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〈2025年上半期〉映画感想まとめ - 決戦!九龍城砦 VS 豊作ホラー映画軍団

ウルトラQ  dark fantasy』や『着信アリ2』にトラウマを刻み付けられてから約20年。最近の自分は無性にホラー映画づいている。

 

kogalent.hatenablog.com

 

全12本と、ここ最近では鑑賞本数が少なかった2025年上半期。けれど、そのうち3本がホラー映画、かつ「2本は一人で観に行ったもの」というのは、ホラー苦手マンの自分としては大いなる進歩。昨今のホラーブームのおかげで、自分のようなビビりでも観れるホラー映画が増えたことには本当に感謝しかない……!

して、そんなホラー映画たちは世間的にも言われている通り豊作揃い。それら傑作ホラー軍団と、とあるアクション映画が筆者内ランキングでしのぎを削る様をお楽しみくだされば幸いです。

(既に感想を書いている作品については、当該記事を掲載しておきます)


《目次》


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引用:映画『見える子ちゃん』霊を“無視し続ける”新感覚の青春ホラー漫画を実写化、原菜乃華主演 - FASHION PRESS

 

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』(1/18鑑賞)

 

開幕0.1秒で笑ってしまったし、その後も事あるごとに笑いを堪えられなかった。流れるナレーション、そして律儀に再現される「ミョミョミョ~ン……デレレン……」のタイトルイン。庵野ォ!!やりやがったなァ!!!!  

公開前から「GQuuuuuuXは一年戦争でジオンが勝利した未来なのでは」とは言われていて、自分は「いやいやザクタイプのモビルスーツがいるからって宇宙世紀だなんて限らないでしょ、ジンを見なさいよジンを」などと呑気に思っていた。ところがどっこい蓋を開ければコレである。ナレーション~タイトルインの時点で敗北してたのに、その後も赤いザクが出て「!?」となり、シャア (シャア!?) のサイド7侵入で事態を察し始め、ガンダムが大地に立ったところでひれ伏して、そこから長らく続くアレンジBGM満載のif宇宙世紀にはいよいよどういう顔をすればいいのか分からなかった。正直メチャメチャ楽しかったけど、これ、このまま最後まで行かないだろうな……!? 

などといらぬ心配をしていたので、その後マチュたちが登場し一気に『トップをねらえ2!』のような雰囲気になったところで謎に安心してしまったし、そこからの雰囲気がま~~~好みだったので、開幕編にして二度美味しいという妙な味わいに。自分あの「赤いガンダム」の纏うオカルトめいた雰囲気や、アマテの何かを追い求めて突っ走っている感覚、そして何より挿入歌で後押しされる「新しさ」!

 

Plazma

Plazma

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥255

 

原典『機動戦士ガンダム』も好きな身としては、もちろんそのif続編は面白いと思ったけれど、同時に「これは “新しいガンダム” ではないのだな」と残念に感じる気持ちもあった。けれど、それは全くの杞憂だった。ルーツこそ『機動戦士ガンダム』にあっても、そこに広がるのはあくまで「誰も見たことのないガンダム」だと、そのことを、豪華かつ「令和」を感じさせる挿入歌群――およそこれまでの宇宙世紀作品では使われなかったであろう楽曲群――が力強く宣言しているようで、自分はその痛快さに劇場で打ち震えて、酔いしれていた。この感覚は、自分が2023年に浴びた『トップをねらえ2!』のそれと同じであったし、であれば『GQuuuuuuX』が描くもの=この作品が「人の革新」をどう描くのか気にならないはずがない。楽しみにしてます、GQuuuuuuX……!! 

