かく指定しなくてもChatGPTはステレオタイプな画像を作ってくれるんだなと感心した。


そして、あの待ち時間を経験したあと、ふつうの二郎系ラーメンで、「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれるのを待っている時間はこんな感じである。

 

注文にコールが組み込まれる世界を体験してから戻るのはつらい。そしてそんな些細なことがストレスになっていた自分にも絶望してしまった。もしわたしが、「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれてからコールの作成に堂々着手するような客であれば、まったくストレスは感じなかったことだろう。

 

そして先日、「そういえばあのときは限定メニューにしたけど、通常メニューはどんな感じだったかな」と思って松木田田に行ってきた。

やはりノーストレスだった。

コールする強靭な精神を取り戻したいと思いつつ、このパラダイスから抜け出せる感じがしない……。

 

 

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CDシングル折る折らないの話を38年後に蒸しかえす

コンパクトディスクの規格を決めた「第九」という謎めいた音楽

コンパクト・ディスクという光ディスクを通じて音楽が流通していた時代があった。ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125が収まることを基準にしてディスクの直径は12センチと決まったが、わたしは本邦で「第九」と略されている作品を15秒しか聞いたことがない。わたしがまだ民放を見ていたころ、年末になると『1万人の第九』というイベントのチケット販売のCMを見ることになり、そのCMの間の15秒についてのみ把握していたが、15秒が74分の曲のどこにあたるのかは知らないままである。何でも検索すればわかる現代において、知らないということは興味がないということにほとんど等しい。興味がないなりにおそらく73分あたりだと推測していたのだが、そうだとしたらクライマックスの15秒にすら魅了されなかったわたしが最初から第九を聞いたらどうなるか想像もつかない。わたしの音楽的な好みについての話は措くにしても、大晦日に歌うのがいかにも縁起のよろしくない「第九=大苦」であることは謎としか言いようがない。遠い野蛮人の国の文字の読み方など知るはずもない作者が番号をつけたのだから九番であること自体は避けられないにしても、「だいきゅう」と読めばいいはずで、なぜあえて「だいく」と読むのだろうか。実は本邦はいつのまにかご祝儀に9千円を贈ったとしても嫌な顔をされなくなるような世の中へと進化していたのだろうか。そんなはずはないと思うのだけれど、「第九」をめぐる謎についての話がしたいわけではなかった。そもそも謎でもないので、CDに話を戻します。

 

CDシングルの登場

コンパクト・ディスクの登場から間もなくして、レコードのシングル盤にあたるディスクが必要になった。映像を記録することができるCDビデオという規格がすでに存在しており、その内周にある音声収録部と同じ8センチのディスクが流通することになった。コンパクトディスクよりもさらにコンパクトなディスクは初期型のCDプレーヤーは想定しておらず再生が不可能だったので、コンパクトディスクのサイズと同じ12センチに拡張するアダプター(当時300円程度だったが、今や需給バランスが乱れていて1300円前後で売られている)が、CDシングル発売と同時にレコード屋で売られることとなった。今回はレコードとインターネット配信の間にあって微妙な位置づけのCDの中でもさらに微妙な位置づけのCDのパッケージについて話したい。


CDシングルは、ジャケットを折る想定だった

ここに2つのCDシングルがある。

左から88年と96年にそれぞれリリースされたものである。

88年はCDシングルが発売された年。

表には半分のところでミシン目がついていて、下の半分はおよそデザイン性が感じられない。よく見ると上半分の文字をフォントもそのままで、単に並べているだけである。ミシン目のところから切って初めてデザインとして完成するようになっている。

また、裏には折り目がついている。プラスチックのトレイも簡単に折れるようになっている。つまり、店頭での陳列用に縦長にしているが、半分に折ったらコンパクトだし、かつての7インチのレコードを小さくしたようなデザインになって見栄えもしますよ、ということである。

