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完全無欠の映画『超かぐや姫!』が “合わなかった” 理由について考えたい

何度か「逆張り」を卒業したタイミングがある。 

10年前に『ハートキャッチプリキュア!』でプリキュアを初完走、食わず嫌いは良くないと痛感した時。『鬼滅の刃 遊郭編』や『Free!』を観てボロボロに号泣、流行りものは面白いから流行るんだと痛感した時。他諸々の経験によって、自分は胸の深いところに「逆張りは損しか生まない」と刻み込んだ――ので、今回は本当に「合わなかった」のだろうと思う。あの超話題作『超かぐや姫!』が、自分でも不思議なくらい刺さらなかったのだ。 

本来であれば感想まとめにでもひっそり書いておこうと思ったのだけれど、どうもそんな量で収まりそうにはなかったので、今回はそんな「合わなかった」の気持ちと正面から取っ組み合って、その理由を紐解いていきたい。

 

※以下『超かぐや姫!』に対するネタバレ込みの「合わなかった」という感想が主となります。同作が「合った」方、あるいは同作未視聴の方はくれぐれもご注意ください※

 

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引用:「超かぐや姫!」|特報映像|Netflix - YouTube

 

『超かぐや姫!』は、2026年1月22日からNetflixで独占配信中の長編アニメーション映画。小説やコミカライズといったメディアミックスを含めたマーケティングにも非常に力が入っており、その結果、配信から1ヶ月足らずで異例の劇場公開が決まってしまうほどのムーブメントを巻き起こしている話題作だ。 

最初はNetflix独占配信ということで及び腰になっていたのだけれど、劇場公開とあっては黙っていられず映画館へ突撃。ハイクオリティな映像に裏打ちされた大胆なSF、入念な多段ロケットで予想を裏切ってくるストーリー、映画で描ききれない部分も作り込まれ、ある種の「考察要素」にもなっている緻密な設定群、懐かしさと新しさを併せ持つ多方面狙撃型楽曲ラインナップとその魅せ方、悲劇を受け入れるのではなく、自分の手でハッピーエンドに変えてみせるという令和らしいパワフルさ……と様々な魅力を堪能したものの、どういう訳か自分にはそこまで響かなかった。その理由の一つは、おそらく「毒のなさ」に対する違和感。

 

 

本作のキャラクターたちは、いずれも丁寧な「毒抜き」が施されているのが特徴的。 

母親との確執から家を出た彩葉は、過酷な生活の中でギリギリの毎日を送っている……のだけれど、だからといって私生活がだらしない訳でも日々を取り零しながら生きている訳でも性格が悪い訳でもなく、学業も推し活も、ひいては配信者生活も決して疎かにしない才色兼備の努力家で、心優しく人を見捨てられない善性の持ち主。超人が過ぎる。 

一方、そんな彩葉のもとに月から舞い降りた暴れ馬・かぐやは、彩葉を振り回し当初こそ何度も怒られていた(し、自分もこの段階のかぐやにはかなり精神が削られた)ものの、成長後は(自分の見落としでなければ)深刻なトラブルを起こすことはなく、むしろトラブル寸前の絶妙な危うさが配信者としての躍進に繋がっている様子が強調されていた。彩葉の過労についても完璧なフォローでカバーしてみせるなど隙がなく、「絶対に一線は越えさせない」という作り手の執念さえ感じられるキャラクターだったように思う。 

ヤチヨは出自が出自だからか目立った欠点がなく、彩葉のクラスメイト・芦花と真実も「正論パンチ」という言葉を使うことが奇妙に思えるくらいの聖人君子。アキラの「結婚」発言や、彩葉母の行動についても手厚いフォローが入っているなど、どのキャラクターも「うねりは生みつつも不快感は生まないように」という配慮のもとで成り立っていたように見えるのだ。

 

 

そのためか、本作は各キャラクターが衝突も失敗もしないまま――唯一のネガティブイベントと言える「彩葉の過労」についても、かぐやの献身に加え、彩葉が踏み止まったおかげで亀裂を生まずに乗り越え――ひたすらに右肩上がりで進んでいく。 

もちろん、その後には「かぐやとの別れ」や「8000年前へのタイムスリップ」というショッキングな出来事が控えているのだけれど、それらはどちらも天災めいた不可抗力であり、彩葉たちには落ち度がない。つまり、彼女たちメインキャラクターは誰も彼も最後まで株を下げることがなく、その潔癖さが自分には「違和感」として引っ掛かってしまったのだ。 

本作はかぐや周りの設定こそ明確なフィクションであり、お伽噺と銘打たれてもいるけれど、あくまでその土台は私たちの生きる現実世界。そしてその現実部分はリアルな作りが徹底されている。だからこそ、彩葉たちの毒抜きされたキャラクター造形やストレスフリーなストーリー展開がどこか浮いて感じられてしまい、彼女たちに共感することができなかった――と、それが第一の「合わなかった」理由なのだと思う。

 

[

 

ストレスフリーだがうねりはある。その絶妙な作劇とキャッチーな楽曲のパワーが噛み合った結果、本作は2時間半という尺を感じさせないハイテンション・ノンストップストーリーとして他に類を見ないエンタメ性を獲得していた。その点も本作が幅広い層に受け入れられている理由なのだと思うし、Netflix配信映画ならではの「ブラウザバックされないように」という配慮の賜物なのかもしれない。 

また、彩葉たちが不可抗力に襲われつつも、それらを覆しハッピーエンドを掴み取っていくストーリーは「コロナ禍に青春を奪われた世代」に向けられたエールであるようにも思える。 