(……という感想を書いたのが鑑賞直後。実際に見たGQuuuuuuX本編がどうだったか、というのはまた別の機会に)

 

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

  • Alyson Leigh Rosenfeld
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『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(2/1鑑賞)

 

自分はホラーが苦手なのにホラーが好き、という奇特な人間なのだけれど、特に苦手なのは所謂ゴア描写や「ジャンプスケア」。それらを避けて鑑賞できるホラー作品を日々探している自分にとって、この映画はまさにうってつけの代物だった。 

というのもこの映画、なんとゴア描写もジャンプスケアもない――どころか、所謂「怖いもの」が出てこない。確かに、この映画で起こる一連の事態には「元凶」と言えるものがあるし、それが生まれてしまったロジックも最低限説明はされる。しかし、それが「目に見えて現れる」ことはない。ならなぜああも恐ろしいのか、それはこの作品が限りなく「こちら側への攻撃」に特化した作品だからだろう。

 

 

本作は、所謂「視える」力を持った霊能力者=天野司と、かつて弟が消えた山で山岳ボランティアを行っている兒玉敬太のW主人公制。この二人が、あるビデオテープをきっかけに弟が消えた事件の真相に迫っていく――というのが本作の大まかなあらすじだ。そんな本作のミソは、天野司の「視える」という設定にある。 

視えてはならないものが視える、という触れ込みから、自分は本作が「(主に白石晃士監督が得意とする)霊能力者モノ」かと思ったのだけれど、実際はそんなこともない。司はあくまでそれに怖がることしかできない一般人=対抗手段を持っているわけではなく、とある理由から「彼の視ているもの」はスクリーンに映らない。我々観客は、彼らが追い詰められていく様を観ながら、最後までその「姿」を拝むことはできないのである。  

これに加えて恐ろしいのが、後半で民宿働きの青年が語る昔話。その内容は、かいつまんで言うと「自分が誰から生まれたのか分からず、親も祖母もその異常を異常と思っていない」というもの。詳細な描写や彼のたどたどしい語り口もあり、これ自体が怪談として恐ろしいものになっているのはもちろんだけれど、真に恐ろしいのは、この怪談や冒頭のある台詞が「主人公たちもまたいつの間にか “それ” に飲み込まれていた」という展開に繋がってしまうこと。 

「それ」は目に見えず、「それ」の影響も目に見えない。だからこそ、いつの間にか足場が崩れ去っていた――という恐怖、そして「それ」の存在が真に迫るものになる。加えて、クライマックスで明かされるとある「仕掛け」によって、「それ」は「こちら側」と(綺麗かつ最悪の形で)接続されてしまう。 

髪を洗っている最中に視線を感じる、というのはよくあることだけれど、はっと振り返って「何もいなかった~」と安心できるのがこれまで。しかし、本作を観てからはその安心は通用しなくなる。本作において、「それ」の存在は一貫して「視線」という形で描かれているし、その姿が最後まで「視えないもの」として描かれているため「振り返って、そこに何もいないことを確かめて安心する」ことができなくなってしまうからだ。  

昨今は、現実とホラーを接続する手法としてモキュメンタリーが一つのブームになっているが、本作はあくまで「ホラー映画」としての形を取りながら、恐ろしいほどに「現実とホラーの接続」を成し遂げてみせた。この作品がヒットを記録した事実は、ひょっとすると昨今のホラーブームにおける大きな「転換点」になるのかもしれない。

 

(幸いなことに、自分は本作を「近藤亮太監督&高橋洋氏のトークセッション」がセットのスペシャル回で鑑賞。サイン会で「ホラーが好きだけれどジャンプスケアが苦手なので、それらなしで非常に怖い本作はとてもありがたい作品でした」と伝えられた時の近藤監督の笑顔や、高橋氏がトークセッションで語られていた「世の中に存在する “得体の知れないもの” を掬い上げる」という言葉が非常に印象的で、ホラー素人の自分は場違いなのでは、という罪悪感が吹き飛んでしまうくらいには素敵な時間だった)

 

Vシネクスト『仮面ライダーガッチャード GRADUATIONS』(2/21鑑賞)

 

2023年~2024年放送『仮面ライダーガッチャード』のその後を描いた新作。新旧仮面ライダーの共演を描く年末公開の映画、所謂「冬映画」の廃止によって『ガッチャード』初のアフターストーリーとなった本作は、なんと学園を舞台にしたループもの。そのためか、特撮・アクション的な見所は全体的に控えめだったものの、それを補って余りあるのがりんね……ではなく、なんとスパナの物語だった。

