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完結記念!『ウルトラマンオメガ』の “ここが好き” 10選+α

気がつけば『トリガー』から5年連続で「TVシリーズ完結後に数万字の総括を書く」ことが恒例になっているけれど、そういう体だとかえって語れないことが多かったりする。  

もっと好き勝手に「ここが好き!」と叫びたい。最終回とか最終回とか最終回について語らせてほしい!! ……ので「総括とは別にオメガの好きなところを好き勝手語ったら20000字になった」というのが今回の記事。 

下記の記事では語れなかった『オメガ』のここ好きポイントを好き放題語っていくので「真面目な話を読みたい」という方は下記の総括をよろしくお願いします……!

 

kogalent.hatenablog.com

 

※以下『ウルトラマンオメガ』のネタバレが含まれます。ご注意ください!※ 

 

引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

《目次》

 

 

「 “ソラト・コウセイの物語” としての一貫性」が好き

 

最終回を観る前準備として『オメガ』を観直したのだけれど、恐ろしいことにこの作品、大半のエピソードにおいてソラトかコウセイが主役 or ソラトとコウセイに何かしらの変化があるので、アユムやゲストが主役のエピソードであっても「ソラトとコウセイの物語」という建て付けが滅多にブレない。 

このことは、毎週のように倫理観が問われる第7話~第10話も同様で、「ソラトとコウセイにとって必要な時期だから」という思いでこの時期を耐え抜いたのは自分だけではないと思う。ご自身の担当回でなくても(縦軸部分は)脚本作りに参加してくださった武居監督、本当にありがとうございます……!

 

 

そんな「ソラト・コウセイの物語」としての積み重ねが活きたのはなんといっても最終章。 

というのも『オメガ』のラスボスは人間が生み出した怪獣・ゾメラなので「敵と決着をつける」というドラマがなく、その分のリソースがすべてソラトとコウセイに投入されている。結果、最終章でも彼らの選択・関係性が物語のど真ん中に据えられているし、最終回が過不足なく25分に収まっているのもきっとこの点が大きく寄与した結果なのだろうと思う。 

「最終章でも物語の中心が主人公の選択・関係性にある」そんなの当たり前だろ!と思われるかもしれないけれど、ニュージェネレーションシリーズは意外とそうでもなかったりする(R/B、タイガ、ブレーザー等)し、それが本作ほど「どう着地するのか分からない」スリリングな展開を作り出すのは極めて異例。そのためか、自分はオメガ/ソラトの変身シーンで既に声を上げて泣いてしまったし、その果てに「真の “ウルトラマン” の誕生」というサプライズまで運んでこられたのでもう完敗だった。こういう「ドラマで魅せる」ウルトラマンを武居監督が撮ってくれる日を待ち焦がれていたファンは多いはず……!

 

 

ところで、自分は「ソラトの肉体は事実上滅びて、魂だけがメテオに遺された」という風に解釈していたので、下記インタビュー内の「ソラトの全てをコウセイに託した」という近藤頌利氏の解釈にはしみじみと頷いてしまったし、吉田晴登氏の「ソラトは生きている」ではなく「僕は “願望” が強いんですけど、ソラトには生きていてほしい。コウセイに託されたメテオ=ソラトであり、困ったときにはきっと現れてくれるんだろうなと思っています」という言葉でまた一泣き。「願望が強いんですけど」という前置きから出てくるこの答え、あまりにもホシミ コウセイすぎません????

 

 

「メテオカイジュウ」が好き

 

メテオカイジュウの設定がいかに美味しいか、というのは総括の方で語り散らかした通りだけれど、正直「もっとうねりを生んでほしかった」という気持ちもある。従来の防衛メカの延長に留まらず、物語の中心としてドラマを生み出してほしかったと。けれど、それはそれとしてメテオカイジュウは大好きなんですよ……!

 

 

「念動力」という能力から「これは中盤からあまり使われなくなるヤツだ」と早合点してしまったレキネス。 

が、蓋を開けてみればそんなこともなく、第12話ではオメガと共にエルドギメラ攻略戦を支え、第15話ではトライガロンと共にコウセイをヴァルジェネスのもとへ送り出し、第20話ではクロノケロスを守り、第23話ではビームを曲げてガイリュウガを狙撃するというロマン溢れる活躍を見せてくれたりと、番組の看板として最初から最後までしっかりと存在感を示してくれていた。「最後まで最前線で活躍する初期フォーム」なんてねぇ、嫌いな人いないんですよ!

