1985年公開の『のび太の宇宙小戦争』が、11月23日(火)から12月2日(木)にかけて7都道府県9劇場でリバイバル上映されました。
私は、11月23日、28日、12月1日の3回、名古屋のミッドランドスクエアシネマ2でリバイバル上映を鑑賞しました。その3回の劇場鑑賞の感想を、ここでまとめて記そうと思います。
1985年の公開時に劇場へ観に行き、その後テレビ放映時や映像ソフトで何度もくり返し観てきた作品ですが、このたび久しぶりに劇場で観たことであらためて抱いた感想を中心に記していきます。




3回分のチケットです。

劇場に到着。入口のところに掲げられたポスターを写真撮影しました。




3回行って3回ともこのポスターを撮影し、当時の割引券や主題歌『少年期』のレコードと一緒に写り込ませたりして楽しみました。
ロビーで待っていると入場時間のアナウンスがあり、席に着いて上映の始まりを待ちます。スクリーンには、ほかの映画の予告や館内での注意事項などが流れています。それは、通常どおりの劇場の段取りです。
そうした通常どおりに進行していく劇場で、『のび太の宇宙小戦争』を観られるのが大きな喜び、大きなワクワクなのです。30ン年前に劇場で観たこの映画を、今また劇場で新作映画を観るかのような様式で観られるのが最高なのです。
いよいよ上映開始時刻がやってきました。
上映が始まります。
まずスクリーンに映るのは、おなじみの東宝マーク。
その東宝マークから宇宙空間へ。一機の飛行機が飛ぶ音が聞こえるものの、全体的に静かなシーンが少しのあいだ続き、そこからいきなり始まるのが爆音の戦闘シーンです。この爆音が、劇場の音響だとそれまでの静けさとの急激な差を感じやすく、ウワッ!とびっくりさせられます。急にうるさくなった、という驚きです。そして大統領ロケットの緊急脱出!そのロケットが漂流する宇宙空間の景色と重なるように、ビデオ特撮用セットの宇宙空間(つまりいつものメンバーがいる場所)へとシーンが切り替わり、そこからオープニングソングがスタート!この一連の導入部に映画的な魅力が詰まっていて、一気に引き込まれます。劇場で観ると、その魅力がよく伝わってきます。
●この映画は、オープニングで『スター・ウォーズ』『スーパーマン』『キングコング』『E.T.』などいろいろな特撮系海外映画のパロディをやっています。そうした映画のパロディ映像を劇場のスクリーンで観れば、パロディの効果を最適なかたちで味わえるわけで、自分は今まさに劇場で映画を観ているんだという興奮が生じます。
オープニングでかかる曲は、おなじみ『ドラえもんのうた』。この曲は“あんなゆめこんなゆめ (略)かなえてくれる~♪”と歌っているわけですが、この映画の本編では、「いっぺんメロンをお腹いっぱい食べたかった」というのび太の夢がかなうし、何より、しずかちゃんが「長いあいだの夢」と明言した牛乳風呂入浴が実現します。牛乳風呂シーンの“夢がかなった”感はとても大きいです。
まさに、あんな夢こんな夢がかなえられるシーンがこの映画にはあるのです。
●しずかちゃんの監督しぐさが板についているなあ、と感じました。
少女人形のリリカちゃんに対し、森のなかを当てもなく彷徨う演技を矢継ぎ早に熱烈指導するしずかちゃん。そのリリカちゃんの演技をビデオカメラで撮影するドラえもん(のび太はとりあえずカチンコのみ)。
そのように、主演:リリカちゃん、監督:しずかちゃん、カメラマン:ドラえもんでビデオ特撮作品『ねむれる森のリリカ』の制作が始められました。
その撮影の様子が俯瞰で映されたかと思えば、ドラえもんが覗くビデオカメラの視野に切り替わったりもして、そうした、ちょっと大胆なカット割りやアングル切り替えを劇場のスクリーンで観られたのもよかったです。なんだか「映画の映画」を観ている感じがしたといいますか。ワクワクしました。
