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6月に藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ったのだ【3】

 ■6月に藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ったのだ【2】

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2024/12/19/210550

 ↑こちらの記事からの続きです。

 

 藤子・F・不二雄ミュージアムで開催されていた企画展「「好き」から生まれた藤子・F・不二雄のまんが世界」第2期で、藤子F先生の蔵書として手塚治虫先生の単行本『新宝島』(育英出版)が展示されていました。

 このように展示されていた『新宝島』の単行本、二人の藤子先生が『新宝島』を初めて読んで衝撃を受けたとき(昭和22年)のものではありませんね。藤子F先生が後年になって新たに入手されたものと思われます。

 昭和22年の版はタイトル表記が『新寳島』なのですが展示品は『新宝島』表記ですから、昭和20年代中ごろ以降に刊行された“後版”と思われます。

 

 ここで、藤子先生がリアルタイムで読んで衝撃を受けた昭和22年版と藤子・F・不二雄ミュージアムに展示されていた後版を比較してみましょう。

・これが、昭和22年版『新寳島』の装丁です。(写真は、私が所有する小学館クリエイティブの復刻版ですが、昭和22年版と同じ装丁です)

 

・こちらが、藤子・F・不二雄ミュージアムに展示されていた後版。

 後版は、原作者「酒井七馬」の名前が削られており、背表紙を見ると昭和22年版より本が厚いです。

 藤子・F・不二雄ミュージアムで昭和22年版の単行本が展示されず後版だけが展示されていたのは、藤子F先生が昭和22年版を紛失されたか何かの理由でしょう。展示された後版は、藤子F先生があらためて入手されたものと思われます。

 

 藤子F先生は、昭和20年代中ごろまでに刊行された手塚先生の描き下ろし単行本のほとんどをリアルタイムで収集していたのですが、トキワ荘から生田へ引っ越すさいに多くを紛失してしまったとか。そのため、復刻版など目につく限り買いなおしているとおっしゃっていました。藤子・F・不二雄ミュージアムに展示されていた『新宝島』後版も、そういう事情で買いなおした一冊なのかもしれません。

 

 さて、藤子F先生にとっての『新宝島』という点では、『小学館版学習まんが人物館 手塚治虫』の巻末解説文を思い出します。この解説文を藤子F先生が書いています。

 藤子F先生は冒頭から、手塚先生のことを「恩人」「先生」「大先輩」「天才まんが家」と連射のように敬意を表し、文章の終盤では「『新宝島』が世に出た1947年をもって、元号は“手塚元年”にしたいと思っているほど」と手塚先生への心酔ぶりを全開にしています。

小学館版学習まんが人物館 手塚治虫』の発行は1996年4月なので、1996年9月に亡くなられた藤子F先生にとって、この解説文は最晩年に書かれたものといってよいでしょう。「藤子F先生は掛け値なしに人生の最後まで熱烈な手塚ファンだった人物なのだ」ということがよく伝わってくる、感涙の解説文です。

 

 

*次の記事に続きます。

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