 

 

一方、レキネスの代わりに割を食ってしまった感のあるトライガロン。後半での目立った活躍は前述の第15話と第17話のアリゲトータス追跡ぐらいで、アーマー共々かなり不遇だった――のだけれど、あまりそういう感覚がないのは後半で突如クローズアップされた猫属性が美味しすぎるからかもしれない。第17話の水に入れないトライガロン、第18話でオメガにあやされるトライガロン、第19話のボールを追いかけるトライガロン……ってここは犬か。ともあれ、この辺りのトライガロンがあまりにもキュートすぎて存在感抜群だったし、特に田口監督には感謝してもしきれないところ。

(とはいえ、最終回でちゃんとカッコいいトライガロン&トライガロンアーマーを見れてなかったら「違う、俺が見たかったトライガロンはそうじゃない……!」に傾いていたかもしれないのでギリギリの塩梅だ)

 

 

……と考えていくと、なんだかんだで出番が少ないヴァルジェネスがシンプルに一番活躍に恵まれてなかったような気もするけれど、あの重そうなスーツでちゃんと動くヴァルジェネスは迫力満点で、第22話などで披露してくれたアクションは「こいつも怪獣だからな!!」という製作陣の意地を感じたポイント。願わくば「礼儀正しく高潔」なところをもっと見たかった……! ところでコウセイがヴァルジェネスを使うと動悸に襲われるアレ、何だったの!?(てっきりアレが原因でソラトと一体化するんだとばかり思ってたよ!)

 

 

「レキネスアーマー」が好き

 

オメガの形態で何が一番好き? と訊かれたら「そんなん最終回のソラト×コウセイオメガ一択よ!」と答えたいのは山々だけど、ややクソリプめいているのでここはグッと堪えて「レキネスアーマー」と答えたい。

 

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「赤×青」「剣×念動力」というミスマッチ故に際立つ合体感や、トサカではなく「一本角」のウルトラマンというおそらく史上初のデザイン。動くとカッコいいを地で行くデザインには初登場の第4話時点で惚れ惚れしてしまったし、それから第10話まで目立った活躍がなかった時はどうなることかと思ったけれど、

 

 

蓋を開けてみれば、レキネスアーマーはエルドギメラ戦という大舞台で『アンブレイカブル』を背に大活躍。更には第20話というド終盤でも株を上げてくれるなど、出番は少ないながらも、その少ない出番で着実に株を上げて「最後まで活躍し続けてくれた初期強化フォーム」という美味しいポジションを手にしてくれた。こんなん好きにならんはずないじゃないですか!!それはそれとしてトライガロンアーマーは泣いていい。

 

 

「玩具の頑張り」が好き

 

『オメガ』の玩具については件の総括記事にまとめてあるのだけれど、一つそこで語りきれなかったことがある。「ウルトラアクションフィギュア」の展開についてだ。

 

 

本作のウルトラアクションフィギュアは、昨年の『アーク』に引き続き基本3タイプのアーマーチェンジセットからリリース。……なのだけれど、なんとアークの税込4950円に対しオメガは税込4400円。これだけでも並々ならぬ企業努力が感じられる(アーマーのサイズが違うのも理由だろうけれど「値段が下がる」のは異常事態だ) のに加えて、なんとオメガからのアクションフィギュアは「素体が大幅リニューアルされている」というオマケ付き。その実態は、下記のブレーザーを見れば一目瞭然だろう。

 

引用:https://toy.bandai.co.jp/series/ultraman/item/detail/13360/

 

引用:https://toy.bandai.co.jp/series/ultraman/item/detail/15525/

 

この通り、特に可動範囲がまさに見違えるものになっており、価格も税込2530円から税込3300円と(3年経っていることや生産数を踏まえると)上がり幅も最低限に留まっている。ソフビの低価格提供が難しくなってきた分、このアクションフィギュアに一層注力する……というのが『オメガ』の玩具展開における一つの肝だったのかもしれないし、ゾヴァラスをソフビではなくアクションフィギュアでリリースするという点にもそのことが色濃く現れていたように思う。 

他にも、レキネス・トライガロンの高価格帯・高品質でのソフビ販売や、総括記事で触れた「ソフビのリペイント」「ウルトラメテオの低価格展開」にも見られるように、オメガの玩具展開には「物価問題を仕方ないことと割り切らず、明確な対策を打ち出していく」という前のめりな姿勢が多々見られていた。ウルトラシリーズ存続のためにも、引き続き「攻めた玩具展開」をどんどん見せてほしいところ……!

