ドジャーズの大谷翔平がオリオールズの菅野智之から2打席本塁打を打ったらしいのは痛快だが、それが菅野が読売のエースだったからという要因が大きく、ドジャーズの「巨大戦力」的チーム構成自体はかつての読売や少し前までのソフトバンクを思い起こさせるので私は好まない。しかしライバルにして優勝経験の少ないサンディエゴ・パドレズまでもがドジャーズと同型のチームになって同じような弱点を抱えていることには呆れるほかない。あれは少し前までの読売と阪神に似ている。この両球団が同じような弱点を抱えていたから、下から中日(2010年)やヤクルト(2015年、2021年)にごぼう抜きされた。その意味ではナショナルリーグ西地区にはサンフランシスコ・ジャイアンツに大逆転優勝の目があるのではないかとも思うが、残り試合数とゲーム差からいってさすがに無理だろう。
今の阪神は星野仙一が監督およびシニア・ディレクター(だったっけ)で支配力を持っていた頃の悪弊から脱して、おそらく阪急系が球団経営に口を挟むようになった効果が大きいのではないかと思うが、まっとうなチームづくりをした結果優勝を勝ち取った。これには文句のつけようがない。ただ一部の阪神ファンのあり方が気に食わないだけである。
私が思うのは、2023年の7月頃まで阪神と優勝を争っていた広島とDeNAが、特に阪神戦に重点を置いたローテーションなどを組まずに直接対決に負けて最終的には阪神を独走させてしまったのは本当に痛かったということだ。当時から潜在能力的には最強だった阪神の唯一の弱点が「勝つ味を知らない」ことだった。あの年の7月頃の広島やDeNAみたいなぶざまな阪神戦の戦い方は、ヤクルト監督時代の野村克也や中日の落合博満が監督だったら絶対にやらなかった。野村ヤクルト時代には阪神は弱かったが、当時強かった読売戦と、絶対に勝たなければいけなかった阪神戦を中心にローテーションを組むと野村は公言していた。また落合はベテランの山本昌が阪神に一番通用するとみるや、阪神戦に山本を徹底的に当てるローテーションを組み、それが成功した年には阪神をカモにして優勝し(2004、06年)、山本が阪神に攻略された年には2位に終わる(2005、07年。但し07年の優勝は読売)という結果になった。野村も落合も、強いチームを徹底的にマークして直接対決で勝ちに行く戦い方をしたのである。そんな執念が新井貴浩や三浦大輔には全く見られなかった。あれでは阪神に負けて当然だろう*1。今年で監督を退任する高津臣吾が2021年と22年に優勝できたのは野村の遺産を正しく継承していたからだが、一昨年や今年の結果は、選手のスカウティングやコンディショニングに関してヤクルトは阪神の敵ではなかったことを意味する。それには高津自身の問題もあろうが、チーム作り自体に阪神とヤクルトでは大差があるということだ。
政治の記事の前振りにしようと思ったが長くなったので独立させる。タイガースは私が育った地域の球団なので思いは複雑である。でも思い出されるのはやはり野村克也の言葉だ。野村は生前、阪神は球界の盟主になれるのになあ、と言っていた。しかし野村自身は阪神とは水が合わず、阪神監督時代でさえヤクルトの選手との心理的距離の方が阪神の選手との心理的距離よりも近かったように見えた。その野村克也の言葉がいま現実になったと思う。阪神は交流戦でこそパの3球団に負け越したけれども、人気を加味すれば現在の日本プロ野球界の盟主といっても過言ではないだろう。
私はそんな野村の呪術的采配に酔いしれた人間だった*2。とはいえ野村が伊藤智仁や岡林洋一の投手生命を非常に短いものにしてしまった「負の遺産」も忘れてはいないのだけれど。