 

 

りんねも良かった。デカすぎる愛を持つ宝太郎の「特別」になれないことにもどかしさを感じてしまっていた (であろう) りんねが、その現実を突き付けられることを恐れて留学を言い出せない姿や、言い出した結果、宝太郎に「応援」されてしまい落胆する姿には言いようのない息苦しさがあったし、宝太郎の「寂しい」を引き出した彼女の「寂しかったら電話してもいいよ」は『グリッドマン ユニバース』以来の胸キュン (死語) 案件だった。りんねパートだけ長谷川先生書いてない!? 

とはいえ、りんねと宝太郎の関係がある意味「関係性を進展させなかった」ことにはやや肩透かしな感覚もあった。卒業をテーマにした作品だったからこそ、喪失への恐怖と「そこから踏み出す勇気」を書いてほしかった……のだけれど、その点を担っていたのは意外にもスパナの方。 

 

バトルスピリッツ 仮面ライダーヴァルバラド(Xレア) 仮面ライダー ~神秘なる願い~(CB30) X05 | コラボブースター 仮面・創手 スピリット 青

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自分は、スパナたちがループしていた原因 =「今を繰り返したい」という願いを持っていたのは間違いなくりんねだと思っていた。が、それは見事なミスリードで、誰よりそれを願っていたのはスパナ。本作で描かれた彼の想い =「みんなとの日常が当たり前でなかったからこそ、誰よりそれに囚われてしまう」「鏡花の結婚という明確な変化を、喪失への恐怖から無自覚に拒絶してしまう」という弱さは、それ自体が「スパナがどれだけ “今” に救われていたか」という幸福の裏返し。ウロボロスと対峙したスパナがそのことを振り返る/噛み締めるシーンでは、そこかしこで鼻をすする音が聞こえていたし、自分もここには涙せざるを得なかった。 

そんなスパナは、ウロボロス……あるいは自分自身に言い聞かせるように「別れがあれば出会いもある」という言葉を口にする。それは
「家族を喪ったが、やがて宝太郎たちというかけがえのない仲間を得た」スパナのこれまでの人生そのもの。彼が最終的に、みんなの力ではなく「自分一人の力で現実 (鏡花とミナトの結婚式) に帰還する」姿は、かつて世界に別れを強いられた彼が、今度は自らの意志で別れを受け入れたという証。それは学生である宝太郎たち以上に「卒業」を体現する姿になっていたし、同時に「過去に囚われず、未来へ進むこと」を叫び続けた『ガッチャード』という作品にとっても、この上なく美しいクライマックスだったように思えてならないのだ。

 

 

ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』(2/23鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 4Kリマスター』(3/1鑑賞)

 

攻殻機動隊』は友人からかねがね勧められていたのだけれど、本作がまさにその入口になる作品ということで鑑賞。 

前情報をシャットアウトして「義体の概念はなんとなく知ってる」くらいのミリしら状態で挑んだせいで、序盤は世界情勢や各単語の意味を追いかけるので手一杯になってしまった――のだけれど、自分はこの時点で作品の圧倒的な「雰囲気」に魅せられてしまっており、視聴感は同じ座組の『劇場版パトレイバー』に近かった。ユーモアが挟まれない分こちらの方が消費カロリー消費は大きかったけれど、草薙素子 (田中敦子さんの、クールな中に陰を感じさせる絶妙な演技がたまらなかった。御冥福をお祈りします……) がその「脆さ」を見せ始め、人形使いが正体を表す中盤からはずっと目をかっ開いて観入ってしまった。中でも自分が引き込まれたのは、人形使いの存在が人間……ひいては「生命」という概念を揺るがしかねない存在であったこと。 

人工生命でもAIでもなく、情報の海で自然発生した存在である人形使い。彼を生命と定義できるのか否か、という問答の中で明らかになっていくのは、彼に審判を下そうとする「人間」側の不確かさ。  