 

 

「楽曲」が好き

 

『BLACK STAR』のような「メロディアスなアツい歌」がド癖な自分としては、本作はあまりに貴重な「主題歌、挿入歌、劇伴がどれもストライクなウルトラマンだった。ストライクゾーンド真ん中な『アンブレイカブル』が第12話のあのシーンで流れ出した時は約2ヶ月積み重なったモヤモヤが丸ごと消し飛んでくれたし、『共鳴レボリューション』が『Missing Link』と異なるベクトルながら同じ刺さり方をした時は「オメガは当たり曲しか連れて来ないんか!?!?!?」と大横転だった。MindaRyn氏の歌声が「メロディアスでアツい」のど真ん中、その上でASH氏の力強い歌声・ラップが加わっているので、自分好みのヒーローソングばかりが飛んで来るのは必然といえば必然なのかもしれない。 

加えて、『オメガ』楽曲の凄みといえばやっぱり「コレ」。

 

 

ぜ、全部「言ってる」……!? 

ちなみに、各楽曲を作詞したのは松井洋平氏・ASH氏のお二人。『アンブレイカブル』は武居監督が第12話のためにオーダーした楽曲とのことなので、撮影時期の都合でしっかり台本が出来上がった状態で作詞できたのかもしれない。完璧だ……完璧だよウルトラマンオメガ……!!

 

アンブレイカブル (feat. MindaRyn)

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「宇宙観測隊」の設定が好き

 

オメガの後半キービジュアル(『仮面ライダーガッチャード』から始まったであろうこの流れ、イイですよね)に「宇宙を揺るがすオメガの真実!」と書かれていたときは、「そんなにハードル上げて本当に大丈夫!?」という気持ちが半分、「デッカーの座組なら本当に凄いものを出してくれるかもしれない」という気持ちがもう半分だった。「主人公の正体やバックボーンがしっかり物語に絡んでくる」作品が好きなので……! 

して、そんな中でお出しされた第22話『星を見つめる人』で自分はもうお祭り騒ぎだった。

 

 

文明の始まりから終わりまでを見つめ、記録を収集することで真の秩序を模索する組織・宇宙観測隊。この設定は、あらゆる「ウルトラマンのお約束」を見つめ直し、現代的かつ美味しい形で再構成するオメガ流の「宇宙警備隊」+「恒点観測員」なのだろうと思うし、そういった意味では、ウルトラマンマックスの「文明監視員」設定の後継者とも言えるかもしれない。 

尚、監視者としてのルールを「カイトに力の使い方を委ねる」ことで突破したり、同じ星の文明同士の争いに介入しないスタンスだったりと、文明監視員は宇宙観測隊と似通った部分が多い。オメガはウルトラマンマックス20周年記念作品だった……?(pixiv百科事典)(おそらくは「宇宙警備隊の設定を現代的に突き詰めると近いところに行き着く」という話)

それはそれとしてこの「宇宙観測隊」の設定、何が良いってそのスケールの大きさ。生命体を観測する、ではなく「文明の始まりから終わりまで観測する」というのはそれだけで彼らの「超長命種・宇宙規模」という規格外ぶりを表しているし、無情にも見える行動原理もそのスケール感あってのもの。宇宙全体の秩序を考える彼らにとって、一つの星のちっぽけな文明などそもそも感情移入するような対象ではないのだろう。 

そんな彼らの「人外感(地球人とは異なるメンタリティ)」はオメガという作品の説得力を大きく引き上げてくれたし、彼らの視点が地球人のそれと離れていればいるほど「オオキダ ソラト」のイレギュラー感や最終章の絶望感も際立つというもの。本当に「宇宙を揺るがす真実」だったという点も含めて、自分を『オメガ』にハマらせてくれた要因の一つだ。

 

 

「敵がいないという絶望」が好き

 

『オメガ』は、シリーズでも類を見ない「敵」がいない作品だった。精神性の話ではなく「一連の事態を終わらせるために倒すべき相手がいない」という意味で。 

特撮ヒーロー作品の性として、ウルトラマンシリーズのクライマックスでは必ず「倒すべき相手」が立ちはだかってきた。根源的破滅招来体が姿を見せない『ガイア』では彼らの最終兵器としてゾグが登場し、オムニバス色の強い昭和シリーズやマックスでも「これを倒せば作品が終わる」と言える相手が必ずいた……のだけれど、その点において『オメガ』は極めて異質。

 

 

確かに、ゾメラというラスボス怪獣こそいたけれど、ゾメラを倒したところで『オメガ』の物語が終わるわけではなかった。まずもって、NDFや怪特隊がゾメラを倒せたとしても「目覚めの刻」は終わらないし、そもそも目覚めの刻とは宇宙に存在する巨大なシステムの一環なので、生命体にどうにかできるようなものでもない。 

(この「怪獣という異常を、より大きな異常によって相対的に自然な存在にする」ハッタリの効いたSF感が本っっ当に好きでェ……!!)