しかし、製作者の意図通りこれを半分にしているユーザーは少数派で、「CDシングルを折ってそうな人が多く住む地域」世界ナンバーワンであるところのOsakaはKawachi Provinceに住んでいたわたしの周囲でも、素直に折っていたのはわたしだけだった。今思いかえすに、完全にわたしの敗北であった。本やレコードの帯を大切にとっておく国の民がCDシングルを2つに割ったりするわけがないのである。当時折らない派を口汚く罵っていたわたしも、この写真を見てわかるように、今ではCDシングル折らない派なのであった。

 

実際にジャケットを折る人は少なかったようである

そこから8年後のCDシングルは、表面にはミシン目はすでについておらず、半分に折らないことを前提としたデザインになってしまった。

無理に半分に折ってしまうと、男性2人組のユニットに見えてしまう。男性2人のユニットといえばペット・ショップ・ボーイズだが、レコードのライナーノーツに「ニール・テナント:ボイス」「クリス・ロウ:ノイズ」と書かれていて、わたしは「ボーカルやキーボードじゃないんだ!」と、中学生なりに新時代の到来を感じたのであった。いまは彼らの音楽を聴くことはなくなってしまったが、彼らがいまも活躍しているという事実は、わたしもまだ生きていてよいのだという気持ちになれるので、音楽を聴かずして励まされていたりもするのだが、それはともかく、このCDは企業とのタイアップをしていたらしく、裏面はおよそ半分が広告スペースになっている。

折り目はないし、無理に折ったとしても広告スペースが少し見えてしまう。わたしは当時はCDシングルを買うとすぐ半分にしていたので、初めてこの構造を見たとき、「ポピュリズム」という概念を理解したのであった。

 

「折らない派」が勝利をおさめたのちも構造はそのまま

なお、トレイの中の半分に折りやすい構造だけは当初のままである。

「CDシングルのトレイが折れやすくなっているのはなぜでしょうか、注意して扱わないといけないので正直うざいです……」と若者に言われたら、「CDシングルのケースは折ることを想定して作られていたんやけども、折らないでそっと扱う派が圧倒的多数だったため、ジャケットとケースのねじれが起きてしまったんじゃ………」と答えようと思っていたのだが、言われないまま長い年月が経ってしまったのでここに書くしかなくなってしまった。若者の多くはCDというメディアに興味を持たなくなっただけでなく、ストリーミング配信によって、「音楽を所有する」という概念すら持たなくなってしまったので、CDシングルのトレイの構造など知る由もないのであった。

 

 

 

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上から2冊目の本を買うのをやめた

かつては率先して2冊目の本を買っていた

本を買うとき、上から1冊目ではなく2冊目を手に取るようになったのはいつからかは覚えていないが、少なくとも小学生のときはすでにそうしていた。本屋に積んである本のいちばん上は立ち読みの対象になるので実質的に古本である。だから、きれいな本を買いたければ2冊目を取ればよい。わたしはそのことを独自に発見したつもりでいたのだが、他の人が同じようにしているのを見かけ、自分だけがそうしているのではないと知った。むしろ、素直にいちばん上の本を買う人の方が少数かもしれない。当時、わたしは自分が神童であると思っており、その根拠のひとつが「本屋で上から2冊目の本を取る」だったので絶望したのだが、いま思うに、あまりにも脆弱な根拠であった。
わたしの神童幻想の舞台となったのが大阪府四條畷市にある「くるみ書店」である。昔から忍ヶ丘駅前で営業していて、2025年現在も営業している。わたしは駅から少し遠くに「ブックランドすばる」という大型書店ができてからはそちらの方に通っていたりもしたが、そちらは2014年に閉店している。くるみ書店の粘り勝ちになるとは思ってもみなかった。個人経営の本屋を駅前で続けるのもかなり大変だと思うが、ありがたい話である。

それはともかく、わたしは神童ではないことが発覚したあとも、心折れることなく2冊目の本を買う暮らしを続けていたのだが、半世紀生きてきて考えが変わり、今はいちばん上にある本を買うことにしている。そしていま、自分が天才であることの根拠のひとつが「本屋でいちばん上にある本を買う」となった。それもまた脆弱な根拠ではあるのだが、少なくとも、自己肯定感が得られ読書生活が豊かになったことは実感できている。

