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高市氏、新進で再選後すぐに離党の過去 地元で語られる公明との因縁(朝日新聞デジタル有料記事(11/9)の無料プレゼント)

 石破茂の言葉に「高市信者」たちが噴き上がっているらしい。

 

 

 タカシン(サナシン?)を噴き上らせたらしいのは下記読売新聞記事。

 

www.yomiuri.co.jp

 

石破前首相、自公の連立解消「正しいとは思っていない」「進み過ぎる時に『待った』をしてくれた」

2025/11/23 11:00

 

 石破茂前首相が22日、鳥取県倉吉市内で国政報告会を開き、自民党公明党の連立解消について「私は決して正しいとは思っていない」としたうえで、「他の多くの党と連立を組むのは良いことだが、自民党が進み過ぎることがあった時に『ちょっと待ちなさい』としてくれた」と述べた。

 

 石破氏は、野党時代も公明党と共に戦ったことを踏まえ「つらいとき、苦しいときに一緒にやってくれたことを忘れてはいけない」と力を込めた。在任中に打ち出したコメの増産については、国内の食料自給率の低さなどから、「いい加減な思いで、増産と言ったのではない」と訴えた。

 

 大阪・関西万博や戦後80年の「首相所感」など在任中の出来事を振り返りながら地元への感謝も伝え、「評価は次の時代にされることだ」と話した。

 

(読売新聞オンラインより)

 

URL: https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251122-OYT1T50125/

 

 先月の公明党の連立離脱は本当に大きかった。

 仮に公明党が連立にとどまっていた上に現在の「高市バブル」が起きていたら、早期の解散総選挙による高市政権の「磐石化」が十分あり得たからだ。

 しかし公明党高市アレルギーは何も今に始まったものではなく、おそろしく根強いのではないかと思わせたコメントを少し前にいただいていた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 生存ユニオン広島 (id:lifeunion)

高市さんは新進党で当選してすぐ自民党へ行ったので公明党がおかんむりだった。それが効いて2003:での惨敗に。ですね。

 

 1996年10月の総選挙で高市早苗は奈良1区から出馬して当選した。それがなぜ2000年ではなく2003年の落選につながったのか。それがわからなかったので当該3回の高市の選挙を調べてみた。すると‥‥

 まず1996年は選挙区での当選。結果はWikipediaからのスクショ(以下同様)。

 

 

 前述の通り、高市新進党公認で自民党森岡正宏を破った。この森岡高市に負けず劣らずの極右政治家だったようだ。

 しかしこの総選挙で新進党政権交代に失敗し、当選した候補者たちが次々と自民党に「一本釣り」された。中でも率先して新進党を離党した一人が高市だった。

 その高市は2000年総選挙では奈良1区からではなく比例近畿ブロックから立候補してトップ当選した。「コスタリカ方式」で、森岡と交互で片方が選挙区(奈良1区)に出馬し、もう片方が比例ブロックから出馬することになったためだった。奈良1区は下記の選挙結果だった。

 

 

 なお石破茂も一時新生党新進党を経ているが、石破は96年衆院選の直前に新進党を離党して無所属で出馬して当選している。

 公明党高市に一矢報いるチャンスが到来したのが2003年だった。公明党高市を推薦せずにこの選挙で「寝た」。その結果高市は落選した。さとうしゅういちさんがコメントでご指摘くださった通りだった。その経緯は最近の朝日新聞デジタル有料記事にも載っているので、本記事の末尾で無料プレゼントを行う。

 2003年衆院選奈良1区の結果は下記。

 


 その後、2005年に高市は奈良2区に「国替え」したが、これは別に同じ極右の強敵だった民主党(現立民)の馬淵澄夫から「逃げた」わけではなく、奈良2区で郵政民営化に反対した「抵抗勢力」への刺客としての出馬だった。奈良2区での選挙結果は下記。

 

 

 しかし高市は2009年衆院選で前回勝った滝実にリベンジされて(滝は民主党に移っていた)選挙区で敗退した。しかし落選には至らなかったので私は地団駄を踏んだ。

 

 

 残念ながら高市の選挙における波乱はここまで。以後、2012年、14年、17年、21年、24年の衆院選ではいずれも2位以下を寄せ付けない圧勝を続けている。

 しかし1996年衆院選高市の「裏切り」への怨念は今も公明党支持層の間には根強い。それを裏付けるのが11月9日に公開された朝日新聞デジタルの有料記事だった。以下に無料プレゼントのリンクを張る。

 

digital.asahi.com

 

 リンクの有効期限は26日8時47分。

 それにしても1996年の怒りをそれから7年経った2003年総選挙でも忘れず、高市にとっては痛恨の、一方の公明党支持層にとっては会心の一撃公明党高市にお見舞いしたのだった。そして公明党はそのわだかまりを来年でまる30年になる今も持ち続けているようだ。

 高市早苗自民党当選当選に伴う公明党の連立離脱は必然だったと痛感させられる。

 そして、高市自民党総裁を続ける限り公明党の連立復帰は望めないであろうこと、また高市政権が長く続けば続くほど、公明党の連立復帰の可能性は遠のくであろうことが容易に予想できる。

 もちろん自民党の側からは、特に自民党内の反高市の側から、高市が総理総裁の座を離れたら連立に戻ってくれという強い働きかけが起きることは目に見えているし、それどころか、高市と公明の両方にパイプを持った人間が両者をつなげようとするかもしれない。

 そんな可能性を想定するにつけ、先の首班指名争いの政局の時に、立民の安住淳らは公明党の連立離脱表明と同時に首班指名先を、どうせ総理大臣になる気など毛頭なかったに決まっている玉木雄一郎から斉藤鉄夫に切り替えるべきだったと私は思う。

 彼らは千載一遇のチャンスをみすみす逃し、現在の「高市早苗バブル」を招いてしまった。




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