結局、立公新党、これは立民と公明がなくなるわけではなく、衆院議員のみが合流する新党であって、立民も公明も存続するとのことで、ああ、新進党時代に「公明」が残ったのと同じやり方なんだなあと思った。疑問に思う方がおられたら1995年の参院選と1996年の衆院選について調べていただければ簡単にわかるが、95年参院選では「公明」が11議席を獲得しているのに対し、96年衆院選では公明党出身議員は新進党に含まれていたので公明党の当選者はいない。つまり96年の新進党は公明党の固定票という「下駄」に乗っかって戦っていたのだった。99年の自自公連立政権発足で、その「下駄」を自民党が奪った。新進党は97年末に解党していたからそれは容易だった。その上、公明党とパイプを持つ小沢一郎の自由党が先に自民党と連立を組んでいたので、なおさら公明党としては自自連立に乗っかりやすかった。これを考えても小沢の罪は万死に値する。
今回の仕掛は手口が「小沢一郎そのもの」だったので、着想は小沢によるものとばかり私は思っていたが、そうではなく、斉藤鉄夫の着想であって、斉藤の発案を野田佳彦が丸呑みしたのではないか。そのように考えを変えた。
そう考えると、2006年の「永田偽メール事件」と2012年の「三党合意」であれほど政党の指導者として無能さをさらけ出した野田が、今回は立公合流をマスメディアに悟られることもなく、高市早苗をも有権者をも見事に騙しおおせた理由がわかる。高市など、完全に斉藤がかけた罠にはまった恰好だ。高市はこれまで国政選挙で2回落選し、1回比例復活の当選に甘んじているが、初当選後唯一の落選になった2003年衆院選は、公明党に推薦を外されたことが敗因になった。高市が公明党の恨みを買った原因は、自民党からの「一本釣り」に真っ先に乗って、それに続く人たちが続出したために新進党解党の流れを作ったからだといわれている。公明党は2002年にテレビ番組で高市を罵倒してめそめそと情けなく泣かせた田原総一朗と並ぶ、高市の「二大天敵」といえるだろう。
ところで、ある時期(2025年の終わり頃)から野田は「チュードー、チュードー」と連呼するようになった。さらにそのすこしあとの時期から、まず泉健太、次いで枝野幸男までもが「中道、中道」と言うようになった。
レバ子さんによると、「中道」を言い出すようになったのは何も立民の大物(野田、泉、枝野)に限らなかったらしい。
以下引用する。
幾人かの人が気づいていた通り立憲民主党は昨年の暮れあたりから「中道」という言葉を幹部クラスではなく、地方議員や後援会紙も使い始め、路線転向を初めているとは思いましたが新党合流、あろうことか中道という名を冠した馬鹿正直な党名になるとは思っていませんでした。海外にもそうした極右に批判的な保守派や与党経験もあり現実に政権担当をした左派を糾合し、中道新党を結成する事例はありますが、それでも「前進」「再生」など、何を目指しているか分からないけど前向きな党名にすることぐらいはやりますが、どうやら彼らには、この社会実験に関して党名はなんでもいいという結論でした。
URL: https://laborkounion.hatenablog.jp/entry/2026/01/16/213654
党名に「中道」を入れることを強く希望したのは、昔から「中道」を標榜し続けていた公明党の斉藤鉄夫だろう。野田は2000年代後半には当時民主党系の連合の活動家だった佐藤周一さんに「ネオコン」の一語で片づけられた人で、当時の民主党内では野田の「花斉会」は前原誠司や枝野幸男らが属していて右派とされていた「凌雲会」よりもさらに右に位置するとみられていた。つまり野田はもともとは「中道」には特に縁のない政治家だった。
その野田が斉藤の提案に乗り、トップダウンで決めたのが今回の「中道改革連合」の発足だった。私は「中道」も「改革」も大嫌いな言葉なので、この文字列自体をタイプするだけで腹が立つ。山本太郎の元号新選組において、元号の部分を漢字、ひらがなを問わずにブログのNGワードにしているのだが、それと同じくらい腹が立つ。だから選挙の投票用紙に「中道改革連合」または略称であるらしい「中道」を書くことは絶対にない。今回の衆院選では、小選挙区でおそらく「中改連」*1公認の候補者の名前を書くことになるだろうが、それだけの話である。
新進党はそれでも国政選挙に一度は勝ったが、公明票が乗ったにもかかわらず1996年衆院選では負けた。今回は最初の国政選挙である衆院選に勝てるかどうかもわからない。
野田には選挙戦中に気を緩めてしまう悪癖がある。2024年衆院選の時にはそうはならなかったが、昨年の都議選と参院選では、2024年にはまだあった立民の勢いにあぐらをかいて気を緩めたためか、両方とも選挙戦中に大失速して惨敗した。今回も、投票日前日まで右翼が必死になってネットでのデマ宣伝をかけまくるだろうから、想像を絶する汚い空中戦が展開されることと思う。それに中改連が勝てるかどうかはわからない。
私は高市の打倒が中改の唯一の歴史的使命だと考えているから、対高市という一点のみにおいて高市よりも中改寄りだ。しかし中改が衆院選に勝とうが負けようが、そのあとの中改に期待するものは何もない。