遺伝子に刻まれた生存・繁殖のプログラムで動く存在でありながら、虚構の社会や他人のアイデンティティー=置換可能な外観や、あやふやで刹那的な「記憶」に左右される人格の実在性を信じ込む。その脆さは作中様々な形で――とりわけ「娘の写真」のくだりは背筋が凍る思いだった――描かれており、素子の抱く「自分という存在への不安・疑念」に徐々に感情移入させられてしまう。……というより、「観ているうちにこちらまで自分のアイデンティティーを揺るがされ、結果作中でその悩みに直面している素子に縋ってしまう」という方が正しいかもしれない。 

しかし、そうした人間ないし人間社会への鋭利なメスの先に待っていたのは、縋っていた素子が人形使いと融合し、世界と繋がった「何か」へと変貌してしまうという結末。

 

 

子どもの義体で「童の姿では童の思考を、大人の姿では大人の思考を持つものだ」と語る素子の姿は、自身がそのルールから逸脱していること=彼女が「我々の認知する “人間” という概念」から逸脱していることを表しているように思えてしまう。しかし、かといって彼女を「草薙素子ではない」と断言することが一体誰にできるのだろうか。 

作中、素子に (少なくとも同僚以上の) 特別な感情を抱いていることが仄めかされるバトーだが、彼は結局素子を苦しみから救うことはできず、人形使いの最後の会話にも立ち入れず、最終的に彼女を見送ることしか許されなかった。それは、バトーが素子に抱いていた感情もまた、彼女を束縛するものの一つだったからなのかもしれないし、彼と共に草薙素子を見守っていた私たちに対する「お前は “草薙素子” を理解したと言えるのか?」という問いかけでもあるのだろう。この問いかけが、AI産業が社会を飲み込もうとしている今こそ鳴らされるべき警鐘であったなら、本作は単なる「周年記念上映」以上の意味を持っていたのかもしれない。

 

 

イノセンス 4Kリマスター』(3/4鑑賞)

 

「GHOST IN THE SHELLの続編らしい」という情報だけを知った状態で観に行った作品。もしやこの背中は、と薄々期待していた通り、主役はまさかのバトー! トグサとの渋すぎるバディが全編に渡って繰り広げる哲学問答は、難解ながらもオフビートなカッコ良さが満載だった。こういうのが響く年になっちゃったな……。 

が、本作の好きな点を挙げるならそれは研ぎ澄まされ (すぎ) たスリラー演出と、それらがパズルのようにハマっていくストーリー。中でも印象的なのが、キムが扮したトグサの「人が人形を恐怖する理由」のくだり。人が人形を恐怖するのは「自分もまた機械じかけの存在=紐解いてしまえば “虚無” だと思い知らされてしまうから」というのは、自分の長年の疑問に対する答えだった……というだけでなく、前作で草薙素子が抱いていた恐怖をバトーやトグサ、そして本作を鑑賞している私たちに追体験させるということでもある。 

更に、この一連はキムがゴーストハックでバトーとトグサに見せている「擬似体験」であり、『GHOST IN THE SHELL』で人形使いが行っていたことの意趣返し。トグサが妻と子どもの実在を疑ってしまう姿は、他ならぬトグサ自身が聴取を行った清掃員を彷彿とさせるし、前触れもなくループし始めるバトーたちを見ながら、それが「現実なのかどうか」を判別できない体験は、私たちも「機械じかけの人形に過ぎないのかもしれない」と思わせるのに十分なものだった。 

しかし、その恐怖が根深かったからこそ、その後に仕込まれたカタルシスが規格外のものになっていたのもまた事実。

 

 

 

バトーとトグサがループする擬似体験に必ず現れていた「草薙素子っぽい少女」。バトーがあまり反応を見せない上、本作には (クライマックスのため、そしてバトーの視ているものを私たちに追体験させるためか) 素子に似たデザインのロボットが多数登場していたので、自分はその少女も素子ではなく「予めそこに設置されたガイノイド」なんだろうと思っていた――ので、「この状況に介入できるのは」からの「2501」には劇場でハァッと声が出てしまったし (レイトショーだったので人がまばらで良かった) 、最高の登場だ!! と喜んでいたら最終的に素子とバトーの共闘が観れるものだから内心手を合わせて拝み倒していた。こんな光景が観れると思ってなかった……!! 

