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少数与党政権下での国会の論戦のあり方を慣例にするための努力が今は求められる/今年の内閣不信任案は昨年までとは意味合いが異なる

 まずブログにいただいたコメントの紹介から。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 Avalog

個人発信されている方のブログ、youtube等へのコメント欄とはどうあるべきかという議論は、
最近色々な場所で目にする機会がありました。

私は、以下のような行為は一般論でマナー違反ではないかと思います。

・自分の意見ゴリ押し、なぜ〇〇について話さないのだ等のクレーム
・発信者の発している情報とは直接関係ない話や、(〇〇がこう言っていた等)人の悪口の展開

どこのサイトでもそうなんですが、
上記のような内容ばかり投稿するコメンテーターも見受けられます。
正直うんざりしてしまいます。

そういったことはご自身のアカウントで発信すべきかと。
皆さん発信者の情報や意見を見たいから訪問するわけで、コメンテーターのそれを見たい訳ではないでしょう。

 

 もろにこれらに該当するコメンテーターに少し前まで悩まされていたわけだが、よりにもよってその人物が「共用ブログ」の共著者に加わりたいと言ってきたことがあった。

 その時は反射的に断ったが、共用ブログの書き手になるためには「はてなID」を取得しなければならないという重要な事実を忘れていた。

 『鍋パーティーのブログ』では、最近書き手に参加していただいたレバ子(id:laborkounion)さんや、以前から記事を書いていただいているid:suterakusoさんには、まずご自身のブログに記事を公開していただいて、それらの中から書き手の方が共用ブログに投稿したいと思われる記事を書き手の方に選んでいただくという方式をとっている。

 当該の人物にも、はてなブログを開設いただいて『鍋ブログ』に載せる価値あるいは必要があると思われる記事であれば採用するというふうに答えれば良かったと思う。普段のコメント欄での書きぶりから判断して、採用する判断を私が下す可能性はほとんどないとは思うが、やってみなければわからない。

 昨日(4/21)、弊ブログがリホモIDを晒した人間は、もしかしたらその人物が真面目に人を騙そうとして書いたものではないかと私は時々疑っていた。というか今も少し疑っている。

 というのは、昨日リモホIDを晒した人間には、選択制夫婦別姓制度に対する反対論など、ネトウヨ的な方向に議論を誘導したがる傾向があったからだ。

 私が悩まされてきた人物は、弊ブログと長年の交流のあるさるはてなブログのコメント常連者となっているが、どうやら時々酔っ払ってコメントすることもあるらしく、おそらくスマホから適当なコメントを書き散らしていると思われる。

 しかし、それらのコメント連から想像されるほどのアホではなくて、真面目に人を騙そうとしたらそれなりに騙せるくらいの知性を持った人物ではないかとも思われるのである。

 というのは、当該人物が可変IDで投稿するコメントにもいくつかの傾向があって、それらの一つと昨日問題にした「トラスと日本」氏と同じリモホIDから発されたあるコメント、といってももう数か月前の話だが、それがかなり似ていたのだ。

 だから、「トラスと日本」氏の「153.151」で始まるリモホIDを「要警戒ID」とみていたし、一度承認した氏のコメントを非承認に戻したりもした。しかし氏からいただいたMMTに関するコメントをブログ記事にメインで取り上げることもした。

 そこにもってきての明白なダブハン行為。これはもろに両者に共通する行いだから、疑惑を深めた次第。もっとも、やっぱり別人かもしれないとも思う。結局のところよくわからない。コメンテーターの方は、可能であればの話で強制はしませんが、できればはてなIDを取得してコメントいただければ、と思います。はてな未登録で良いコメントをたびたび下さる方もおられ、その方々には感謝していますが。

 このあとは「伯仲国会」の話。

 1970年代には私はまだ選挙権を持っていなかったが、70年台に行われた衆院選はよく覚えている。1972年は田中角栄の大人気で自民党議席が増えるだろうと言われていたが減らした。その前の1969年衆院選で自民大勝、社党(当時の日本社会党に対して新聞が用いていた2文字の略称)が前回から50議席も減らす90議席の惨敗という結果だったから、自民党の勝ち過ぎが修正された結果だった。田中角栄時代には1974年に自民党が「金権選挙」をやって敗北し、参議院議席与野党伯仲(当時は「保革伯仲」という言い方の方が普通だった)になった。

 衆議院与野党伯仲になったのが1976年衆院選だった。自民党内の「三木おろし」によって解散が封じられて任期満了選挙になったこの衆院選自民党が敗北し、与野党伯仲の議席になったのだった。この選挙で新自由クラブが躍進したため「保革伯仲」ではなく「与野党伯仲」というべきだという意見が出た。実際には両方の言葉が用いられた。

 しかし1977年参院選自民党与野党逆転を阻止したあたりから流れが変わり、自民党の党勢が増していった。日本の世論の「右傾化」はこのあたりから始まった。

 だから1979年の衆院選でも自民党が勝って伯仲国会が終わるだろうと思われていたところに、大平正芳の一般消費税をめぐる発言のブレから自民党が前回以上にひどい負け方をしたところから、自民党内で「四十日抗争」が起きた。

 そんなところに、1980年5月に日本社会党が「まさか自民党反主流派が乗ってくることはないだろう」と高をくくって大平内閣不信任案を出したところ、自民党の反主流派(福田派=清和会を含む)が予想に反して乗っかったため、後世に「ハプニング解散」とよばれることになる解散総選挙、そして日本初の衆参同日選挙が行われた。結果は自民党が圧勝して安定多数を回復した。

