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『ドラえもん』とアニミズム

 昨年11月18日に発売された平凡社新書『入門講義 アニミズム』(奥野克巳・著)を読みました。

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「テクノ・アニミズム」の典型的事例として『ドラえもん』をあげ、『ドラえもん』がもつアニミズムを解説する箇所があります。
 テクノ・アニミズムとは、テクノロジーを駆使してつくられたロボットのような人工物に、人間と同等の「魂」があるとする考え方、人間がそういう人工物と友好的な関係を築く態度のことです。
ドラえもん』がどうアニミズムなのか? 本書を読んだ私なりの理解をここにまとめておこうと思います。

 

 著者の奥野克巳さんは、アニミズムとは「簡単にいえば『万物に魂が宿る』とする思想です」と説きます。

 そしてまたアニミズムは、デカルトが完成させた「西洋の二元論」を基盤として形づくられたわれわれの生きる現代社会の常識をひっくり返すものでもあります。「西洋の二元論」とは、人間と非人間(人間以外の生物、自然、人工物)との間に明確な境界線を引き、それらの間に「支配と服従」の関係を築く人間中心主義的な思考のこと。人間を支配する側、非人間を服従する側と考える世界観です。

 そのような「西洋の二元論」を基盤として成立している現代社会で、なぜアニミズムを語る必要があるのか?
 単に伝統文化の知恵を知るということではありません。過度の自然破壊や行き過ぎたテクノロジー進化など人間中心主義の世界が限界を迎えつつあるなか、人間は自然を一方的に支配・管理・改変する主人ではなく、他の生物やモノたちとともに地球に暮らす仲間だと気づくこと。それが、あまりにも自然に介入しすぎてしまった人間がこれからの時代を生き抜くための古くて新しい知恵なのだと奥野さんは訴えます。

 

 奥野さんは「西洋の二元論」に基づいた現代人の常識と対比し、その常識をひっくり返すことでアニミズムの輪郭をより鮮明にしようと試みます。そのさい「静と動」2つの視点を用いました。
「人間こそ地球の主人である」という常識に対し、「人間だけが地球の主人ではない」とするのが静のアニミズムです。そして、「人間と非人間の存在は断絶し、別々の世界を生きている=西洋の二元論」に対し、「人間と非人間の内面は連続し、互いの世界を往き来している=往還」と考えるのが動のアニミズムです。

 

 ここまでの話をふまえたうえで、奥野さんが『ドラえもん』のアニミズムをどのように説明しているかを紹介しましょう。
 奥野さんは、『ドラえもん』は日本のコンテンツにおけるテクノ・アニミズムの初期の典型といえるとし、次のように述べます。

ドラえもん』の作中では、22世紀から来た猫型ロボットが、小学生ののび太とともに暮らし、どこにでもある昭和の日常に溶け込んでいきます。(略)ドラえもんは極めて人間的な存在です。それでいて、ときどきメンテナンスが必要になったり、恋愛対象が近所の猫だったりと、ロボットらしさや猫らしさも残しています。

 身体的には人間と違う猫型ロボットのドラえもんを自分らと共通の内面性をもつ平等の友人として受容するのが『ドラえもん』で見られる「静のアニミズム」です。
 そして奥野さんは、『ドラえもん』の話の構成に日常と非日常の「往還」があると指摘します。『ドラえもん』においては、四次元ポケットとそこから出てくるひみつ道具が日常と非日常を「往還」させるメビウスの帯のような連絡通路の役割を担っています。そうした日常と非日常の「往還」が『ドラえもん』のもつ「動のアニミズム」なのです。そんなふうに『ドラえもん』では「静と動」両方のアニミズムが見られるわけです。
 私のまとめ方では言葉足らずで理解しづらいかと思いますので、関心を持たれた方は『入門講義 アニミズム』をお読みになってみてください。

 

 私は、奥野さんのこの解説のおかげで『ドラえもん』をアニミズムの観点から読み返す楽しみができました。静のアニミズム、動のアニミズム、テクノ・アニミズムといった用語を知ることができたので、それらを手がかりに『ドラえもん』を読みなおすと新鮮な知的体験ができそうです。その体験を通してアニミズムというものへの理解がより深まれば、それもありがたいことです。
 身体的には人間と異なる存在を自分らと共通の精神性をもつ平等の友人として受容する状況がアニミズムだとすれば、『ドラえもん』ばかりか『オバケのQ太郎』をはじめ多くの藤子作品がまさにそのような状況を描いています。日常に闖入してきた異分子が人間と対等な友達として受け入れられ日々の生活に溶け込んでいく、というパターンは藤子作品の定番ともいえます。藤子作品はアニミズムと親和性が高いということになりましょう。
 アニミズムについてあまりよく知らなかった私ですが、アニミズムという響きだけは昔から頭に染みついていたので、このたび藤子作品とアニミズムがこういうかたちで親しく結びついて、なんだか嬉しいです。

 

 私の頭にアニミズムという響きが染みついたのは、手塚治虫先生がアニメーションへの思いを語る中でよくアニミズムを引き合いに出していたからです。たとえば、手塚先生のこんな文章にアニミズムの語が登場します。

 ぼくがSFであるなしを問わず、作品に変身をよく使うのは、その奇想天外な映像上の工夫と幻想的表現がマンガの要素にぴったりなのと、ことにアニメーションでは、エミール・コールが「ファンタスマゴリー」の名で発表した初期の動画に見られるように、あきらかに物の形がつぎつぎに変わるおもしろさを目的とした表現法に、変身がもっとも利用しやすいからである。アニミズム、つまり万物精霊思想という原始的発想とともに、自分自身もしくは特定の対象を別のものに変える願望は、アニメーションの世界である程度カリカチュアライズされながらも充たされたといってよいだろう」
「SFアトランダム メタモルフォーゼ」 初出「宇宙塵」第130号1969年1月20日発行

 

 アニメーションとは「動画」という意味にとられているが、本来はアニミズム、つまり、生なきものを、生あるがごとくに見せる方法そのものをいうのである。
「ニューヨークのディズニー」 初出「文藝春秋」1967年5月号

 手塚先生のそうした発言が、私の中にあるアニミズムの原風景なのです。

『入門講義 アニミズム』でもテクノ・アニミズムを描いた日本のコンテンツにおける初期の典型として手塚先生の『鉄腕アトム』のタイトルが挙げられています。(それ以上は言及されませんが)

 本書においてアニミズムとの関連で論じられているポップカルチャー作品は、『ドラえもん』のほかに『スーパーマリオブラザーズ』『ポケットモンスター』『ウルトラマン』『アンパンマン』、そしてジブリ作品などです。なかでも特に大きく取り上げられているのは『風の谷のナウシカ』で、そのためにひとつの章が設けられています。

 

 この本は、アニミズムの基礎知識やアニミズム研究の歩みを入門的に学べるとともに、「なぜいまアニミズムなのか」「身近なところにもアニミズムがある」という部分で自分ごとに引きつけて読める一冊でした。
 現在、「格差」と「分断」の社会問題が噴出しています。そんななか、「格差」「分断」とは対極の「フラット」「共感」を本質とし「平等」と深い相互関係のある「アニミズム」を問題解決のヒントにしてほしい、日々の生活に活かしてほしい、というメッセージが伝わってきます。

 そもそも、いにしえより八百万の神を信仰してきたといわれ現代になってマンガやアニメに親しんできた日本人にとっては、アニミズムは比較的なじみ深いものかもしれませんね。それをもっと理解しもっと活用できたらよいだろうなと思います。




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