自分は、前作のラストシーンから「素子は既に素子ではなくなった (個人を個人と認識せしめる社会から解放された) 」と思っていたのだけれど、本作のクライマックスでバトーの背中を預け合う素子は、かつてと異なる人格、声、身体であっていても、紛れもない草薙素子本人だった。 

(素子の声優は引き続き田中敦子氏だったけれど、彼女の台詞からすると「演出上田中敦子氏の声だっただけで、あの義体から発されていたのは素子の声ではない」と考えられる)

 

けれど、考えてみればそれも当然のこと。人間は様々な情報と経験を得てその人格を変えていき、身体も成長しては衰えていく。素子の変化は「極端」なだけで、それは人間と何ら変わらない。 

ならば、なぜ人は個人を個人として認識できるのだろう。その鍵となるのは、前作でも本作でも言われていた通り「記憶」なのだ。 

前作では断絶の象徴のようにも見えた「変われないバトーと、変わった素子」の姿は、本作ではむしろ「真に結ばれた繋がりは、そんな額面上の変化に潰されるほどヤワじゃない」という頼もしさに満ちていた。そんな彼らの間にある純な繋がりも、本作で描かれたイノセンスの一つなのかもしれない。

 

 

映画『ドラえもん のび太の絵世界物語』(4/3鑑賞)

 

映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』以来21年ぶりのドラえもん映画。「絵」がテーマということで、絵を描くのが好きで創作を生業にしている自分にはまず刺さるだろうと思って見に行ったのだけれど、個人的にはあまりピンと来なかった。というのもこの話、あまり「絵」が関係ないように思うのだ。 

本作の軸となるのは、幻の色「アートリアブルー」を探す絵描きの少年マイロと、アートリア公国 (絵世界物語と言いつつここが “絵の世界” でないことに少し違和感を覚えてしまった) の姫であるクレア。数々の名画を盗むタイムハンターのソドロと、彼を追うタイムパトロールのパル。マイロとクレアはそれぞれのキャラクターがとても魅力的だったし、パルとソドロ周りの時間SF的な作りや、全編通してひみつ道具がひっきりなしに活躍しているのも非常に楽しかった。 

(つりざおでジャイアンたちを救ったり、ふりかけがフィニッシュになったり、そういう「大見せ場」に繋がる仕込みがどれも秀逸だった……!)

 

しかし、それだけに「個々の要素が繋がってこない」もっと言うなら、話の軸が「絵」というものに踏み込んでこないのが致命的だった。  

ソドロの「アートリア公国は滅びる国なので、未来人が現れても絵を盗んでも未来に大きな影響が出ない」という時間SFにも芸術論にも踏み込む鋭いロジックは、あくまで「理屈付け」の域を出なかったし、クレアとパルに至っては二人がいなくても成立する話になっていた。それならばいっそ、のび太とマイロ、ソドロとアートリア公国を軸に「絵に対する価値観」「国が滅んでも絵は残る」といった要素、そして「上手い下手ではなく、思いが籠っているかどうか」というテーマを掘り下げた方が、ドラえもんの絵が逆転のきっかけになるクライマックスにより説得力が出たのでは……と思ってしまうのはないものねだりだろうか。 

しかし、気になるのは「クレアも実は絵だった」「パルがクレアを連れてきた」というクレア周りの顛末が妙に急ぎ足だったこと。例えば「本当はもっと絵がテーマの話だったけど、何らかの事情で脚本が大幅に変更された」という背景があったとするなら、諸々の違和感に筋も通るのだけれど、果たして……?