 

更に、ゾメラを倒せるかどうかと「オメガ/ソラトがどうなってしまうのか」は全くの別問題。かといって、結果的に私たちからソラトという存在を剥奪した宇宙観測隊が悪いのかというとそんなこともない。『オメガ』には「これを倒せば作品が終わる」と言える相手が存在しないのだ。 

これによって生まれる不安、あるいは「何か目に見えないものによって追い詰められていく」ような独特のスリルは『仮面ライダー剣』のクライマックスに、気持ちの遣り場がないもどかしさ・やりきれなさは「戦いを終わりにしたかった」と言いつつも、守護者となってしまったオメガを許せなかった/オメガを倒すこと以外に選べる道がなかったゲネス人アーデルの葛藤に、それぞれ通じていると言えるかもしれない。

 

 

これまでのシリーズでは、ありとあらゆる「こんなのどう倒せばいいんだよ!」なラスボスがいたけれど、60年目のシリーズともなればこちらも少なからず見慣れてしまうもの。そんな自分にとって、本作の「物語の着地点が見えない」スリルはあまりに新鮮で、それが第22話から4話に渡って続く最終章の緊迫感はシリーズでもトップクラス。それだけに、第24話で徹底的に突き詰めたその絶望をコウセイの勇気やソラトの言葉が一つ一つ確実に覆していく最終回のカタルシスは格別だったし、「強大なラスボスに立ち向かうクライマックス」が続く中でこういうイレギュラーが差し込まれるのがシリーズもののロマンなんですよ……!

 

(オメガの最終回が殊更に痛快なのは、それまでの3話で「落とし」をやりきっていて、このエピソードが「克己」「逆転」「サプライズ」「エピローグ」というポジティブな要素だけで構成されているからかもしれない)

 

『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンオメガ編 ~絆が紡ぐ未来~ 』が好き

 

『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンオメガ編 ~絆が紡ぐ未来~ 』とは、要は年末年始のイベント『ウルトラヒーローズEXPO ニューイヤーフェスティバル』で行われたライブステージ。TVではちょうど「ソラトがオメガとなり、メテオカイジュウを回収して姿を消す」ドン底時期だったため、時系列上は第22.5話という立ち位置になっている。 

気になるストーリーは「ヤプールザ・キングダムが手を組み、ウルトラヒーローを襲撃する」「戦いの中、コウセイの想いに応えてガメドンがオメガに力を貸す」というもので、本編にガメドンが登場しない理由がしっかり用意されていたり、他のウルトラマンと共闘することがなかったりと、あくまで「本編内の話」という切り口が徹底されている。 

……で、そんな本ステージの何が良かったかと言えば、なんといってもその「構成」だ。

 

 

2022年の『デッカー』以降、夏のサマーフェスティバルやニューイヤーフェスティバルのライブステージ、シリーズ終盤の時期から全国行脚を行う現行作の単独舞台といった「NEW GENERATION THE LIVE」名義の舞台作品群は「本編内の出来事」と位置付けられるようになり、その結果(本編との連動という美味しさと引き換えに)歴代ヒーローたちとの「時空を越えた共演」は基本的に描かれなくなっていった。 

とはいえ、ゼロやゼットたち過去のヒーローを登場させないわけにはいかない……ので、歴代ヒーローたちが登場するパートと現行ヒーローパートの二部作方式にしたり、ステージ後に「フィナーレ」というストーリーを排したお祭り大乱戦パートを用意したりと様々な試みが行われていたが、従来のものに比べ大人しい仕上がりになっている感は否めなかった。 

(唯一の例外として『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンブレーザー編 ~…未来へ~ 』後半は「ステージの左右が違う時空になっている」という後にも先にも例のない内容でトリガー・デッカーとブレーザーの共闘を実現させていたが、これはこれで没入感よりも困惑やシュールさが勝ってしまっていた……というのが正直な感想)

 

そんな中、今回の『絆が紡ぐ未来』が取ったのは「敵ヤプール軍団)がオメガとM78星雲時空を行き来する」という展開。これにより、 

・M78星雲時空でヤプール軍団出現、ゼットらと交戦(プロローグ) 

ヤプール軍団がオメガ時空を襲撃(ステージ本編~決戦1) 

・M78星雲時空でヤプール軍団をゼットらが追撃(決戦2) 

・逃げ延びたヤプールをオメガが追撃(〆)  

と、「2つの時空を交わらせることなく、オメガと歴代ヒーローが共に戦うストーリー」というとんでもない構成が実現していたのである。 

更に、近藤頌利氏の登壇回(今回は、近藤氏のスケジュールや本編との兼ね合いの都合か、全公演を通して登壇するのはコウセイ役・吉田晴登氏だった。コウセイが「もう一人の主人公」だからこそ実現した名采配……!)においては、あるとんでもない演出が披露されて大きな反響を呼ぶことに。

 

 

「オメガと共にアクションするソラト」だけなら「今年もやってくれたんだ!カッコいいぜ……!」で済むところ、なんとステージを〆るオメガVSヤプールのシーンにおいては「オメガではなくソラトが」ヴァルジェネスハルバードヤプールを薙ぎ払ったのだという。Blu-ray買えば観れますか!?!?!?!?!?!?!?

