まず私の現在の地元である東京15区(東京都江東区)の話から。
酒井菜摘全力応援してたしこれだけ国替させられても従ってたから根は良い人なはずなのに…
— はいさい毎度 (@rikkenminshiji) 2025年2月3日
公認してくれるところにならどこへでも縋り付く姿勢は議員にはあまり向いてないのか https://t.co/KCBugEY1uM
上記Xが言っているのは、2021年衆院選に立民公認で東京15区から立候補して落選したあと、前回2024年衆院選では民民公認で東京4区から立候補してやはり落選した井戸まさえ(正枝*1)氏のことだ。
しかし井戸氏は自身が民民公認で立候補した昨年10月の衆院選本選はいうまでもなく、それどころか4月の衆院補選でも酒井菜摘候補を応援した形跡はない。少なくともそれを示すXはポストしていない。井戸氏が2023年12月の江東区長選で酒井氏を応援したのは事実で、Xにもポストしていたが、24年1月に高野勇斗区議が立民会派を立ち上げた時にこれに参加しなかった鈴木綾子区議に連帯する意思表示をしたXのポストが発信されている。以下にリンクを示す。
下記は区長選の開票速報を受けての2023年12月10日のポスト。
https://t.co/6ax0Tbkboe
— 井戸 まさえ 国民民主党 東京都第4区(大田区) (@idomasae) 2023年12月10日
新江東区長が決まりました。
酒井さんは残念でしたが、難しい選挙に果敢に挑戦したことに、心から敬意を。
地方でも国政でも政治不信が高まる中、「選挙」の重要性は増しています。
私自身もやるべきことを考え、行動していきたいと思っています。
そして下記が2024年1月25日のポスト。
江東区で共に活動してきた鈴木綾子区議が立憲民主党を離党されました。
— 井戸 まさえ 国民民主党 東京都第4区(大田区) (@idomasae) 2024年1月25日
様々な雑音にも惑わされず、政策本意で活動する鈴木さんの姿に私も学び、励まされてきました。
さらなるご活躍を祈念しています✨ https://t.co/SgRcDjGtpH
この記事を書くために調べてみたら、井戸氏のポストは2023年12月にまでしか遡れなかった。しかし2023年11月に井戸氏が酒井氏の区長選出馬を応援して選挙活動を手伝ったポストを発信していたことは間違いない。弊ブログに証拠が残っているかもしれないが、今朝は調べる時間の余裕がない。
考えられるのは、酒井氏の区長選落選後、間を置かずに衆院補選にも酒井氏を擁立しようとするする動きがあって、当然それには高野区議が動いたと思われるから、そうなると立民公認候補から外れることが本決まりになる井戸氏に同情した鈴木区議が立民を離党したのではないかとの仮説だ。
東京15区の候補者擁立については、2021年の落選者の中で、参院選への転出が内定していた水野素子氏を除いて、なぜ井戸氏だけが転句の際の口約束(?)に反して総支部長に再任されなかったかが問題になる。弊ブログは何度も、立民は維新との選挙協力のために東京15区を当時金澤結衣が在籍していた維新に譲るつもりでもあるのではないかと疑って発信を続けてきた。当時、立民前代表の泉健太がしきりに維新前代表の馬場伸幸にすり寄っていたことも、この疑念を強めた。
結局柿沢未途が逮捕されて江東区に権力の空白が生まれた上、2023年夏頃から維新の勢いが上げ止まり、逆に立民の勢いが増していったこと、それに柿沢はもともと民主・民進系右派の政治家であって2017年衆院選には希望の党公認で立候補して、柿沢同様のちに逮捕されて失脚した自民党の秋元司に選挙区で敗れたものの比例復活していた。そういう経緯なら旧民主・民進系から候補を出すのは当たり前だった。だから誰を出すかが問題になったが、酒井氏を公認で立てるか、当時参院議員だった須藤元気の無所属出馬に乗っかるかの二択になって、その時点で既に井戸氏の名前は消えていたのだった。
この経緯にヘソを曲げたのは理解できるし、実際、転区の経緯はあまりにも冷酷非情だったから、弊ブログは井戸氏の民民移籍については、つい先日まで批判しなかったばかりか、2021〜24年までの立民の井戸氏に対する仕打ちを批判してきた。
しかし2024年衆院選での民民躍進を境に、民民の政党としての体質が一変して、それまでの労組に支えられた政党から極右と新自由主義者が大半を占める「玉キッズ」とよばれる人たちに支えられる政党に変わった状況において井戸氏が変節(転向)したとしか認められないXをポストしたとなると話は変わる。これを機に、弊ブログは井戸氏を強く批判する側に転じた。
かつてあれほど井戸氏に同情的だった立民支持者のnaoko氏*2も、今では井戸氏を見放している。
情勢によって基本的な考え方をコロコロ変えるという点では、井戸さんは玉木党に似つかわしい政治家だ。
— naoko (@konahiyo) 2025年2月2日
さて、伊藤孝恵さんは子の姓の問題は慎重な議論が必要と言い出すのだろうか。
少なくとも代停や幹事長の発言に異は唱えていない。
結局、民民には骨のある政治家など誰一人としていないということかもしれない。
その民民だが、また極右とおぼしき一回生がやらかした。名前は橋本幹彦。29歳の防衛大卒の元自衛官らしい。
以下引用する。
安住委員長、国民民主1回生を一喝 「制服組」出席巡り 衆院予算委
毎日新聞 2025/2/5 12:11(最終更新 2/5 19:55)
衆院予算委員会の5日の審議で、「制服組」と呼ばれる現役自衛官を国会答弁に呼ぶよう求めた国民民主党の橋本幹彦氏を、安住淳委員長(立憲民主党)が厳しく注意する一幕があった。