 

 

『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(4/13鑑賞)

 

自分にとっては初の香港映画で「川井憲次劇伴」「仮面ライダークウガ要素がある」といった情報や、自分の身近な (趣味嗜好の近い) 方々がハマっていることを頼りに観に行ったところ、正直これだけで記事を一本書いてしまいたいくらいには「オールタイムベスト級」だった大傑作。  

九龍城砦で営まれる、綺麗ではなくとも暖かみがあり、人としての仁義で成り立つささやかな日常。それぞれが様々な過去を持っている九龍城だからこそ、正しさよりも「粋」という筋で生きる彼らの姿には (正しさ、が呪いになっている今の時代に生きているからこそ) 胸を打たれるものがあり、自分も自ずと九龍城を仕切る兄貴分・龍捲風 (ロンギュンフォン) 兄貴が大好きになってしまっていた。表情とアクションで魅せる古天樂氏の名演もさることながら、吹替に堀内賢雄さんをキャスティングしてくださった方、天才ッ……!! 

けれど、それだけに光っていたのが終盤=陳洛軍 (チャン・ロッグワン) の出自が明らかになってからの絶望感。それまでの違和感が最悪の「答え」して雪崩れ込むVS秋秋 (シュウウォン) 兄貴パート→大ボス襲撃パートのクライマックス感は凄まじく、洛軍が病院で目覚めたところで「まさかこれで終わり!?」と本当に思ってしまったほど。そこからあんな逆転劇が待ってるだなんて思わないじゃないですか……!!

 

 

本作を観た人ならみんな同じだと思うけれど、自分はこの時点で信一 (ソンヤッ)、十二少 (サップイー)、四仔 (セイジャイ) の3人がそれはもう大好きになっていた。顔も声も面倒見も良すぎる仮面ライダークウガ兄貴こと信一は言わずもがな、チャラチャラした見た目でその実情に厚い十二少も、医者でありながら洛軍を守るために奮戦した四仔もみんなたまらなくカッコ良くて、だからこそ、彼らを誘いにきた洛軍がその考えを改め、黙って一人で九龍城に乗り込む姿にも――そんな彼の窮地に、戦線復帰不可能と思われた3人が駆け付けるシーンにも大号泣だった。カッコ良すぎるよみんなァ!!!!!!!  

(先陣を切るのが “バイクを駆る信一” なことに狂喜乱舞していたら、ここで四仔が素顔を露にするというアツすぎる演出に思わず二度見。しかもポニテですよポニテ!!)

 

かくして、戦いはラスボス・王九 (ウォンガウ) との四対一に。「硬直」という (世界観が違いすぎる) チート技持ちの王九を相手に、誰が死ぬか分からない緊張感や前半で描かれていた要素のリフレイン (4人での連携や竜巻など) 満載で描かれるラストバトルはたまらないものがあったけれど、白眉はやはりラストシーン。かつては自分が生きることしか考えられなかった洛軍が、燃えたぎる復讐心を律し、恩人に刃と想いを託す。そんな彼の姿にこそ、本作に満ちていた「粋」が集約されているように思うのだ。

 

 

『爆上戦隊ブンブンジャーVSキングオージャー』(5/3鑑賞)

 

2023年放送の『王様戦隊キングオージャー』と、2024年放送の『爆上戦隊ブンブンジャー』のコラボ作品。近年の戦隊コラボ映画、所謂「VS作品」が2作続けて「30分×2」の分割方式だったこと、自分がブンブンジャーへの思い入れが深いことから期待値高めで観に行ったのだけれど、それが失敗だったのか終映後は何とも苦い顔に。 

理由は色々あるけれど、特に深刻だったのが「両戦隊がお互いに深入りせず一緒にいるだけ」だったこと。衝突の末にお互いから学びを得たり、過去を知って手を取り合ったり、特別な意気投合を見せたりといった「化学反応」がない結果、一度分断された両戦隊が再合流しても12人の関係性がほぼ変わっていない=両戦隊が並び立つことによるカタルシスも、ストーリー的なうねりも生まれないという「VS作品」として致命的な欠点を抱えてしまっていた。  

(元々VS作品は尺が短く十分なドラマは描けないので、両戦隊の絡みが作品としての面白さ・満足度に直結している。この上でそこが極端に薄いのは非常に厳しいものがあった。しかし、後にこれは「製作がブンブン最終回の展開が決まる前だった」ことが原因=東映スケジュール問題改善の思わぬ副産物だったことを知って、なんとも複雑な気持ちになってしまった)

 

最強バクアゲヒーロー!

