プロ野球元阪神タイガースの吉田義男氏が死去した。享年91、死因は脳梗塞だったとのこと。
私はタイガースファンではないがタイガースの地元(阪神間)で育った。生まれも大阪府なので、スワローズファンながら元地元民としてそれなりに虎ヲチはしている。とはいえ、1日の報道特集の枠内で短時間プロ野球のキャンプインが報じられた時に画面に真っ先に出てきたのが阪神(次が読売だった)ことからもわかる通り(TBSは自系列にして昨年日本一のベイスターズよりもこれらの球団を優先して画面に出した)、阪神は今や日本プロ野球で一番人気が高い球団だ。
以下に日刊スポーツの訃報記事をリンクする(引用は省略)。
上記記事についた下記のブコメにウケた。
元阪神監督の吉田義男さん死去、91歳 85年に球団初の日本一導く 現役時は「今牛若丸」の異名 - プロ野球 : 日刊スポーツ
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タバコに一本一本「吉田」印が押してあったというのは本当だったのだろうか(笑)。合掌。
2025/02/04 17:37
そうそう、そんな話があった。
吉田氏の現役時代を私は知らない。安打数が1864本で2000本に未到達だったことも認識していなかった。そういや「名球会」とやらで吉田氏を見かけたことはなかったなと今になって思い当たる程度で、このあたりが非阪神ファンの認識なのかもしれない。
監督としては第一次(1975〜77年)も第二次(1985〜87年)も、強い時は強いけれども最後にはチームをボロボロにして辞めていったとの印象が強い。第三次(1997〜98年)は最初からダメだったが、それでも1998年に球団ワースト記録を更新する12連敗でとどめを刺したあたりがこの人らしいと思った。その吉田義男のあとを受けて3年連続最下位、吉田時代から通算して4年連続最下位という、スワローズにも経験のない大記録を達成したのが、スワローズ時代には大監督だった野村克也だった。ちなみにスワローズのワーストは2年連続最下位で、これは何度もやっているが、不思議と3年連続だけはない。ヤクルトが20年ぶり日本一になった2021年の開幕前に書かれた下記の記事にある通り、プロ野球ワーストは大洋ホエールズの6年連続最下位だ。セ・リーグでそれに次ぐのが阪神だが、立浪和義が監督になって3年連続最下位に沈んだ中日が今年も最下位だと阪神に並ぶプロ野球ワースト2位になる。パ・リーグには4年連続最下位を経験したチームはない。
吉田義男はタイガースを日本一にした監督だったけれども最下位にもした監督だったというと、いしいひさいちが漫画に描いたスワローズの広岡達朗を思い出させるが、明らかに吉田の方がひどかった。
第1次政権時代には最下位こそならなかったが、1976年に読売とリーグ優勝を争った時、最後の読売との5連戦(最初3試合が後楽園であとの2試合が甲子園)に読売が3勝2敗なら読売の優勝、しかし阪神が3勝2敗なら2位阪神に残り試合全勝なら優勝というマジックが点灯するシチュエーションだった。しかし結果は、後楽園で初戦に引き分けたあと読売が連勝したあと、甲子園での2試合には阪神が連勝して2勝2敗1引き分けとなり、読売にマジック「1」が点灯したのだった。結局読売は広島での最終戦に逆転勝ちして優勝したが(胴上げ投手はのちに阪神に移籍した小林繁だった)、長嶋茂雄の胴上げの試合の相手を前年のリーグ覇者・広島に押しつけた阪神に対して「なんちゅう球団やねん」と思った印象が強い。もっとも阪神ファンの教師は広島読売の最終戦での広島に対して「広島、なんで池谷出さへんねん」と怒っていたが(池谷公二郎はこの年20勝を挙げてセ・リーグ最多勝だった)。
問題はその翌年で、阪神は出足好調だったが、首位チームとして2位読売を甲子園に迎えた読売との最初の3連戦に全敗すると(それも初戦に9回二死から逆転された)、そのまま二度と首位に返り咲かなかったどころか夏場以後ボロボロで9月には9連敗して球団史上最低勝率記録の4位に終わった。吉田監督は在阪スポーツ紙からボコボコに批判されて退陣したが、その翌年、つまりスワローズが広岡監督で初優勝した1978年には、前年更新したばかりの球団最低勝率を後藤次男監督が大きく更新する最下位(もちろん球団史上初)を記録した。しかしまさか更新されることがないと思われたそのワースト記録をさらに更新したのが、第2次吉田政権最後の1987年だった。
1985年にチーム「一丸」となって二リーグ制になって初の日本一を達成した阪神がなぜ2年後にこんな結果になったかは実に不思議なのだが、吉田義男には間違いなく一時期チームを活性化させて強くする能力があったと私は思っている。それが結果として出たのが、惜しくも優勝には届かなかった1976年であり、圧倒的な打撃力で日本一になった1985年だった。
実は最近、阪神ファン及び関西在住と思われる読売ファンが公開した80年代の阪神のYouTubeの動画に結構はまっている。神戸のサンテレビが「虎辞書なる」という番組で過去の阪神の勝ち試合を放送しているらしく、阪神ファンばかりか読売ファンまでもがその映像を公開しているのだが、甲子園で読売が負ける試合ばかりなのでついつい見入ってしまう。それらを見ると、安藤統男監督時代の1982〜83年頃の阪神は結構強かったことがわかる。ことに1983年の阪神は甲子園で対読売7勝4敗2引き分けであり、江川卓にも西本聖にも一度も負けていない。特に江川は甲子園で0勝4敗1引き分けだった。しかしその一方で83年の阪神は、甲子園で槙原寛己にはプロ一発完封を含めて2敗して勝ちがなかった。結局安藤監督時代には阪神は地力がありながらどうしても勝ち切れず、それどころか1984年には大きく後退して*1吉田義男が監督に復帰した。85年の阪神は、その大の苦手の槙原*2から甲子園でバックスクリーン3連発をやった試合をきっかけに、阪神はチーム一丸となった。あの年の阪神打線は、確かに今見てもすさまじい。ヤクルトの高野光が先発した神宮の試合では、二死無走者から8点を挙げたりしていた。
それほど集中力があったチームが、なぜ2年後にああなってしまったのか。それも何度監督をやっても必ず最後にはボロボロになるとは、どういうメカニズムが働いていたのだろうか。
そのあたりは今もよくわからない。