4月13日から大阪・関西万博が始まっています。行ってきた知人が、日本館で案内役を務めるドラえもんの写真を送ってくれました。ありがたや。




■日本館に「ドラえもん」が登場!日本ならではの「循環型ものづくり」の考え方を楽しく解説
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000128441.html
大阪・関西万博は今年10月13日まで開催されますが、私は今のところ行く予定はありません。今回送ってもらった写真を見てドラえもんが万博で仕事をする様子を確認できたので、とりあえずそれで満足しておくことにします😄
大阪・関西万博が始まった影響で、1970年の大阪万博の話題もよく見かけるようになっています。1970年の大阪万博(以下、EXPO'70)は、日本初というだけでなくアジア初となる国際博覧会で、「人類の進歩と調和」をテーマに77か国が参加、高度経済成長を達成した日本が終戦25周年を記念して国家的規模で手掛ける大プロジェクトでした。期間中に6400万人を超える入場者があり大成功に終わったのですが、じつは、その6400万人強のうちの一人が私だったのです。
そう、私はEXPO'70に行ってるんです。
行ってるんですが、当時2歳だった私は行ったこと自体を憶えていません。憶えていないながらも、写真が残っているので行ったことは間違いないのです。


・こんな写真が残っているのです。
ところで、次の画像をご覧ください。
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年公開)の冒頭、EXPO'70会場のシーンから引用しました。背景に太陽の塔が見えますが、ここで注目したいのは、しんちゃんの妹・ひまわりが黄色いベビーカーに乗っていることです。これは、EXPO'70会場でレンタルされていたベビーカーです。
それと同じものに私も乗っていたようです。こんな写真があるのです。
ひまわりの乗るベビーカーと同一のものと思えます。『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、このベビーカーを作品内で描いていたのですね。流線型のデザインで、当時としては未来的なイメージに満ちたベビーカーです。色は黄しかなかったのか、それ以外にもあったのか…。
ともあれ、記憶に残っていないながら、このベビーカーに乗れたことを今さらながら嬉しく思います。
EXPO'70のシンボルといえば、引用した『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の画像にもバッチリ描かれているように、やはり太陽の塔ですね。万博に詳しい方は、いやあれもあるしこれもあると挙げられるかもしれませんが、私の印象では太陽の塔一択です😄
私がEXPO'70へ行ったときの写真の中には、太陽の塔が写ったものもあります。
・私の隣はいとこです。EXPO'70に行ったからには太陽の塔と一緒の写真がほしいし、実際こうして撮ってもらえていてよかったです。
太陽の塔といえば、3年前(2022年)の8月のことを思い出します。とても暑い日でした。今も万博記念公園にそびえ立つ太陽の塔の前で、アニメーターの金子志津枝さん、漫画家の原田高夕己さんとこんな写真を撮ったのです。

私の太陽の塔にまつわる思い出の中で最も記念となる、最高の思い出です。先ほどの写真のようにEXPO'70へ行った2歳の私も太陽の塔との写真を撮ってもらっていて、本来ならそれも最高の思い出になるはずですが、いかんせん記憶に残っておらず思い出そうにも思い出せないので“思い出”とは言いがたいのです(笑)
金子志津枝さん、原田高夕己さんと写真を撮ったときは、金子さんにサイン色紙を描いていただいたのもじつにありがたい出来事でした。

酷暑のなか、帰りの時間が迫っているなかで描いていただき、恐れ入るばかりです。
今月15日に、水田わさびさんら新声優陣によるリニューアル『ドラえもん』の初回放送からちょうど20年を迎えました。そのことは当ブログでも取り上げました。
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2025/04/15/213427
そんな水田わさび版『ドラえもん』初回放送3作のうちの1作(2話目)である「タイムマシンがなくなった!!」の作画監督だったのが、他ならぬ金子志津枝さんだったんですよね!
今年は、太陽の塔をシンボルとしたEXPO'70から55年、水田わさび版『ドラえもん』初回放送から20年という節目の年にあたるのです。
そして、もう一つ強引に“万博つながり”で言うなら、水田わさび版『ドラえもん』初回放送のころには愛知万博が開催中で、初回オンエア時にこんな情報コーナーが挟み込まれました。(愛知万博の開催期間は2005年3月25日〜9月25日)




・2005年4月15日放送『ドラえもん』(テレビ朝日系)より引用
愛知万博のエキスポビジョンで上映された「地球に吹く風 〜世界から広場へ〜」にドラえもんが登場していたのです。エキスポビジョンは愛知万博会場内の愛・地球広場に設置された巨大ビジョン。そこで上映された15分のプログラムが「地球に吹く風 〜世界から広場へ」でした。このプログラムのナビゲーターとしてドラえもんが出演したのです。
大山のぶ代さんから水田わさびさんに交替していちばん初めに一般公開されたドラえもんがこれでして、4月15日のテレビ初回放送より前の3月25日からお披露目されていました。テレビのワイドショーやニュースなどで水田わさびさんが声をあてたドラえもんが初めてお茶の間に紹介されたときも、このプログラムの冒頭の映像が使われていました。言ってみれば、「地球に吹く風」こそが、わさドラ最初の映像作品だったのです[※註]。
ちなみに、このプログラムのドラえもんはCGで描かれていました。


ここで、太陽の塔の話に戻ります。太陽の塔の作者は、言わずと知れた岡本太郎ですね。その岡本太郎が世に放った言葉で最もポピュラーなのは「芸術は爆発だ」でしょう。少なくとも私の頭にはその言葉が真っ先に浮かびます。
藤子・F・不二雄先生の『チンプイ』に登場した宇宙的ファッションデザイナー、デブラ・ムー先生がこのフレーズをダイレクトに使っています。デブラ・ムー先生は、地球のジャイアントパンダの姿にそっくりの風貌で、気難しいタイプの天才芸術家。そんなムー先生がデザイン作業をするとき「芸術は爆発だ!!」と叫び、ドカンドカンと本当に爆発的な音を立て爆発的な振動を起こすのです。
岡本太郎の「芸術は爆発だ」を世間に一気に広めたのは、マクセルのエピタキシャルビデオカセットのCMです。私はそのマクセル・エピタキシャルビデオカセットを今も一本だけ持っています。

1980年代のある時期、番組録画のため実際に使っていたものです。
[※註]
愛知万博での「地球に吹く風」の上映は2005年3月25日からでしたが、水田わさびさんによるドラえもんの声を初公開するという名目で「地球に吹く風」の映像の一部が同年3月13日放送の「ワイドスクランブル」で紹介されました。そして、3月18日放送の「報道ステーション」でも同作品の映像の一部が紹介されました。
したがって、水田わさびさんによるドラえもんの声が初めて一般公開されたのは2005年3月13日ということになります。