 

「神経質な自分」と向き合うのに疲れてしまった

2冊目を買うという行動は、単体で考えると労力のかかる作業である。あらかじめ購入意思がある本の場合、本の山を見つけ、1冊目を脇に置き、2冊目を手に取って1冊目を元の位置に戻す。これは純然たる作業であって、その行為自体にはなんの喜びもない。そして、その作業が単純であるがゆえに「わたしは神経質な人間であり、他人が読んだ本を購入することすら許容できないのでございます」という自省が浮かぶ。買う気のある本ならまだその程度で済むのだが、立ち読みしているうちに買いたくなった場合はさらに厳しい自問が待っている。どういうことかというと、立ち読みして気に入ったなら、そのままレジに持っていけばよいはずなのに、それをわざわざ脇に置いて、2冊目を手に取り、読んでいた本を元の位置に戻す……という極めて不自然な行動にコミットするのである。単に、きれいな本がほしいというのではなく、1冊目を汚す行為に積極的に加担していて、自意の問題を超えて、うっすらとした迷惑行為に辿り着いてしまっているのである。

そして、これらのリスクをとって2冊目を取ったとしても、それが本当に2冊目である保証はどこにもない。「上から3冊目を買う」という過激派がその書店に潜伏していた場合、過激派は1冊目と2冊目を脇に置いて3冊目を購入することになるが、そんな過激な存在が、1冊目の下に必ず2冊目を置いて原状復帰をしてくれる保証がどこにあるだろうか。そして、過激派への自衛策として、「2冊目が本当に2冊目なのか」を、目を皿のようにして確認し、2冊目が真の意味で新品の本であるといえる状態であると確認できたとして、1冊目を元の位置に戻そうとしたときに、1冊目もまた真の意味で新品の本であるといえる状態であるように見えた場合、そもそも自分がしてきた2冊目を選ぶという行為の無意味さが身にしみてくるはずである。

こうなってくると、本を買うという行為が、愉快な読書のための準備というより、自分の心の闇を覗く行為になってしまって、このようにして買った本を楽しく読むことができるかというと非常に疑わしい。

 

きれいな本だと気軽に手に取れない→そのまま積読コーナーへ

もし、明鏡止水の境地で2冊目の本を購入したとしても、その本はどうなるかというと、なるべく美しい状態を保ちたいという意識が強くなるばかりで、そのまま帰宅して、本棚に入れてしまうだろう。汚してはいけないという気持ちがあれば、ポテトチップスを食べながら気軽に読んだりはできず、本を手に取るハードルが上がってしまう。そうなってくると、読書体験を買うのではなく、本を運搬して家に積む権利を買っただけになってしまう。
そもそも、「早く読みたい。多少汚れていようが構わない」と思うのが読書家としての自然な姿ではないだろうか。昔、『いちげんさん』という映画があって、鈴木保奈美さんが何らかの役で出ていたのだが、帰宅するや否や服を脱ぐのももどかしく行為を始めるというシーンがあり、わたしはスカパー!で録画したBlu-rayを後生大事にし、そのシーンだけを繰り返し見ている。全体としてどのような映画なのかは知らないままなのだが、これを見るたび、読書も同じことで、何冊目の本を選ぶかももどかしく本を購入して読みはじめたいと思うのであった。

 

 

以上の心境の変化により、わたしは1冊目の本を買う人間へと生まれ変わった。

レジに持っていったとき、「カバーはおつけになりますか」と聞かれたとしても、もちろん「大丈夫です」と微笑む。カバーをつけるという行為は1冊目を買う人がすることではないからである。

 

 

 

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チーズ牛丼を避けていたが、食べてみると想像以上においしくて驚いた