最強バクアゲヒーロー!

 

要素だけ見れば「地球の現状を憂いていた大也が、ギラに理想の王の姿を見る」「サンシーターを雇ったヤンマ」「正反対のブラックである錠とカグラギ」「自分の道を行くヒメノと未来」「マスコットに弱いリタとブンドリオ」など美味しい取り合わせが揃っていただけに、それらがうねりを生まなかったのは非常に勿体ないし、その結果本作は終始「盛り上がらないな……」というモヤモヤが積もり続ける一方。 

そんな状態だから、やたらと演出が間延びしていたり、ミノンガンが普通に倒されたり、ダグデドのバックアップという大ネタを取り込んで生まれたラスボス・ブラックホールグルマーが出落ち同然の存在だったり、ブンドリオの暴走が取って付けたような「なくても話の進行に問題がない」要素になっていたりと、そんなマイナス要素が殊更に目立ってしまっていた印象。 

これはないだろう、という大きなマイナスこそないが相応のプラスもなく、結果細かな問題が悪目立ちしている……というのは、ある意味昨年の『キングオージャーVSドンブラザーズ』『キングオージャーVSキョウリュウジャー』と対照的。どうか来年のVSは面白くあってくれ……!!

 

 

『きさらぎ駅 Re : 』(6/13鑑賞)

 

感想記事はこちら↓

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アイカツ! Memorial Stage ~輝きのユニットカップ~』(6/23鑑賞)

 

「あかりGenerationから人気エピソードを再編集して上映」と聞いた時は、いちご世代からのバトンタッチ編かな……いやここはやはり大スターライト学園祭編か……と色々考えたけれど、お出しされたのはまさかまさかのユニットカップ編。確かに、いちご世代の絡まない人気エピソードと考えると納得の選出、かつ自分は第130話~第134話の3ユニット結成編が大好きなので「ここを選んでくるとは……!」と思わず拍手喝采。おそらく、秋のアイカツ×プリパラへの前振りや、デミカツユニット編との連動的な意味合いもあるのだろうけれど、ここで正真正銘「あかりGenerationの単独映画」が生まれたことには後追い勢ながら感極まってしまったところ。 

……が、蓋を開けてみるとその構成は『アイカツレストラン』(第140話)→『その名も、あまふわ☆なでしこ』(第136話)→「ユニットカップ前後編」(第137話+第138話) というかなり歪なもの。確かにどれも好きなエピソードではあるけれど「いちご世代だけ知っていてあかり世代を知らないファン」や「プリパラとのコラボやデミカツアイカツに興味を持ってくれた新規ファン」も観るであろう作品で、最初にいきなりアイカツレストランをぶつけて、その後にあまふわ☆なでしこ結成編をぶつけるのは流石に悪手だったのではないだろうか。  

とはいえ、ユニットカップ本選で披露される4ステージ……特にライティングをはじめとした演出がキマっている『Chica×Chica』と『チュチュ・バレリーナ』のスクリーン映えは凄まじく、ここを魅せるための構成と言われたらそれはそれで納得してしまうところ。どうか次回に続いてこの辺りが改善されますように……!  

(アイカツレストラン後に挟まれる新録パートも、これまでのあらすじよりもユリカのラーメンについて語っているパートの方が長く、面白いけどそれはそれとして「もっと……もっとやるべきことがあるだろ……!!」と複雑な思いだった)

 

 

『見える子ちゃん』(6/26鑑賞)

 

幽霊で武装したり幽霊を殴ったりする輩がわんさかひしめく昨今のホラー界隈に「幽霊が見える」というスタンダードスタイルで殴り込みをかけた一本。原作ありきの作品とはいえ、このスタイルでここまで面白い作品を作れるの、あまりにも……あまりにも天才すぎる……! 