 

(尚、ステージのクライマックスではアークとギルアークのタッグも登場。期間によってアーマーが変わるようで、自分が観た回ではなんとギルアーク ルーナアーマーが登場していた。み、ミチカケ……!?)

 

「粋さ」が好き

 

ウルトラマンにおける「当たり前」を問い直した結果、ブレーザーやアークとは異なるベクトルで「リアル+オフビートな作風」となった『オメガ』。そんな作風もあって、本作では「粋」な演出・シーンがそこかしこに散りばめられていた。

 

 

例えば、第13話『アユ姉にバレちゃった!?』のアユム。「ひとっ飛び、ね」とソラトの正体を察しつつも、ピグモンに寄り添う2人を見て「友だち」という関係性を選んだ……という葛藤・決断をすべて台詞にするのではなく、あくまで「芝居」で魅せてくれたアユム役・工藤綾乃氏の名演や、鈴木農史氏の繊細な演出が光る一編で、ウルトラの華である正体バレをこの温度感で描くのはまさに『オメガ』ならではの粋さと言えるところ。

 

 

例えば、第17話『風花』のクライマックス。宇宙空間へ追放されたエドマフィラもまた「生きたかっただけの命」だということを台詞にせず、オメガへ伸びる触手と「彼方へ消えていくエドマフィラ」の画だけで伝える演出はある種芸術的でさえあった。抑制の効いた演出が光る『オメガ』の越監督作品の中でも特に冴え渡った一編だ。

 

 

例えば、第24話『最後の力』における「ゾメラを観測するオメガ」は(サユキのフォローこそあれ、オメガ自身の)台詞が全くないのに「これまでとオメガと全く違う」「ただ観測しようとしている」ことが伝わる演出になっており、特に「無機質なオメガスコープ」は岩田栄慶氏の演技とカメラワークのおかげで一目で「理解らされて」しまう名演出。 

また、同話終盤の「第1話で助けられた親子と再会するオメガ」についても、従来の作品ならオメガが少女と会話するシーンが挟まれるだろうに『オメガ』はそれを挟まない。その光景を観たオメガ……もといソラトの表情がすべてを物語っているから。 

これら、野暮な台詞も説明も挟まず「そこにある画」を信じて送り出す姿勢は、きっと製作陣から私たち視聴者への、プロデューサー陣から監督陣への、そして監督陣からスーツアクターを含めた)キャスト陣への信頼感の表れなのだろうと思う。でなければ、きっと第24話の「今までありがとな! ……ソラト!」や、最終回のこのシーンは生まれなかったと思うのだ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

最終回『重なる未来』が好き

 

なんだかんだでここに尽きるかもしれない。一から十まで好きなところ尽くし、こんなに何度も観たくなる最終回は(少なくともニュージェネレーションシリーズでは)初めてじゃないか……というくらいにはこの最終回を見返しているし、その度に涙ぐんでいる。凄かったんですよ、『重なる未来』!!

 

〈アユムとサユキ〉

総括記事では触れられずにいたけれど、ウタ班長ことサユキも『オメガ』に欠かせない……あるいは「オメガを象徴する人物」だったように思う。 

怪特隊特務班のように行動の自由度・独立性が高く、メンバーも素人で、その上時々いなくなる……というグループは、リアルな防衛組織ではまずあり得ない。しかし、そんな「普通はあり得ない」体制を実現させてしまったのがサユキというキャラクター。 

というのも、彼女は「有能で聡明だが、型に囚われない変わり者」で、そのことは怪特隊やNDFに広く知られている様子。なので、サユキにとっても組織にとっても「サユキが独立行動する」ことはむしろ自然で合理的なことなのだ。 

また、サユキの変わり者ぶりを示すのが「英語混じりの口調」であり、最初は少しだけキャラクターっぽさを感じてもしまったけれど、彼女がウルトラマンの名付け親になった瞬間にすべて納得してしまった。口調を含めた彼女のキャラクター性は、リアリティラインの高い『オメガ』世界に「ウルトラマン」の名前を自然に持ち込むために必要不可欠なピースだったのだ。 