そういうシーンが、しずか監督による白熱の演技指導で勢いよく進んでいくところがまた気持ちいいのです。
●このビデオ特撮の撮影シーンに少しだけ出てきたのび太のロボットも、登場時間が少ないわりに心に残りました。
ビデオ特撮に出演させたくてのび太が持ってきた正義のロボットには、ほとんど活躍の場がありませんでした。少し歩いた程度です。そのことを踏まえて翌年(1986年)公開の『のび太と鉄人兵団』がまさにロボットものであったことを思うと、「劇中におけるロボットの活躍」という観点では『鉄人兵団』が『宇宙小戦争』のリベンジを果たした、と言えなくもありません。
『宇宙小戦争』で大して活躍の場を得られなかったのび太所有の正義ロボットは、『鉄人兵団』でザンダクロスに設定を変えて大いに活躍したのだ!なんて妄想すると、なんだか心が躍ります。『鉄人兵団』には、スネ夫が所有するロボット・ミクロスも登場しますし。子どもが所有するロボット、すなわち“ぼくのロボット”は『宇宙小戦争』でちらりと登場したのち、翌年公開の『鉄人兵団』で全面的に大活躍することになるのです。なんだか、そうやってつながっていくんだなあ…と妙に感じ入りました。F先生や制作陣がそれを意図していたかどうかは別問題として、私が独りよがりにそう感じて楽しんだのです(笑)
(映画ドラえもんでは、ロボットであるドラえもんが毎度活躍していますが、この文脈ではドラえもんの存在は例外とします)
●パピが劇中で初めて姿を現すシーンを劇場で観られたのも、嬉しいポイントのひとつ。のび太の視線が本棚の下の方にいるパピをいったん素通りし、ふたたび戻ってパピに焦点が合ったとたんパピの姿がグッと拡大される……。そのカメラワークは、パピの見つけにくさ(=小ささ)を巧みに表現しながら、なおかつパピの初お目見えを印象的に演出していると思うのです。
●この作品の眼目のひとつは、「人間の身体サイズが縮んだり元に戻ったりする」とか、「ごく小さな異星人と比べたら地球人はそのままの大きさでも大巨人になってしまう」とか、そうした人間のサイズ感が揺らぐ不思議な感覚の面白さです。
たとえば、スモールライトで小さくなったのび太らが人形とダンスしたとき使ったラジカセや、おやつで食べたメロンが、そのままの大きさなのに巨大物体のようにどでかく見えました。普通の浴槽が広々としたプールになるのもそうですね。家のなかにある家電や玩具や食品や風呂ですから、われわれはその本来のサイズをよく知っています(ラジカセは、今はもうない家が多いでしょうが)。そんな日常的な品々がそのままのサイズでどでかく見えるのですから、ガツンと映像的な面白さを味わえます。それを劇場のスクリーンで観れば、ますます巨大感が増してさらに面白いのです。
そして、この、人や物のサイズ感が揺らぐことの面白さ・不思議さを『宇宙小戦争』のなかで最も味わわせてくれた存在はしずかちゃんだと思うのです。今回のリバイバル上映で、あらためてそう強く感じました。
まずは、牛乳風呂のシーン。小鍋1杯程度の牛乳が、またたく間に浴槽を満たす量に変化する!いや、客観的な量はまるで変化していないのですが、しずかちゃんが自らスモールライトで縮小して入浴することで相対的に小鍋1杯分が浴槽を満杯にする量に変化するという。そこにマジカルな面白さがあるのです。
映画の終盤、縮小しずかちゃんが急に元のサイズに戻りだしたときの表現がまたすばらしいです。しずかちゃんがみるみる大きくなり、それにつれて戦車の室内がぐんぐん窮屈になります。その窮屈感が、しずかちゃんが今まさに大きくなりつつある臨場感を授けてくれます。その後すぐ戦車から海中へ脱出したしずかちゃん。彼女の足がデーンと映ると、足元にある戦車がもうミニチュアにしか見えません。しずかちゃんの足はけっこう深い海底に着地しているのに、顔は海面に出てきます。海底から海上まで及ぶしずちゃんの巨大な身体! 海から出た顔も、いかにも大きいという描き方がなされます。しずかちゃんは、ただ元のサイズに戻っただけなのに、突如大巨人あらわる!みたいなシーンになったのです。その巨大感がめざましかったです。そして、狭い空間から広い海へ出たことによる開放感が気持ちいいシーンでもありました。