チーズ牛丼の略称「チー牛」が侮蔑語として使われる前から、チーズ牛丼のことはnot for me だと思いこんで、食べようと思ったこともなかったが、侮蔑する記述を繰り返し眺めるにつけ、だんだん「オタクのソウルフード」のような感じがしてきて食べたくなってきた。

 

ただ、わたしのソウルフード観も非常に大雑把で、「アメリカ南部のアフリカ系アメリカ人が食べていた内臓の煮込み」程度の認識しかなかった。前半は間違ってはいないとしても、「内臓の煮込み」って何やねん。先日わたしが1000円寄付したことでおなじみのWikipediaの「ソウルフード」で検索してみたら、部位はともかく揚げたものが中心だった。煮込みだとうっすらヘルシーで、抑圧された民の不健康な食事というイメージから少し離れてしまうし、日本のモツ煮込みと混同していたようである。なお、部位についても、豚の内臓だけでなく、たとえば鳥のもも肉も該当するような記述があり、それならそんなにキツい食事でもないのではと思ったのだが、好きで食べるのと、それしか選択肢がないというのは状況として異なる。

そもそも、オタクは少なくとも経済的には抑圧されていたりはしないので、ソウルフードに位置づけてしまうと、文化の盗用との誹りを逃れられない。「B級グルメ」などと思うのが妥当かもしれないが、いずれにせよ、チーズ牛丼が、高級なものではないが、その分おいしさの本質を捉えたメニューのような気がしてきたのであった。

 

そしてある休日の朝、わたしはチーズ牛丼の聖地であるところのすき家に向かったのだった。

朝起きてチーズ牛丼を食べにいくところから本気度を知っていただきたい。「ランチでよく行く店が混んでいたから比較的混雑していないすき家に行った」などという理由ではないのである。


わたしは堂々入店し、迷いなくチーズ牛丼を選んだ。それだけだと罪悪感があるので、オクラ入りのサラダも頼んだ。

チーズ牛丼の実物を見て、「なぜ牛丼にチーズをのせるの?」と思ってしまったのだが、「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか」に興味本位で入ってみて、想像以上においしかったので、「すき家=なぜ牛丼にチーズをのせるのか」だと思いなすことにした。

 

せっかくなので近づいてみよう。

溶けているのがエグモントチーズ、溶けていないのがレッドチェダーチーズとモッツァレラチーズというインターネット情報を得た。ひとりだけ溶けていると、ほかの二人もがんばったら溶けられるんじゃないのと思ってしまうが、がんばりの問題ではない。そしてひとりで溶けてチーズ感を一手に引き受けているエグモントチーズのことを恨むのは筋違いというものである。ひとりでサービス残業をして賃金のダンピングをしているわけではないのだから……。

 

特に頼んだわけでもないタバスコが添えてあった。メニューにも「タバスコつき」とあった。「お好みで使うのだな、わたしはチーズ牛丼の素材の味を味わいたいからいらないが……」などと思いながら食べはじめた。

あまりにも想像どおりの味だった。牛丼の上にチーズがのっている、チーズがのっていることで牛丼がまずくなったりはしないが、コロッケそばのような1+1が2ではなく4くらいになるような味の相乗効果は感じられない。コロッケそばに4を感じてしまう件については、回を改めてお話ししたい。

 

そして、タバスコが席に常備してあるのではなく、チーズ牛丼を頼んだときのみに添えられる意味について考えてみた。おそらく、牛丼にタバスコをかけてもさほどおいしくはならなくて、チーズ牛丼にかけたときにおいしくなるのだろう。

 

……などと考えながらタバスコをかけてひとくち食べてみたら、その変貌ぶりに驚いた。

1(牛丼)+1(チーズ)+1(タバスコ)=5くらいになっている。
牛丼とチーズの違和感がタバスコによってたちまち解消し、それぞれのおいしさを引き立てはじめたのである。

 