……と、そんなサユキが最終回で魅せてくれたのが下記のアユムとのやり取り。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「昔っからアユムの粘りは凄いから。初めて会った時もさ」

「あっ、その話はもう……!」

「私の講演会で一人でバンっバン質問してきて!」

「先生、呆れて連絡先を教えてくれたの」

「違うって! アレは、アユムと友達になりたかったんだよ?」

「……先生」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

前述の通り、オメガは「語らない粋さ」が散りばめられた作品だった。けれど語らないばかりが美徳ではなく、時には言葉にすることも必要。むしろ、語らない粋さを散りばめてきた作品だからこそ「敢えて言葉にする」こともまた染みてくる。 

「ただ友達になりたかった」その真っ直ぐさに、作中度々「組織のしがらみ」に苦しんできたアユムはどれほど救われただろうと思うし、この言葉はおそらく後述の「ソラトのやりたいこと」の前振りにもなっている。いつの時代も、それが宇宙人であっても地球人であっても、人と人を繋ぐのは理屈ではなく「友達になりたい」というシンプルな想いなのかもしれない。

 

 

〈県大会3位っスよォ!!〉

撃墜されたレーザー砲を手動で復旧させ、ゾメラに挑もうとするコウセイ。ソラトに別れを告げ(第24話の「今までありがとな」が「ソラトはもういない」と認める言葉だったのが切ない。それを笑顔で言えるコウセイが好きだ……)、メテオカイジュウを失っても諦めず、自分にできること/自分がすべきことを命を懸けて行おうとする姿勢にはそれだけでも涙してしまうけれど、なぜだか無性にグッと来てしまったのがこのやり取り。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

『俺がやります。怪特隊……隊員ですから!』

「その代わり、絶対に生きて帰ってくること!」

「大丈夫っス!……県大会3位っスよォ!!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

県大会3位。コウセイは人に誇れても夢からは遠いこの実績をしょっちゅう口にしていたけれど、当初のそれは「何も持っていないというコンプレックスから来る虚勢」のようだったし、コウセイの口ぶりも「誇る」というより「意地を張る」ようなニュアンスに感じられた。 

けれど、ここで県大会3位と口にするコウセイは明確な「自信」に満ちていた。それは、この半年間を通してコウセイが様々な人と出会い「やりたいことに向けて突っ走った」自分を、その先にいる今の自分を誇れるようになったからなのだと思う。ラストシーンでアユムを「アユ姉」と呼ばなくなったのも、彼にとってもうアユムが「ずっと先を行く憧れの存在」ではなく「共に歩む対等な仲間」に変化したからなのではないだろうか。

 

 

〈帰ってきたソラト〉

ソラトに精一杯叫ぶコウセイ、「宇宙観測隊」としての自分に抗うオメガ。それらのやり取り一つ一つ……特に、今にも涙しそうな表情で地球人の可能性を語る近藤氏の名演は観ていて熱く込み上げるものがあったけれど、堪えきれずボロボロと涙してしまったのが下記の一連。  

「ソラ……オメガ!」

「違う……。答えなんてどこにもない、探しているだけではいけないのだ! 自分たちで生み出さなければ……!」

「……」

「それが我々には不可能なら、地球人と……いや、すべての命と!」

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「手を、取り合って……っ!」

「……!」

「私は……俺は! オオキダ ソラト! ウルトラマンだ!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

秩序の守り手としての「完璧さ」を求めてか、あくまで当事者でなく観測者に徹していた宇宙観測隊。悪ではないが「正義」とも思えない、それ故にもどかしかった彼らの在り方を「(たとえ間違えることがあっても)自らの手で掴むことに価値がある」と真っ向から否定してくれたこと。……それさえも霞んでしまうほどに「オメガスコープの構え(観測)を解き、両手を握り締める(共存)ことで “オオキダ ソラト” の帰還を示す」という演出が素晴らしかった。本当に、本当に素晴らしかった……! 

このシーンが刺さってしまう理由の一つが、前述した「語らない粋さ」。というのも、このシーンでは「オメガが手を握り締める」「コウセイが涙を流す」「オメガが “ソラト/ウルトラマン” を名乗る」という順番になっている。オメガが手を握り締め「手を取り合って」と口にした時点で、コウセイも私たち視聴者も、彼が「オオキダ ソラト」だと察することができる。理解が言葉より先にやって来るからこそ「納得」が深く染み入るし、言葉にならない領域でコウセイと感動を分かち合える。その上で叫ばれる「ソラト/ウルトラマン」の名前は単なる帰還宣言ではなく、彼自身がその在り方(地球での日々)を選んだという決意表明でもあるのだと思う。おかえり、ソラト……!! 

