楳図かずお先生が今年10月28日に他界された、との報が11月5日に発表されました。88歳でした。
私は子どものころから楳図先生の作品を読んでいて、今もとてもとても大好きな漫画家です。はじめて読んだ楳図作品は『まことちゃん』。小学生のころコミックスを買ってもらっていました。その後読んでいった『おろち』『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』などなど、どれを挙げても好きな作品ばかりです。そして傑作ぞろいです。
まさに鬼才であり天才でした。
今世紀に入ってからは、トークショーや音楽ライブやサイン会など楳図先生とお会いできるイベントに何度も足を運びました。





何度も楳図先生のお姿を拝見してきた私が、そのお姿を生で拝見する最後となったのは、昨年(2023年)6月8日のこと。手塚治虫文化賞贈呈式の会場でした。楳図先生は同賞の特別賞を受賞され、先生の記念トークショーが開催されたのです。




このように楳図先生のお元気な姿をたっぷり拝見できて嬉しかったです。先生のハイパーなノリのトークとパフォーマンスは、キレがよくて笑いがあって奥が深く、鬼才オーラ全開で観客を魅了しました。
こんなにもお元気な楳図先生のお姿を見ていたものですから、その翌年に訃報を聞くことになるなんて、あまりにも信じがたいことです。衝撃が大きいです。
楳図先生の訃報に際して、先生が小学1年生から東京へ出るまで(昭和18年から38年まで)暮らした奈良県五條市を訪れたときのことを思い出しました。


・五条駅


・楳図先生が卒業された中学校と高校の跡地。





・まことちゃん地蔵を参拝しました。「まことちゃんを拝むと、お寝小が治るなのら~」がこのお地蔵様のご利益てす。文言は楳図先生の考案されたそうです。

・まことちゃん地蔵の近所に楳図先生の幼なじみ井上さんが営むお好み焼き屋さん(今は営業していません)があります。井上さんは、楳図先生より3つほど歳下。まことちゃん地蔵を建てたのも井上さんです。
楳図先生は井上さんを「とみさん」、井上さんは先生を「かっちゃん」と呼び合った仲だとか。





・井上さんのお店でお好み焼きを食べながら、井上さんから楳図先生との交遊エピソードをうかがえてとても楽しく貴重な機会になりました。

・井上さんのお店で楳図仲間たちと楳図先生への寄せ書きメッセージを書きました。井上さんはそれを楳図先生のお宅へファックスで送信するとおっしゃってくださって、一同大感激。後日談として、楳図先生がたいへん喜んでいらっしゃったよ、という話もありました。ますます感激!
楳図先生が上京前に最も長く暮らされた土地で感無量の旅となりました。
当ブログは藤子ファンブログなので、すこし藤子先生とも絡めて楳図先生に思いを馳せたいと思います。
楳図先生は、藤子先生や石ノ森先生他と同じく『新宝島』(原作・構成 酒井七馬/作画 手塚治虫、昭和22年)に強く触発されて漫画家をめざした人物であり、トキワ荘レジェンドたちと同世代で同時代に活動した人気漫画家です。ところが楳図先生は、私が参加したあるトークイベントでトキワ荘についてこうおっしゃっていました。
《トキワ荘とはぜんぜん関係なかった。トキワ荘の前を通ったこともない。僕が住んでいたのはみどり荘》
楳図先生が上京された昭和38年にはトキワ荘に藤子先生たち漫画家がもう住んでいなかったという事情もありましょうが、ご本人がそう断言するくらい楳図先生はトキワ荘系とは関係を持たない漫画家さんだったわけです。そんな楳図先生でありながら、2009年11月5日(木)放送の「スタジオパークでこんにちは」(NHK総合)に出演された際こんなことを語られました。
《僕は手塚治虫先生に憧れてマンガを描くようになったが、いつまでも手塚風のままでは手塚先生のコピーでしかないと思った。
ようやく手塚マンガとは違う作品を描けるようになった中学二年生のころ、手塚先生のところへ自分の作品を送ったことがあった。手塚先生から何かリアクションがあったわけでもなく、それっきり忘れていた。
それから何十年もたって、赤塚不二夫賞の審査員をつとめたさい、隣に座った藤子・F・不二雄先生から「手塚先生が楳図かずおという天才があらわれた、とおっしゃっていた」という話を聞いた。
手塚先生は、宝塚の自宅の壁に僕の絵を貼っていたという》(楳図先生のこの発言は私が要約したものです)
藤子F先生からそういう事実を聞いた楳図先生は、自分が手塚先生から評価されていたことを初めて知って、感銘を受けたそうです。
藤子F先生が手塚先生から「楳図かずおという天才があらわれた」と聞いたのは、昭和27年3月21日、2人の藤子先生が高校卒業式後の春休みに宝塚の手塚先生宅を訪問したときのようです。
このときのことを藤子不二雄Ⓐ先生も語っています。
《技術的にはぼくらも結構初めはいろいろと実験的な試みをしたのですよ。その頃は、みんな競って実験的なことをやっていたのですが、手塚先生の所へ行ったら、「関西で、すごい新人が出てね、こんな絵を描くんだよ。ぼくにもこんな構図は描けなかった」といい、どういう構図かというと、人物があり、それを今なら硬質ガラスみたいなものの上に立たせ、下から見たという構図なのです。その頃では、正に革新的な構図で、びっくりしました。それを描いたのは、楳図かずおさんで、なかなかすごいと思いましたね。》(月刊マンガ少年別冊『地球へ…』第3部、1980年、藤子不二雄・中島梓・竹宮惠子の座談会より)
F先生にとっても、Ⓐ先生にとっても、宝塚の手塚治虫邸訪問で知らされた天才・楳図かずおの存在はその後もずっと記憶に刻まれるほどインパクトがあったようですね。
マンガ『手塚治虫アシスタントの食卓』(堀田あきお&かよ著)で、手塚先生のアシスタントさんたちが手塚先生の仕事部屋を片付けていたら表紙に「楳図一雄」と書かれた大学ノートが見つかるエピソードが描かれています。ノートの中身は楳図先生の作品。この大学ノートこそ、楳図先生が中学二年生のとき手塚先生に送って、手塚先生を「天才あわらる!」と驚かせたまさにその作品が描かれたノートなのでしょう。手塚先生は、楳図先生に何も返答しなかったものの、ずっと保管されていたわけです。