よく考えてみれば、この組み合わせはタコライスに近い。レタスとトマトがないものの、ごはんの上にひき肉とチーズがあって、タバスコをかけて食べる。タコライスの野菜について「別に……」と思う人であれば、タコライスよりも魅力的かもしれない。「チーズ牛丼=和製タコライス」の公式が浮かんだ。タコライスがもともと和製なのだがそれは措いておこう。タバスコをかけたとたん、和洋折衷のおいしいごはんになったのだった。


チーズ牛丼をいちど頼んでしまったら、次に行ったときにはふつうの牛丼を頼む気にはなれなかった。圧倒的に「足りない」と思ってしまったからである。

 

念のため、すき家ではない店でチーズ牛丼を頼んでみたのだが、そのときはタバスコはなかった。唐辛子をかけて食べたらいいのかなと思ってかけてみたのだが、そういうことではなかった。

辛ければよいということではなく、お酢があることでのさっぱりした感じが不可欠なのだろうと理解した。


では、チーズ抜きの牛丼+タバスコはどうなのか。

こちらもまたおいしくないに違いないと思ったが、念のためたしかめてみた。

牛丼をテイクアウトして、よく行く公園の絶対に人の来ないゾーンで、あらかじめ購入したタバスコをかけて食べたのだが、予想外においしい。チーズがあるときと比べて少し足りない気がするが、じゅうぶんなおいしさである。おろしポン酢でいただくとんかつなどがあるが、それらに近い味で、さっぱりした牛丼が食べたいのであれば、ぜひまた食べてみたいと思う味だった。


思いかえしてみると、かつてわたしは「たらこスパゲティ」に対してもチーズ牛丼と同じ感情を抱いていた。たらこ=牛丼、スパゲティ=チーズである。好んで食べることはなかったのだが、ひとり暮らしをするようになってから多用している。


「チー牛」と揶揄してくる女性への反撃として「豚丼」という侮蔑語があるが、投稿をよく見ると「チー牛」と言っている人の指が写っている写真を見て、その指が太いことから体全体が太っていることを揶揄していた。指が太いだけで体全体としてはスリムである可能性もあるし、そもそも言い過ぎである。「チー牛」は、少なくとも表面上はチーズ牛丼を頼む嗜好の是非が問われているにすぎないが、「豚丼」は、おもに女性の体型について言及しているのである。なので、正しく女性に対して反撃するなら、「たらこスパゲティ」などがよいような気もするが、いずれにせよ、けんかはよくないというのがわたしの認識である。

 

 

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日本丸と北朝鮮の工作船を見ていろいろ想像した話

あなたが、みなとみらいに行ったときにいつも目にして、「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、次に行ったときもまた「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、入る機会がないものといえば日本丸である。

業を煮やしたわたしはあなたに、「今日は、お出かけの主従関係を逆転させて、日本丸を見学するついでにみなとみらいに行こう」と提案したのだった。

 

航海練習船だからかもしれないが、日本丸の中は学校の教室の匂いが充満していた。柔軟剤ファミリーが通り過ぎたときは柔軟剤の匂いに支配されてしまうが、今の学校の教室も一定の柔軟剤チルドレンがいるはずなので、それも含めて「教室の匂い」なのかもしれない。

 

匂い以外についていうと、帆は張っていない状態ではあるがマストなど大変優雅で、「太平洋の白鳥」と呼ばれる理由がわかったが、実際の白鳥の頭をよく見るとだいぶ黄ばんでいるなどして大して優雅でないのと同様、この船にも優雅とはいえないところがあると思ったのは練習生用の部屋を見たときだった。

練習生用の部屋は個室などではなく、4人部屋で、2段ベッド×2である。もしわたしが練習生で、あなたの後輩にあたるのであれば、おそらくわたしが上の段のはずで、あなたは下の段になるはずだ。上の段からは首を伸ばせば海が見えて、高い方が上座かなと思ったのだが、「2段ベッド 上座」で検索して、いろいろなサイトが見つかり、マナー講師のような人もそうでない人も異口同音に「上座は下段」と言っていた。たしかに、寝るたびにはしごを登る人とそのままベッドに飛びこむ人のどちらの社会的立場が上かといえば答えは明らかだろう。あなたは、わたしがベッドの上段でつまらない冗談を言ったりしたらベッドを蹴りあげて反応したりもできる。