(怪特隊だから仲良くなるのではなく、固い友情で結ばれた3人に怪特隊という名前が与えられたり、「みんなに幸せでいてほしい」という願いに辿り着いたソラトに「ウルトラマン」の名が与えられたりと、『オメガ』では「辿り着いたことで名前を得る」作劇が徹底されている。そのことが自然な説得力に繋がっているのはもちろん、それはもしかすると「手元に何もなくても、あなたはやりたいことに向かって走り出していい」というメッセージでもあるのかもしれない)

 

Missing Link (feat. ASH)

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〈ソラトのやりたいこと〉

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「楽しかった……。俺ずっと一人だったから、一緒に笑える仲間が欲しかったんだろうなぁ……」

「このままじゃ終われない。終わらせたくない!」

「ああ、俺もだ。……コウセイ、一つだけ方法がある」 

  (中略) 

 「みんなを守れるなら構わない。ソラトと一緒なら、何だってやってやる」

 「俺たちのやるべきことをやろう」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

ソラト/オメガは、完璧な秩序の番人たろうとする宇宙観測隊の中にあって、観測対象である「不完全な生き物」に惹かれてしまう変わり者だった。それはきっと、彼自身が宇宙観測隊の完璧さ・合理性・無機質さに馴染めない「不完全な(やさしい)生き物」だったから。だから彼は地球人と話してみたい、一緒に笑い合いたいと願ったのだと思う。  

完璧な存在は、他者にも完璧を求める。けれど、不完全な存在は他者の不完全を受け入れることができる。自分と違うものを理解し、相手の胸の内を想像し、そこに「優しさ」を注ぐことができる。   

それは、間違えるからこそ宿る力。武器よりも光線よりもずっと強い、ソラトが憧れ続けてきた力。「目覚めの刻」という定められた滅びを唯一回避できるかもしれない希望。   

人間は不完全だから守る価値がないのではない。人間は、不完全だからこそ守る価値がある。 

引用:総括感想『ウルトラマンオメガ』- シリーズの真価を問い直す意欲作。ウルトラマンの心を動かす “地球人の光” とは何だったのか - こがれんアーカイブ

 

ウルトラマンはなぜ地球を守るのか」という問いに対する上記の見立ては、あくまで作品を俯瞰した「理屈」の話。 

一方、ウルトラマンオメガ・ソラトが地球を守ろうとしてくれるのは「友達」だから。地球人が好きだから。それはあまりにもシンプルで、だからこそこの上なく「納得」させられるものだった。 

観ているだけでは友達になれない。一緒にいたいから友達になりたい。友達だから手を取り合える。友達だから守りたい、友達だから、自分のすべてを託すことができる。光と人の「繋がり」を描き続けてきたウルトラマンシリーズの根底を問い直す『オメガ』にとって、それはある種当然の帰結だったのかもしれない。

 

「人が人を想い、繋がり合おうとする心。その絆が天と地とを繋ぐ光なんだ。その光とユナイトするからこそ、私達は “光の巨人” と呼ばれるんだ……!」

-『劇場版ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』より

 

 

〈「ウルトラマンオメガ」の戦い〉

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「行くぞォ! コウセイ!」

「よっしゃあ……! 行くぞ、ソラト!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

ソラトとコウセイの合体変身というまさかのサプライズ。2人が積み重ねてきた絆の集大成として、コウセイというごく普通の青年が光に成る物語としてこれ以上ないものを見せられてしまって、自分はスラッガーが出現した瞬間から大号泣してしまったのだけれど、オメガが走り出した瞬間で「おや?」となってしまった。

 

オメガ 優勢①(UO_M-10)

オメガ 優勢①(UO_M-10)

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流れ出したのは、汎用戦闘BGMである『オメガ 優勢 ①』。え、ここでBRIGHT EYESでもMissing Linkでもアンブレイカブルでもなく汎用戦闘BGM!? と、本音を言うと「肩透かしを食らった気分」になってしまった。しかし、

 

レキネスアーマーのテーマ(UO_M-2)

レキネスアーマーのテーマ(UO_M-2)

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オメガがレキネスアーマーにチェンジ。と同時に聞き覚えのあるイントロが。この時は気のせいかとも思ったけれど、

 

 

それはトライガロンの攻撃と共に半ば確信に変わって、

 

 

ここで「やってくれたなァ!!」と目を見張った。最後の最後であの武居監督がアーマーチェンジラッシュを……それも「新規メドレーBGMを引っ提げて」撮ってくれるだなんて思わないじゃないですか……!! 最後までありがとうございます武居監督、一生付いてきます!!!!! 