いま言ったように、しずかちゃんは元のサイズに戻っただけです。それなのに、そこでめくるめく巨大化が繰り広げられるように見えるのですから、その迫力と少し不思議感がたまりません。このシーンも劇場のスクリーンで観る意義が大きいところです。
●情報機関PCIA(ピシア)の探査球が、のんきそうにはしゃぐドラえもんとのび太を映したとき、そして、のび太が探査球に向かって舌を出したとき、場内の子どもたちから笑い声がちらほらと聞こえてきました。子どもの人数が多ければもっと爆笑となって聞こえたのでしょうが、場内は、子どもとその引率者よりも自分で映画を観たくて来ている大人やティーンズのほうがだいぶ多かった気がします。ですから、ちらほらとでも子どもたちの笑い声が聞こえたのは、もうそれだけでよかったと思うのです。そういう子どもたちの反応を肌で感じられるのも劇場鑑賞の魅力ですね。
ちなみに、私が3回観たリバイバル上映のうち、子どもたちの笑い声がいちばんよく聞こえたのは1回目の鑑賞時でした。3回目は平日だったためか、子ども連れのお客さんが皆無に見えました。
●ロコロコの初登場シーンがとっても大好きです。宇宙船らしき乗物からソラ豆みたいな物体がコロンと転がり出てきます。そのソラ豆からヒョコッと足や鼻やしっぽが出てきて、パカッと開くとかわいい犬の姿に!ソラ豆みたいなのはその犬の大きな耳だったのです!その一連の変身がほんとうに好きなのです
逆に犬の姿からソラ豆状態になるシーンも好きです。空を飛んでいたロコロコが危険を察知して耳をパタンと閉じて全身を隠しソラ豆化して木の葉にポトンと落ちる……。そういう、ロコロコの変身?をスクリーンで観られたのもうれしいです。
前にドラえもん好きの方々と『のび太の宇宙小戦争』について話をしたとき、ソラ豆化するロコロコのぬいぐるみが出てほしい!という声があがり、私も非常に共感したものです。あれを忠実に立体化するのは難しいかもしれませんが、出てくれたら感涙ものです。
ロコロコが地球に着いたばかりで彼の正体がまだわれわれ観客には不明の時点では、ロコロコの出てくるシーンのBGMが不穏な感じでした。この犬みたいな生き物は悪いやつかもしれない……と不安を煽るようなBGMでした。が、彼の姿を見れば思いっきりユカイでカワイクてちょいと舌なんか垂らしたりもして、どうしたってイイやつにしか見えなくて、不穏なBGMとのアンバランスさが妙に味わい深いのです。
ロコロコといえばおしゃべり!自称無口のロコロコですが、彼のおしゃべりシーンはもうこの映画の名物ですね。ロコロコがしゃべりだすと、聞かされる人々は呆れたりげんなりしたり途中で立ち去ったりおしゃべりさせないようにしたりします。そんなふうに迷惑がられがちのロコロコのおしゃべりですが、処刑されかけたときには彼の止まらないおしゃべりのため刑の執行が延び、そのおかげでみんなが命拾いしたわけですから、あれはロコロコがおしゃべりでよかった!と賞賛すべきシーンです。あのときロコロコは、自分がしゃべりたいがままにしゃべり続けることで、意図せず英雄的な行動をとったわけです。彼のこの行動なくしてのび太・パピ側の勝利はなかったのであります!ロコロコに勲章を!!(笑)
●のび太ら4人の下校シーンで、背景の住宅の表札に「山口」とありました。これを観て、リメイク映画『のび太の宇宙小戦争2021』の監督が山口晋氏だということを思い出し、「この表札がリメイクの監督を予言している!?」と心のなかで勝手に盛り上がりました。もしくは、この表札の家がリメイク作の監督のお宅なのか?と(笑)