 その後、自民党が好調を維持していたが、なぜか1983年衆院選に敗北して衆議院与野党伯仲に戻った。この時は新自由クラブから引き抜きなどをやって中曽根康弘が政権を維持した。柿沢弘治自民党に移籍したのはこの時ではなく、その少し前だったが、東京15区選出議員だった柿沢未途は亡父と同じ道を歩もうとしたわけだ。

 柿沢の話はともかく、中曽根は1980年と同じ効果を期待して衆参同日選挙を自ら仕掛けに行って成功した。この時は渡邉恒雄と組んでいた。つまり読売の報道を利用して「死んだふり」をしながら同日選挙を仕掛けたわけだが、私は中曽根は必ずや同日選挙に踏み切ると確信していたので全く驚かなかった。

 現在がいずれのケースに近いかといえば間違いなく1980年であって、当時党内の反主流派にそっぽを向かれた大平内閣の政権基盤は強いとはいえなかった。現在の石破内閣の政権基盤も強くない。だから、前任の岸田文雄に引き続いて石破も「緩慢な党内抗争」を仕掛けて、安倍派の議員を昨年秋の衆院選で多数追い落とすなどした。

 だから産経新聞など極右メディアも必ずしも石破の後押しをせず、現在では「減税勢力」の後押しをしてしているといえるほどだ。だから民民への支持が伸び続けているし、「減税」はいまや2001年の「改革」や2005年の「郵政民営化」、それに2009年の「政権交代」などに匹敵するマジックワードと化した。

 世論調査では「消費税減税賛成」の意見が「反対」を引き離すようになった。朝日新聞が消費税減税のデメリット(社会保障削減など)を質問文に加えたら結果が伯仲したりもするので、このあたりが「減税一本槍」の産経対「財政規律が第一」の朝日らしい対立構図とも見えるが、今回の朝日が財政規律ではなく社会保障削減の恐れを前面に出してきた点は評価できる。

 それはともかく、Wikipediaなんかは参議院は1974年から80年、衆議院は1976年から80年と1983年から86年が伯仲国会だったなどと書いているけれども、衆議院は1972年に自民党が負けたあとから既に「政権交代もあり得る」緊張感を持った国会になっていたのではないかと思う。

 それが今ではどうだ。2021年衆院選自民党が勝ったら(自民党にとっては)「黄金の3年間」がやってきて岸田文雄はやりたいことができると持ち上げ、2024年衆院選で大敗したら、その翌日から「次は衆参同日選挙だ」という。私はたまたま一昨年、昨年と選挙だらけだったから、選挙疲れもいいところで、もういい加減に止めてくれといつも思う。それでなくてもたまたまその記事に当たっている都議選や参院選はともかく、衆院選はやってくれるな、とそれは特に強く思う。

 なぜって衆議院議員の任期は4年だ。前回衆院選が行われてからまだ半年も経っていない。前回の結果が気に食わないからと言って1年も経たないうちから衆院同日選挙でひっくり返そうというのはあまりにも虫が良すぎる。

 なお今年が1980年および1986年と大きく異なる点がある。それは自民党政党支持率が大きく下がっていることだ。これは独裁権力者の座に長年居座っていた安倍晋三が、退任後2年も経たずにまだ67歳の若さで殺されてしまったために「権力の空白」が生じたためだ。

 自民党に勢いがないから、石破茂が解散カードは切りにくい。解散したら自民党が負けて民民と新選組が大躍進し、立民がどうなるかはわからないが、共産、公明、維新などは振るわない結果に終わるだろう。

 そうなると、同日選挙になるかどうかの鍵を握っているのが内閣不信任案ということになる。

 1980年の社会党は、どうせ可決されて解散にはなりっこないからと思って出したら、自民党の福田派と三木派がそれに乗っかって衆参同日選挙になった。

 私は大学生時代には東京都民だったから、最初に投票したのは1981年の都議選で、その時には社会党の候補に投票した。その私は、なんで1980年5月に社会党は内閣不信任案なんか出したのかとその頃から思っていた。あの突然の解散と、それに続く選挙中の突然の大平の死、そして選挙での自民党の圧勝と続いた無惨な経緯は、40年以上経った今でもトラウマになっている。

 あの時、大平正芳の発言のブレによってたまたま与野党伯仲が維持された国会での論戦のあり方が標準になるような惰性力(慣性力)をなぜ産み出せなかったのかと、それが悔やまれる。結局1980年代は政治的には「反動の時代」になった。特に、イギリスのサッチャー政権とアメリカのレーガン政権が相次いで成立した影響が大きく、日本でも中曽根康弘新自由主義の政治を目指した。その本格化は2001年の小泉政権を待たなければならないが、小泉以前にも新自由主義化はずいぶん進んだ。派遣労働の範囲の拡大がそうで、小泉政権以前の1999年にポジティブリスト方式からネガティブリスト方式に転換され、小泉政権時代にネガティブリストに入っていた製造業への派遣労働の導入が認められた。

 1980年の衆参同日選挙がなかったら日本の政治がどうなっていたかはわからない。

 ただいえるのは、あの時の日本社会党の選択は間違っていたということだけだ。

 政局論の観点からいえば、今年の内閣不信任決議案は昨年までとは違う。昨年までは長い間可決は事実上あり得なかった。だから野党第一党が「年中行事」として不信任案を出し続けてきた。

 今年の内閣不信任案はそうではない。少数与党政権下での国会の論戦のあり方を慣例(慣性力)にするための努力が今は求められるのであって、内閣不信任案など軽々しく出すべきではないのである。 

 

参考記事:弊ブログとは対立する立場から書かれています。

 

blog.goo.ne.jp




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