序盤はとにかくギャグの歯切れが良く (このパートであの2人の存在を自然に受け入れてしまってた……!) 、そこから「ハナの腹部にまで伸びている手」「ハナの前で立ち止まる霊」などで加速をかけ、善の回想やハナとみことの断絶で一気に恐怖へ突き落とす構成があまりにも見事。人間、いろんな怖さを一括りに「怖い」と感じてしまうので、2人の断絶という人間関係面のショックがそのまま映画としての緊張感・ホラー感に直結してしまうというのは (自分がホラー素人だからかもしれないけれど) 新しい発見だった。 

内容は所謂「ヒトコワ系」のようにも見えるけれど、怖いのはその「怖い人」が「霊」になること=永遠に特定人物を呪い続け、その呪いが周囲をも巻き込んでいくこと。人も怖いけど、それが霊になるともっと怖いよ、というのを『ほんとにあった!呪いのビデオ』などの名作ホラーを数多く手掛けられている中村義洋氏が撮る、というのはホラー素人の身からしても大いに熱かったポイント。 

しかし、そんな怖さの陰で繊細なドラマを描いているのも本作の魅力。というのも、本作は「見えるけど無視する」というフレーズを軸に、家庭内で起こる無視 (家族喧嘩) や学校内での無視 (仲間外れ) など、現代でありふれたナイーブな問題を数多く描いている。そのような諸問題が、奇しくも「幽霊」の存在をきっかけに解決していくストーリーは、それ自体が「見えないものを想う」という一つのテーマに収斂されていく。  

いなくなった大切な誰かが、ずっと私たちを見守ってくれているかもしれない。けれど生きている以上、それに縛られてはいけない。そんなメッセージと「縛られることと、大切にすることの違い」が示される四谷家のラストシーンは見事の一言。れ、レバニラぁ……!! 

が、そんなハートフルで終わらないのもまた本作の魅力。四谷家の件で「やられた!」と思ってから、更なる「やられたァァ!!!!!」を畳み掛けてくるとんでもないラストは必見。最初から最後までずっと楽しく、ホラーとしてもエンタメとしても一級品の素晴らしい作品だった。ところでハナちゃんが好きすぎる自分はもしかして怨霊なんでしょうか……???  

(陰キャは光のギャルが……好き!!)

 


おわりに - 2025年上半期映画ベスト10

 

ここ最近は、映画感想まとめ記事をアップするタイミングで毎回「#202○年○半期映画ベスト10」タグをつけてランキングをX (旧:Twitter) に投稿していたのだけれど、今回はリバイバル上映を除くと10本に満たない (アイカツ!も実質的にリバイバルのような作品なので) ため、ここで勝手に筆者内ランキングを発表しておきたい。 

1位:トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦
2位:きさらぎ駅 Re :
3位:見える子ちゃん
4位:イノセンス
5位:GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊
6位:機動戦士Gundam GquuuuuuX Beginning
7位:ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク
8位:ミッシング・チャイルド・ビデオテープ
9位:ドラえもん のび太の絵世界物語
10位:仮面ライダーガッチャード GRADUATIONS  

『トワイライト・ウォリアーズ』と『きさらぎ駅 Re : 』は刺さり具合では同率1位なのだけれど、前者が映画としての完成度としては圧倒的なため優勝。『イノセンス』と『GHOST IN THE SHELL』は、自分がまだまだ理解しきれていないのでこの順位、という結果に。 

なんだかいつにも増して自分らしくないランキングだなぁと思ってしまうけれど、こうして自分の世界を広げられるのが映画の醍醐味。下半期こそはランキングをX (旧:Twitter) に投稿できるくらい、もっと映画館に足を運べますように……!




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