もちろん、これは私の勝手な妄想であって、「そんな意味はまったくないぞ!」と言われればそれまでですが。
●パピを救うためピリカ星へ行こうという話になったとき一人だけ消極的な意見を言い、ピリカ星へ向かうロケット内でベッドにもぐり込んでクヨクヨし、おびただしい無人戦闘艇が襲撃してきたときには倉庫に隠れて嘆いていたスネ夫が、恐怖を抱えたまま戦車で出撃。自らが盾となってしずかちゃんを守ったことで自信を得ていきます。“しずかちゃんを守る”という勇敢な行為をなしとげたことと、無人戦闘艇と衝突して爆発に巻き込まれてもぜんぜん壊れなかった自作戦車の頑丈さを認識できたことが、スネ夫に自信をもたらしたのでしょう。
しまいには、当初はピリカ星行きに最も乗る気じゃなかったスネ夫が最もピリカ星を再訪したがる存在になりました。その変化の過程に胸熱です。この映画は、そのようにスネ夫の成長物語として見ることができます。
この、スネ夫が自ら盾となってしずかちゃんを助けるシーンは、ほかにもいろいろと印象深いのです。無人戦闘艇との衝突と爆発で、スネ夫戦車は壊れなかったものの宇宙空間で静止します。その静止状態からふたたび自力で動き出したときの安堵感をしずかちゃんと強く共有したくなるくらい、私は、スネ夫戦車が動き出した瞬間に心をとらえられました。
このシーンは、次のような観点でも印象的でした。
しずかちゃんは、スネ夫戦車が無人戦闘艇と衝突してから、ごく短いあいだに3度も「スネ夫さん!」と発します。スネ夫戦車と無人戦闘艇が衝突した直後、スネ夫戦車が静止したまま浮遊しだしたとき、スネ夫戦車がふたたび動き出して彼が無事だとわかったときの3度です。
そのように、同じ「スネ夫さん!」のセリフが3度立て続けに発せられたわけですが、その3度の「スネ夫さん!」に含まれるニュアンスが変化していくさまにグッときました。3つのニュアンスの差を演じ分ける野村道子さんの演技力にも魅了されました。
●しずかちゃんが涙を浮かべる場面では、ついもらい泣き。倉庫に隠れたスネ夫の話を聞いているときや、戦車で自分を守ってくれたスネ夫の安否を案じるときなどのシーンで、私もしずかちゃんにつられて涙ぐんだのです。
●ゲンブさんは、ロコロコの黙らせ方を心得てるなあ、と感心しました。ロコロコが、ゲンブさんの趣味はお酒とカラオケと紹介していたけれど、ゲンブさんの特技は、しゃべりだしたら止まらないロコロコを黙らせることですね(笑)ロコロコのしゃべりたい欲求を上回るのは食欲であり、その食欲に訴える方法で見事ロコロコのしゃべりを止めてくれます。「おまえのためにスペシャルドッグフードを用意してある」とか、じつに巧みにロコロコの食欲を刺激しています。
●ピリカ星の首都ピリポリスに建ち並ぶ建造物の一部が無残に破壊されています。その光景が、現実に内戦のあった国の写真を見たときの感覚と重なりました。この映画をDVDなどで観ているときはあまり生じなかった感覚ですが、大スクリーンで観たことで、私にそういう感覚がもたらされたようです。
●ギルモア将軍の肖像画の目が監視カメラになっています。黒目の部分が上下左右に動くときが不気味です。その動きから、監視カメラで国民を厳しく見張っている、という不気味さだけじゃなく、何かほかの種類の不気味さも感じました。その理由を考えてみると、ギルモア本人には黒目がないからではないか、という気がしてきました。本人にはない黒目が監視カメラにはあって、それが生きているように動くところに奇妙な違和感というか不気味さを感じてしまうのです。私の場合は。
●ギルモア将軍は、自由同盟の小衛星帯の基地を襲わせるのを無数の無人戦闘艇にやらせました。“無人”の武器を使用したのは、ギルモア将軍が味方の人間すら信用していないからです。