『新宝島』を読んで「漫画家になろう!」と思った楳図かずお先生。さすがだなと思うのは、手塚治虫先生と酒井七馬先生からの影響をきっちり区別していたことです。そのことがうかがえるインタビューがこちらです。


・「文學界」2022年4月号の楳図かずお先生インタビューより
『新宝島』に触発されて漫画家をめざした人物はじつに多いのですが、その場合、手塚先生からの影響ばかりが語られがちなのです。楳図先生のように、酒井七馬と手塚治虫を分けてその影響を語る実作者の事例は珍しい気がします。
いま引用した「文學界」の楳図先生インタビューは、ほかにもかなり興味深いご発言が見られます。ご自身の『まことちゃん』と藤子F先生の『ドラえもん』の違いを分析的に語っておられるのです。

・「文學界」2022年4月号の楳図かずお先生インタビューより
『まことちゃん』と『ドラえもん』…といえば、多くの藤子ファン・ドラえもんファンが『ドラえもん』の一編「主役はめこみ機」を思い出しそうです。まことちゃんの顔にのび太の顔がはめ込まれたコマがあって、その顔に相当なインパクトがあるのです。まことちゃんにされたのび太が次のコマで「少年サンデー」を放り投げたときの表情がまた味わい深いですし。
若い世代の藤子ファンのなかには、そのコマで『まことちゃん』を初めて知った方がけっこういらっしゃいそうです。
ちなみに、楳図かずお先生とドラえもんは誕生日が同じ。9月3日の生まれです。
また、楳図先生は寺田ヒロオ先生、2人の藤子先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生他のトキワ荘レジェンドたちと同じく、「漫画少年」読者漫画ページへの投稿者でもありました。楳図先生の入選は、昭和26年12月号の一度。その2号前の昭和26年10月号では藤子・F・不二雄(藤本弘)先生が入選しています。

・楳図先生と撮っていただいた写真。2011年のことです。

・楳図先生に書いていただいたサイン色紙。宝物です。
楳図先生が描かれた多くのマンガをはじめ、先生のメディア出演、先生のトークショー、先生の音楽ライブ、先生の展覧会などなど、本当にさまざまなかたちで楳図先生ご自身とその作品に触れてきて、本当にいっぱい楽しませて(怖がらせて)もらってきました。
楳図先生、ありがとうございました。これからも作品を読み続けます。
楳図かずお先生のご冥福をお祈りします