10月18日、星野書店近鉄パッセ店で開催された大槻ケンヂさんのサイン会に参加しました。


大槻さんの新著『今のことしか書かないで』出版記念の催しです。
とにかくドキドキしました。
撮影可だったのは大槻さんが登場して挨拶をされているときのみ。


整理番号が全100人のうち95だった私は、ちょっと遠くからだったのでこんな感じにしか写せませんでした。それでも撮影タイムがあってくれたこと自体ありがたかったです。
列に並んで自分の順番がまわってくるのを待ちます。視界にはサイン会の様子が映っています。熱心に、嬉しそうに大槻さんに語りかけるファンのみなさんを眺めるのは豊かな時間でした。
私自身は大槻さんの前に立ってしどろもどろになってしまいましたが、大槻さんは参加者一人一人の目を見て丁寧に穏やかに受け答えされていて、会ったらますます好きになってしまう心のこもった対応をなさっていました。



大槻さんにいただいたサインです。

サイン会終了後の風景。
大槻ケンヂさんは、1989年内田雄一郎さんとともに「ボヨヨンロック」という4曲入りのCDをリリースしました。このときのユニット名?が「まんが道」で、アーティスト名は、大槻さんが「才野・アスカ・茂」、内田さんが「満賀・チャゲ・道雄」でした。
大槻さんは「筋肉少女帯」のボーカル、内田さんはベースという間柄で、お二人は中学生のときからのお付き合いだとか。
と、ここまで書けば、大槻ケンヂさんは藤子不二雄Ⓐ先生の自伝的マンガ『まんが道』になんらかの思い入れをお持ちなのだろうと思えてきます。
そう思ったとおり、大槻さんは中学生のころ『まんが道』の影響で内田さんとともにマンガ家をめざしていたそうなのです。
大槻さんはこう語っていました。
「うちのバンド(筋肉少女帯)にベースの内田クンというのが居りまして、彼と二人でマンガ・ユニットを組んでたんですね。当時、『まんが道』という藤子先生の自伝的作品があって、それを見てはマンガ家になろう、いやなるんだと、血潮をたぎらせながら、内田クンの実家の洗濯機の上でコツコツ、マンガを描いていました。」(「鳩よ!」1998年7月号より)
大槻さんは満賀道雄と才野茂のうち満賀のほうに自分の姿をダブらせていました。
なぜか?
満賀より才野のほうが才能があった、つまり内田さんのほうが絵がうまかったからなのだとか。
「努力家の満賀を見ては、オレは満賀だ〜、オレは満賀だ〜、と思いこむようにしてたんですが……」と大槻さん。
そんなふうに満賀にたいそう感情移入していた大槻さんですが、「ボヨヨンロック」のときは「才野・アスカ・茂」名義だったんですよね。なぜなんでしょう。そのへんの事情に私は疎いのです。
大槻さんは『ドラえもん』のことを考えるとムクムク妄想が広がる、ともおっしゃっていました。『ドラえもん』を“妄想の火種”として活用していたようです。戦火のなかドラえもんがタケコプターを使って兵士を救出する内容の歌詞を書いたけれど自主的に没したこともあるんですって。
コッポラ監督で実写『ドラえもん』を撮るべきと妄想したことも。配役は、のび太はウッディ・アレン、ドラえもんはロビン・ウィリアムズ、ジャイアンはタイソン…とのこと。
2021年10月11日に発売された「昭和50年男」vol.013の特集は「オレたちのリアルなSF」だったのですが、大槻さんがSF体験を語るインタビューがあって、そこでも『ドラえもん』に言及されていました。今の子たちが平行時空世界の設定などをスッと受け入れて驚く、そういうSF設定をみんながすんなり受け入れられるようになったのは『ドラえもん』の影響が大きかったのではないか、とおっしゃっています。
そんなわけで、大槻さんは藤子ファン的にもシンパシーを感じたくなるアーティストさんなのです。

※サイン会会場の星野書店近鉄パッセ店にはサイン色紙の展示コーナーがあり、藤子不二雄Ⓐ先生の喪黒福造も見られます。