そんなふうに人間への猜疑心が強いものですから、ラストの逃亡時、ギルモア将軍の乗る自動車の運転手も人間ではなくロボットでした。その自動車の行く手に、ギルモアを打倒せんと大勢の民衆が立ちはだかっており、それを見たギルモアは運転手ロボットに対し「戻れ、Uターンしろ!」と命令します。ところが、運転手ロボットは命令に反応せず、そのまま走り続けます。ギルモアが怒って「この役立たずめ!」とロボットの頭を叩くと、ロボットが壊れて運転手がいなくなり、自動車は事故を起こして、結局ギルモアは大勢のピリカ国民の前にひれ伏することになります。
ギルモアは、人間より信用していたロボットにも裏切られることになったわけです。誰も信用できなかった独裁者の哀れな末路でした。
ただし、あの運転手ロボットはギルモアの命令に逆らったわけではないでしょう。急にUターンしろと言われても、とっさに反応して引き返せるような臨機応変さを持たないだけだった……、つまり性能の限界だったのだろう、と思うのです。
そう思うものの、やはりこのシーンは、人間を信用しなかった独裁者がロボットにも裏切られた、皮肉っぽくて哀れっぽい末路として私の心に刻まれたのです。
●PCIAのクジラ型戦闘艦やシャチ型の無人戦闘艇のデザインが好きです。『宇宙小戦争』に出てくる数々のメカ類のなかでこの2種のデザインが個人的には出色!
PCIAは憎らしい組織ですが、メカのデザインセンスは誉めたくなります(笑)
●エンディングでは、『少年期』が流れながら、いったん地球へ帰還したドラえもん一行がピリカ星を再訪したとおぼしきシーンが止め絵で描き出されます。みんな思い思いにピリカ星を楽しんでいるなか、大統領官邸らしき建物のバルコニーでパピがしずかちゃんと対面しています。そのときのパピが、腕を後ろで組んで大統領然として立っており、そのさまから「ああ、パピが本来の日々を取り戻したんだなあ」としみじみ感じました。本編でのパピはこういう姿勢を一度もとっていなかったはずですから。
●この映画のあちらこちらで観られた、宇宙空間にきらめく無数の星々、廃車置場から舞い上がる蛍のような探査球、地下組織のアジトで眠るロコロコに降りかかるキラキラ……。そうした暗い背景に散りばめられた光の粒の表現が、大スクリーンで観たことでより美しく映えて感じられました。
●この映画では、OP、ED、ワープシーンでCGが使われています。今から見ればささやかすぎるCGですが、当時としてはけっこうな注目点でした。映画ドラえもんのCG使用は、たしか前作『のび太の魔界大冒険』に続き2度目のことで、「CGを使う」ということ自体にニュースバリューがあった時代でした。あれから30ン年すぎて、私も10代から50代になって、『のび太の宇宙小戦争』をふたたび劇場で観られてほんとうによかったです。単純なCGだからこそ、時の流れを実感させてくれました。
●このたびの『のび太の宇宙小戦争』リバイバル上映は、本作の懐かしくてカッコよいSFチックなポスターにあらためてほれぼれさせてもらう、という体験も授けてくれました。

ほれぼれした気持ちを抱いた勢いで、実家の押入れから当時のポスターを発掘しました。

奥のほうにしまってあって、取り出すのが大変でした。



発掘したポスターをコミックスやリメイク作のチラシと並べたりして堪能。
当時は劇場販売グッズのなかにB2サイズのポスターもあったのです♪
同時上映作のポスターも売っていました。





『のび太の宇宙小戦争』リバイバル上映は私にたくさんの喜びやワクワクを与えてくれました。あらためて、こういうすてきな企画を実施してくださったことに感謝したいです。
「藤子不二雄ファンはここにいる」の今年の更新はこれが最後となります。
皆様、一年間ありがとうございました。
よい年をお迎えください。