(ソラトとコウセイが変身したオメガは姿こそ変わらなかったけれど、アーマーチェンジを含めたメテオカイジュウ3体との連携はこれまでと見違えるもの。怪獣使いとしての力を備えた、事実上の「最強のオメガ」としてゾメラを終始圧倒してくれたのがたまらなかった……!)

 

 

〈怪獣科学特別捜査隊と「怪獣との未来」〉

「オメガは『ウルトラマン』の壮大なプロローグ」という話が武居監督のインタビューで飛び出すまで、自分は最終回が「第1話」だという認識はあまり持てていなかったのだけれど、それでもリアルタイムで「始まり」を感じてしまったのがゾメラ撃破後のエピローグ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

遂に設立された本格的な対怪獣組織『怪獣科学特別捜査隊(KSSIT)』は、その名前やコウセイ・アユムのスーツ姿からも科学特捜隊のオマージュであることは明らか。更にはコウセイが「正体を隠して戦うヒーロー」になっていたりと、何かと鈍い自分もこの一連に溢れる『ウルトラマン』へのリスペクトには感極まらずにいられなかった。 

……と、その一方、このエピローグで自分が胸を打たれてしまったくだりがもう一つ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

『……怪獣の親子を助けたでしょう。優しいんですよね。ただ強いだけじゃ無いっていうのが、ウルトラマンの良いところだなって思いました。あとウルトラマンの影響で、怪獣はただ倒すだけの相手じゃないって感じる人も増えているみたいで、私も色々と考えるようになりました』

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

目覚めの刻に対する回答が「怪獣との共存」になることは本編の流れからも自然だし、シリーズにおいても決して珍しいことじゃない。ただ、こと『オメガ』はシリーズの中でもリアリティラインの高い作品なので、自分は「怪獣との共存」という理想への導線がどう描かれるのか想像もできなかったし、最悪「描かれないんじゃないか」とも思っていた。……けれど、本作はそこから逃げることなく「ウルトラマンの姿勢が市民の心を動かす」という形でその萌芽を描いてみせた。 

『オメガ』における脅威は常に「繋がりによって乗り越えるもの」として描かれてきた。であれば、目覚めの刻という試練を乗り越えるためにはもっと広い繋がりが必要であり、宇宙人と地球人が手を取り合った存在・ウルトラマンがその旗頭となる。それは、シリーズの当たり前を一つ一つ問い直し、現実と地続きの説得力を追求してきた『オメガ』流の「怪獣との共存」……ひいては「強さと優しさを併せ持ち、人々の応援を背に仲間と歩む “繋がり” のヒーロー」という、ウルトラマンの築いてきたヒーロー像そのものへのアンサーなのかもしれない。

 

共鳴レボリューション

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  • ASH & MindaRyn
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  • ¥255
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おわりに

 

総括で30000字、この記事で20000字、合計約50000字。こんなにも熱を持ってスマホを叩く作品になるだなんて思ってもみなかったけれど、まだまだ『オメガ』に対する気持ちは冷めそうにない。それはきっと、ウルトラマンオメガ』という物語がこれから真に「始まる」からなのだと思う。

 

 

ここから始まる新たな『オメガ』。劇場版、ひいては恒例の『THE LIVE』も(近藤氏のスケジュールの都合か)開催されなさそうな状況ではそれを観ることは叶わなそうだ……と残念な反面、「TVシリーズで綺麗に終わってくれる」ことは昨今では希少価値。ファンとしては潔くそのことを噛み締めなければならない。 

……などと、寂しさを噛み締めていたある日のことだった。

 

 

ガメドンアーマーを看板にした新番組『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ(2026)』。従来の『ジェネスタ』ではブレーザー以降のウルトラヒーローは新録がなかったので「ソラトの新録は新番組予告ぐらいだろう」と思っていた自分にとって、このまだまだ新録あります宣言は予想外のサプライズ。ガメドンアーマーが戦う姿をガメドンがゼットやジードに伝えるとか、せいぜいそのくらいの出番だと思ってたんですよ……!! 

(もしかすると、劇場版がない分の補填も兼ねているのかもしれない)

 

「ソラトとコウセイが」ではなく「ソラトが」という部分が気になるけれど、『ウルトラマン列伝』からというもの、しれっと本編のアフターを盛り込んでくるのがこの「総集編枠」の恒例行事。過度な期待は禁物だけど、それはそれとしてこれからの半年間を楽しみに見守っていきたい。 

改めて、半年間本当にありがとうございました! そしてこれからもよろしく、ウルトラマンオメガ……!!

 




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