ここまで「改革(カイカク)」については何も書いてこなかったが、もちろん1990年代から2000年代にかけてを中心に、小泉純一郎ら新自由主義者に愛用された言葉だから激しく嫌っている。江戸時代の「三大改革」がいずれも反動側からの動きだったという歴史的事実について書いたこともあるので、古くからのブログの読者の中にはご記憶の方もおられるかもしれない。
英語の "Refom" も大嫌いな単語だが、中改連の略称は "CRA" だという。下記神奈川新聞記者のXを見て絶句してしまった。
CRA…かっこいい感じがします。 https://t.co/GU1r6JMDi6
— 矢部真太/神奈川新聞記者 (@shintayabe_257) 2026年1月16日
私には「暗ぁ」としか思えないのだけれど。
今回の政変は2017年の「希望の党」騒動とよく似ているが、17年には「希望の党」がやらかした「排除」の暴挙に対する草の根からの反発が「枝野立て」につながり、そこから立憲民主党(旧)が発足した。それに対して今回は、高市の通常国会冒頭解散という暴挙に対して、あらかじめ衆院選前に発動させようと斉藤と野田が計画していた「中央改革連合」のトップダウンの動きが早まった。つまり9年前はボトムアップから政党の配置が変わったのに対し、今回はトップダウンで変わる。今回の方が政界の構造と民意との乖離が埋まらないままことが進むから、これだけでは終わらないのは当然だ。日本の国政が「焼け野原」になる可能性が強まった。
もっとも、急な政変で団体と政党との関係の変化や人事などが矢継ぎ早に行われるのは「希望の党」の政局の時と同じだ。たとえば参院でも寺田静が自民党会派入りをしたり、それより大きいのはどうやら民民にいた山尾志桜里が衆院選に自民党公認で東京6区から出るらしいことだ。また原口一博は中改には加わらないらしい。これは中改にとっては数少ないプラスの材料だ。原口には参政党か日本保守党あたりがお似合いだと思う。山本新選組では多ケ谷亮が衆院選公認を外されたのを不服として離党届を出した。受理されるのか除名になるのかは知らない。
さらにもっと大きいのは、民民が立民もとい中改連の候補予定者への刺客を急に送り始めたことだ。中改連の発足は連合にも知らされていて、連合は中改連の候補を応援することになる一方、民民を切り捨てるのかもしれない。そうなると、民民の組織内議員が中改連に移る可能性が出てくる。
などなど、いろんなことが起きているが、それを書き連ねてもあっという間に陳腐化してしまうに決まっているからこのあたりで止めておく。
でもまだ書き残したことがあるので、それについてもう少し書いておく。
私は高市が通常国会冒頭解散を決めたと聞いて、公明票確保の目処が立ったのかと思って大いに警戒した。しかしそうではなく、高市が(ほぼ間違いなく)公明票が上乗せされるとの前提で弾き出された「自民260議席強」の自民党内部調査結果に舞い上がって、自民党の要人にろくに根回しもせずに「フリーハンドでやらせて」などと言って独断で解散を決めたのが真相だったらしい。
世間では高市は「賢い人」との間違ったイメージを持たれているが、私には高市は馬鹿な上に危険極まりない人だとしか思えない。しかも、テレビ番組で田原総一朗に罵倒されたらすぐにめそめそと泣き出したり*2、国会の質疑で追及されると肩で息をして興奮を隠しきれないなど、すぐに冷静さを失って感情的になる性格の持ち主だ。およそ高市ほど総理大臣の適性を持たない人間はいない*3。そのように私は確信している。だから高市の総裁就任を一度は阻止した石破茂と岸田文雄の方が正しかった。でも二度目の総裁選では岸田の腰がふらついたために自民党は最悪の選択をしてしまった。
それに対する野党側だが、単に高市を止めるのであれば、首班指名で立民が玉木雄一郎を担ぐのを止めて、斉藤鉄夫を担いだ方が早かったのではないか。首班指名の時に旗色を明確にしておけば、立民は新党結成に伴う大きな痛みを避けることができたのではないか。その疑問が尽きなかった。
でも、新党結成を主導したのが野田佳彦ではなく斉藤鉄夫だったと仮定したら、その疑問が氷解することに気づいた。公明党はもはや小選挙区では戦えない。その課題を解決するためには、勝てるかどうかもさだかではない首班指名で立民に担がれる程度では不十分だと斉藤は思ったのではないか。そして、どうやったら公明党が生き残れるかを真剣に考えた斉藤が思いついたモデルが、かつて自らが属していた新進党だった。あれと同じことをやれば良い。その斉藤の提案に、立民に対する愛着など特に持っていない野田佳彦(それが証拠に野田は旧立民には参加しなかった)がいとも簡単に飛びついたのではなかろうか。このあたりの「腰が重そうに見えて実は腰が軽い」のが野田の行動パターンの特徴かもしれない。
だから、あまりにも小沢一郎的な発想が「小沢抜き」でもできた。
今回の政変はそういうことだったのではないか。そう思い直した。冒頭に書いた通りだ。あまりにも記事が脇道に逸れまくって、肝心な部分の説明が遅れてしまった。