質問に立った橋本氏は、事前に複数の制服組幹部の予算委出席を求めたが、戦後一度も答弁に立った例はないとして、同委理事会で認められなかったと発言。「委員部(衆院の担当部署)が安住委員長にどのように耳打ちしたかわからないが……」などと言及しながら批判した。これに対し安住氏は、国民民主も合意した上で決まったと指摘し「先の大戦のことも踏まえて、文民統制の観点からそうしてきた。偏った考えで判断していない」と反論した。
橋本氏がさらに「制服組を国会に呼べない法的根拠はない」などと抵抗すると、安住氏は審議を一度止め「行き過ぎた誹謗(ひぼう)中傷は看過できない。戦後長いルールの中で重く積み上げてきたもので、(防衛相や防衛官僚が)防衛省の組織として責任を持ってここで答弁していることを、否定するようなことは許されない」と一喝した。
橋本氏は元自衛官で29歳。昨年衆院選に埼玉13区から立候補し、自民党旧安倍派の三ツ林裕巳氏(裏金事件を受けて非公認)を破って初当選した。【村尾哲】
URL: https://mainichi.jp/articles/20250205/k00/00m/010/096000c
記事についたブコメより。
安住委員長、国民民主1回生を一喝 「制服組」出席巡り 衆院予算委 | 毎日新聞
文民統制の観点からそうしている極めて取扱注意の慣例を、しかも党として合意している事を一議員が質問の場でひっくり返そうとしたらあかんでしょ。安住がどうとかいう問題じゃない。
2025/02/05 13:55
安住委員長、国民民主1回生を一喝 「制服組」出席巡り 衆院予算委 | 毎日新聞
「委員部が安住委員長にどのように耳打ちしたかわからないが」←かつての歴史を踏まえた慣例で決まっていることを持ち出して、まるで安住と委員部が裏で示し合わせたかのように言い立てたのは委員会への誹謗中傷だろ
2025/02/05 15:33
安住委員長、国民民主1回生を一喝 「制服組」出席巡り 衆院予算委 | 毎日新聞
文民統制ガン無視の元自衛官とか、国民民主党、すごいモンスターを飼ってるな。/「委員部(衆院の担当部署)が安住委員長にどのように耳打ちしたかわからないが……」…間違いなく玉木チルドレンだ。
2025/02/05 17:57
まあ玉木雄一郎自身が「あんたが大将」とおだてられて岡田克也が貯め込んだ政治資金を湯水のように浪費しても党勢がいっこうに上向かなかったのが、誰に入れ知恵されたのか「減税」と「積極財政」を連呼して(この2つがなぜ両立できるのか私にはさっぱり理解できないが)、ついに当たりくじを引いてしまったモンスターだからどうしようもない。
なお私が本格的に政治に関心を持つようになったのは高校生時代の1978年で、当時議論になったのが栗栖弘臣という人物(自衛隊の統合幕僚会議議長)が発した「超法規発言」だった。これに関して、「三矢研究」も知った。シビリアン・コントロール(文民統制)という言葉もその時覚えた。栗栖については手抜きで申し訳ないが以下Wikipediaより。
1978年(昭和53年)7月、「週刊ポスト」誌上で「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」と有事法制の早期整備を促す“超法規発言”を行う。かつて法務科士官であった視点での発言であったが、これが政治問題化し、記者会見でも信念を譲らず、同様の発言を繰り返したため、文民統制の観点から不適切として、時の防衛庁長官・金丸信に事実上解任された[2](2代後の竹田五郎も専守防衛政策を批判し解任されている)。しかしその後、首相(当時)の福田赳夫が閣議で有事立法・有事法制の研究促進と民間防衛体制の検討を防衛庁に指示。国防論議のタブーが破られ、以後多くの国防論議が巻き起こるきっかけとなった。
1980年(昭和55年)6月、第12回参議院議員通常選挙の東京都選挙区に民社党公認で出馬したが、落選。その後は静岡新聞の客員論説委員、金沢工業大学附属国際問題研究所所長、国士舘大学客員教授などを務めながら多数の著書などで安全保障問題の発言を続けた。
栗栖は「超法規発言」の2年後に、当時「自民党より右」といわれた民社党公認で参院選東京選挙区に出馬して落選した。
前記毎日新聞記事のYahoo! 配信でこの栗栖弘臣の名前を引き合いに出して民民を批判したのが政治学者の中北浩爾氏だ。
安住委員長の説明によると、予算委員会の理事会で、国民民主党、自民党を含む全会派の理事が合意して、シビリアン・コントロールの観点から制服組の答弁を認めないと決めたそうです。にもかかわらず、この国民民主党の1回生議員がしつこく質問したのだとしたら、同党はガバナンスをきちんと効かせるべきでしょう。
これをみると、国民民主党が右傾化しつつあると言わざるを得ません。振り返れば、民社党が1980年の参院選で栗栖弘臣氏を擁立したのを彷彿とさせます。栗栖氏は有事法制の早期整備を促し、「超法規的行動に出ることもありえる」と発言して、事実上、統合幕僚会議(統幕)議長を解任された人物でした。国民民主党は、立憲民主党と差異化するために、自民党の右側に立ち位置をとろうとしているのでしょうか。
まさしく「歴史は繰り返す」事例だ。しかも統幕議長だった栗栖弘臣と、自衛隊にはほんの一時期いただけで「経営コンサルタント」に転じてイキリの玉キッズ国会議員になっただけのチンピラ・橋本幹彦との落差は、「二度目は笑劇として」にもみごとに該当している。
そんな民民で玉キッズに媚びまくる井戸まさえ。これぞ落魄の「岩波文化人」の末路だろう。