本日8月15日は、終戦記念日である。昭和20年のこの日、「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読するラジオ放送が流され、国民に敗戦が伝えられた。いわゆる玉音放送である。この、終戦を告げる象徴的な出来事のあった8月15日が戦後になって終戦記念日とされ、毎年、戦没者を追悼し平和を祈念する式典が開かれている。正午には、全国で戦没者に黙祷が捧げられる。
終戦の年、2人の藤子先生は、小学6年生だった。
その前年、安孫子先生が富山県氷見市から高岡市へ引っ越してきたことによって、2人は定塚小学校(当時は、定塚国民学校)の同級生になった。ところが、その後しばらくして、日本の本土に戦火が迫る時局のなか、安孫子先生は、富山県の山崎村へ縁故疎開し、高岡にとどまった藤本先生と離ればなれになる。
そうして、藤本先生は高岡市で、安孫子先生は山崎村で終戦の日を迎えることになった。
安孫子先生は、そんな終戦時の体験を今日までに何度か書き記している。とくに、「潮」平成17年8月号で発表されたコミックエッセイ『日本とぼくが生まれ変わった日』では、安孫子先生が生まれてから終戦を迎えるまでの戦争体験が、切々とした文章とコントラストの強い絵で記述されていて、胸をうつ。
安孫子先生は、このコミック・エッセイで、終戦の玉音放送を聴いたときのことをこのように描写している。
その日は晴天だった。正午、村の公民館から天皇陛下の玉音放送が聞こえてきた。(略)
〈戦争が終わったんだ……〉不思議な虚脱感に包まれた。そしてつぎに、〈もう殺されなくてすむ……〉と思った。なんともいえない安堵感がわきおこった!
〈戦争が終わった!もう死ななくていい! これからは漫画を好きなだけ描けるぞ!〉嬉しさがこみあげてきた!
戦局の悪化にともなって米軍の本土上陸の噂が飛び交うようになり、安孫子少年は、米兵に銃剣で刺し殺される夢を何度も見たという。だから、戦争が終わったと知っとき真っ先に「もう殺されなくてすむ」と深く安堵したのだ。
安孫子先生は、ビッグコミック特別増刊号「THE WAR 戦争コミック傑作選」(平成7年)の特別エッセイでも『日本とぼくが生まれ変わった日』と同様の体験を書いているが、そのエッセイのタイトルを『悪夢の終った日』としているところが何とも印象的だ。まさに安孫子先生にとって終戦とは、「悪夢の終った日」であり、と同時に、これからは悪夢ではない明るい夢を見られるんだ、と希望を抱くことのできた「夢の始まる日」だったのだろう。
藤本先生はこの時代の体験をご自身であまり語っていないし、それに関連する資料を今日中にほとんど見つけれなかったのだが、藤本先生の人生においても、終戦が大きな節目であったことは間違いないだろう。
藤本先生は、「児童心理」平成8年7月号のインタビューで、このような言葉を残している。
マンガのアイデアは、逆転の発想というか、常識にとらわれないで物事を裏から見てひょいと思いついたものから生まれます。ぼく自身がそういうものの見方を身につけた背景には、小学六年生のときに終戦を迎え、日本全体があっけなくひっくり返った大きな転換を体験したことがあると思っています。この世に変わらない絶対的なものはないんじゃないかとそのとき感じました。
今まで正義だったものが悪とされ、今まで神だったものが人間とされ、今まで教えられてきたことが間違いだと言われる… そんな急激かつ極端なパラダイムシフトを小学6年生で体験してしまった藤本先生にとって、終戦とは、物の見方や価値観が一気にひっくり返る大事件だったのである。たしかに、「この世に絶対的なものなどないんだ」という感覚は、藤本先生の多くの作品から明に暗に読みとれる。
終戦は、安孫子先生に安堵と希望をもたらし、藤本先生に「絶対的なものなどないんだ」という一種の相対主義やニヒリズムを植えつけたわけだが、そんな両先生も、もともとは、その当時にはありふれた軍国少年だった。日本が行なっている戦争を正しいと信じ、日本の勝利を願い、お国のために何か貢献したいと考える少年だったのだ。
藤本先生は昭和8年12月1日、安孫子先生は昭和9年3月10日生まれである。2人が物心ついてから小学6年生になるまでのあいだ日本はずっと戦争中だったのであり、その状況下で教育を受けその空気の中で生活してきた子どもが軍国少年にならずにいるほうが圧倒的に困難だろう。
藤本先生は、
「まあ、ボクらは当時の教育のせいで、首までどっぷりと軍国主義につかっていましたからねぇ。戦況は日増しに悪くなるしね、ボクら小国民といえど、何とかせにゃあいかん、というわけでね。(中略)ひとつ日本でも新兵器をつくらにゃあ、オレたちがそれを発明しようというわけでね……」(昭和55年、SFコミックス「リュウ」Vol.4)
安孫子先生は、
「ぼくの誕生日の三月十日は、陸軍記念日で国家的祝日だった。学校で紅白のおまんじゅうが配られ、ぼくはとても誇らしかった」(前掲『日本とぼくが生まれ変わった日』)
などと、当時の軍国少年ぶりを語っている。
軍国主義にどっぷりつかっていた藤本少年にとって、日本の敗戦はたいそうショックだっただろうし、敗戦したうえ、その戦争がそもそも間違っていたとされたのだから、自分のアイデンティティが大きく揺らぎ、世界が信じられなくほどの精神的打撃を受けたとしても無理はないだろう。
安孫子少年は、戦争末期になって自分が殺される恐怖にとらわれていたため、敗戦や価値観の急転によるショックよりも、命が助かったことに深い感慨をおぼえたのだった。
2人が終戦にさいしてどう感じたせよ、戦後の2人が「再び軍国主義に戻りたい」「もう一度戦争を起こすべきだ」などと考えることは決してなかったはずだ。「戦争など二度と起こすべきではない」との願いを一貫して抱きつつ、戦後まもない時代から平成の世まで創作活動を続けてきたにちがいない。
藤本先生の作品では、『T・Pぼん』「戦場の美少女」でリーム・ストリームが「あたしが平気だとでも思ってるの!?」と叫びながら流す涙や、『ドラえもん』「ラジコン大海戦」でスネ吉にいさんが「戦争は金ばかりかかって空しいものだなあ」とぼやく様子に触れると、「戦争って本当に悲惨で理不尽で嫌なものだなあ」という感情が切実な響きをともなって胸にわきこってくる。
安孫子先生の『冷血の記録 三光』3部作(昭和46年「ヤングコミック」)を読めば、人間を狂気に駆り立てる戦争のおぞましさ・異常性が、その強烈なビジュアルとともに脳裏に焼きついてくる。
もちろん、戦争について考えさせられる藤子作品は、ほかにいくつもある。
安孫子先生は前掲のコミック・エッセイ『日本とぼくが生まれ変わった日』のラストで、このように語っている。その言葉を引用して、本日の日記の締めくくりとしたい。
戦後六〇年、いま世界は混沌とした状態にある。とくにイラク戦争以来、一触即発、またまた世界大戦が勃発しそうな気配だ!
〈一生に、二度もあんな悲惨な戦争をしないように〉ぼくはただ祈るのみ……だ!