 

しかし、最初に部屋割が決まって部屋に入ったとき、中央の感じのよい椅子についてあなたは着目すると思う。ここをただの共有の椅子にするとあまりいいことにはならないと予感する。半年も同じ部屋で過ごしていれば、となりあって椅子に座っているうちに必要以上の親しみを感じることになることが容易に想像がつく。そこであなたは、先手を打って、この椅子を時間制で交代で使うことを提案するのである。他の部屋は考えなしに無秩序に利用した結果、妙な空気が流れてしまう。親しすぎるというだけならよいのだが、誤解に伴う嫉妬が渦巻いて、穏やかな海を航海してるときも精神的には大シケである。いっぽう、あなたの提案によって、われわれの部屋はちょうどよい距離感が保たれることとなった。そこで最もあたりさわりのない話題として重宝されるのは食事のメニューの話なのである。

 

船の上とはいえ、メニューはすばらしく、ふつうにひとり暮らしをしているときよりもはるかに豪華な食事にありつける。しかし、栄養のバランスを考えると、どうしてもほうれん草のおひたしが登場してしまうことがある。他に適切な話題もないので、おひたしをいかに悪く言うかの競争みたいになってしまって、最初のうちは、苦くて無駄にジューシーだから、せめて乾かしてほしい……などのコメントにおさまっていたのだが、航海がはじまって3ヶ月後には完全に煮詰まってしまって、わたしはほうれん草の役になって芝居を打って、人間に命を奪われることは仕方ないとして、せめてバター炒めにしてほしかった、命を奪われるだけでなく、おひたしにされてまずいまずいと言われながら飲みこまれて胃液に溶かされていくのは恥辱の極み……などとあなたに向けて言っているうちに、なんだか悲しくなってしまってわたしは涙が出てくるし、あなたも罪悪感のようなものが芽生えてきて謝ってしまう。そして食べなかったほうれん草のおひたしをポケットに入れて押し花のように部屋の天井に貼って供養するのであった。航海が終わるころには天井のほうれん草は龍になって、われわれが無事に帰港するための守り神のようになったのであった。

 

さまざまなドラマがあったようななかったような日本丸を降りて30分ほど歩くと、まるで船を一隻匿っているかのような建物が見えてくるが、それは北朝鮮の工作船を展示している海上保安資料館横浜annexである。

 

日本丸で航海については習得できたものの、北朝鮮の船が弾を撃ってきたときにどう対処するか、われわれは机上でしか学んでいない。正当防衛であることをじゅうぶんに示すためにふたりでカメラに状況をおさめようとするが、船が揺れてどんどん気持ち悪くなってきて、わたしは日本の領海が侵犯されることよりも胸にわきあがってくるものの対処のことしか考えられない。そんなわたしを尻目にあなたは勇敢にも北朝鮮の船に対して適切な射撃をするが、最終的に北朝鮮の船は自爆して沈んでいくのだった。

あなたは、殺意に満ちた者たちであるとはいえ、自分の手で彼らの命を奪うことにならなかったことに安堵しながら、生還することが絶対になくなってしまった工作員たちの暮らしに思いを馳せる。

日本で入手した缶詰、日本では非常食のようなものかもしれないが、工作員にとってはごちそうだったに違いない。

 

小さな液晶のポケットコンピューターはゲームもできるので、小さな白黒画面でシューティングゲームを楽しんでいたかもしれない。実際にシューティングで命のやりとりをすることになることを意識しながら遊ぶゲームはどんな感じだっただろう。

 

 

日本丸と北朝鮮の工作船、片方だけ見ると心のバランスがおかしくなって仕事に差し障ったりするかもしれないので、いちどに両方見ることができてよかった。

 

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