生き辛さは人それぞれ。だからこそ、自分と同じ生き辛さを抱えたキャラクターたちが克己し、困難を乗り越えていく姿にはそれだけ深く胸を打たれてしまう。それは自分にとっては「報われなさ」だったり「対人関係」だったりするけれど、青春をパンデミックの中で過ごすことを強いられた世代にとっては「不可抗力によってすべてを奪われたこと」ではないだろうか。 

そのためか、本作において失敗や対人トラブルはそこまで掘り下げられることがなく、あくまで不可抗力の方に焦点が当てられる。エピローグにおいて「かぐやとすぐに喧嘩別れをした」と言及されていたように、本作において失敗や対人トラブルが存在しない訳ではない。が、それらはきっと「不可抗力を乗り越えたその先にあるもの」……つまり、本編内で掘り下げる必要のないものだったのかもしれない。 

自分もコロナ禍には少なからずダメージを負った身だけれど、多くの方々に比べれば軽傷の部類。特に、当時学生だった方々のそれと比べればまるで取るに足らないものだろう。であれば、自分はおそらく本作におけるメインターゲットではなく、それがきっと「合わない」と感じられた第二の理由なのだと思う。 

 

 

毒のないキャラクター・ストーリーに対する違和感。自分がメインターゲットでないという前提。そんなズレが、個人的な好みや「万人が認める次世代の “君の名は” らしい」という前評判によって拡大されてしまったこと。これらが「自分が本作に合わなかった理由」の正体であるなら、それはある意味「本作が広く受け入れられている理由」と表裏一体でもある。 

正直、空前絶後の大ヒット作品が合わなかったことで「自分はこの年で逆張りになってしまったのか?」と落ち込んでいたのだけれど、こうしてそのモヤモヤを文字に起こすことで、自分が本作を楽しみきれなかったことについても、本作が大ヒットしている理由についても相応に納得することができた。 

自分に対しての、そして世界に対しての解像度を高めることができる。中々言語化することのないネガティブな感想だからこそ、その「高まり」は自分の世界を殊更に大きく広げてくれる。これこそが、合わなかった作品の感想を書くことの意義なのかもしれない。 

どうか、この感想が自分のように『超かぐや姫!』が合わなかった方、あるいは「世間で絶賛されている作品が肌に合わず、肩身の狭い思いをしている方」に届きますように。

 

……それはそれとして、最後にこれだけはハッキリと言っておきたい。

 

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引用:https://x.com/i/status/2009596018120356078

 

ド好きです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

イベントレポート『アイカツプラネット! HAPPY∞5th FANtime!』- 5年越しの感謝祭! “あのライブ会場” に念願のミラーイン☆

自分は2022年末にアイカツ!シリーズに飛び込み、2025年1月に『アイカツプラネット!』に触れた新参者なのだけれど、当時から感じていたのが「アイカツプラネット!のファンは凄まじく熱量が高い」ということ。2026年時点の最新作『アイカツアカデミー!』を通した盛り上がりや、自分のような後追い勢の初見感想に対する反響の大きさがどうも頭一つ抜けている気がするのだ。 

自分も実際に本編を観る中で、その新しさと伝統を兼ね備えた「令和アイカツ!」の魅力にすっかり惚れ込んでしまったのだけれど、それだけに『アイカツプラネット! HAPPY∞5th FANtime!』が発表された時は「自分のような新参者が行っていいのかな?」と迷っていた。――のだけれど、本当に行って良かった。というより、行かなければ絶対に「これを生で観たかった……!」と後悔することになっていた。そう思わしめた『HAPPY∞5th FANtime!』の衝撃の数々を、熱が冷めやらぬうちにしっかり書き残しておきたい。

 

※以下、『アイカツプラネット! HAPPY∞5th FANtime!』の内容、特に筆者が参加したヨルーイン公演の内容に触れます※

 

kogalent.hatenablog.com

(アイカツプラネット!初見感想記事はこちら)

 

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《目次》

 

 

イントロダクション~トーク&ゲームパート

 

『アイカツプラネット! HAPPY∞5th FANtime!』は、2021年に放送された『アイカツプラネット!』5周年を記念して2026年2月21日に日本橋三井ホールで昼と夜……改め「ヒルーイン」と「ヨルーイン」の2公演が開催されたトーク&ライブイベント。2021年という時勢柄、リアルタイムでイベントが行えなかった同作にとっては待望の初単独イベントなのだという。 

諸事情で珠樹るり/ルリ役・小椋梨央氏と、栗六杏/アン役・エイミー氏の登壇が叶わなかったものの、他のメインキャストは長らくアイカツ!イベントへの登壇がなかった陽明咲/ローズ役・宇野愛海氏を含めた6名が集結。サポートゲストとして、星宮いちごの歌唱担当・わか氏と、虹野ゆめ/服部ユウの歌唱担当・せな氏も登壇されるなど非常に豪華なイベントとなっていた。 

そんなあまりの「唯一無二の機会」感のためか、開演前の会場にはそこはかとなく緊張感が漂っていたけれど、「なりたい自分になれる場所、アイカツプラネット!始まります!ふふっ」という(言い方も声色も驚くくらい本編そのままの)音羽舞桜/ハナ役・伊達花彩氏の第一声や、絶妙にゆるゆるとしたオープニングトークによって会場は一気に『プラネット!』らしい和やかな雰囲気に。

 

 

最初のコーナーは「5年目の告白」。その名の通り、今だからこそ話せる当時の思い出を語るというコーナーで、本谷栞/シオリ役・渡邊璃音氏が遠方での撮影時に寝坊してしまったこと、糸井紗良/サラ役・羽野瑠華氏が「アイカツ!ファンの兄のためにイベントで配布されたシャツをスタッフに懇願して複数枚持ち帰った」ことなどほのぼのしたエピソードを披露し、梅小路響子/ビート役・長尾寧音氏がそのふわふわっぷりで会場を更に和ませる一方、宇野氏が「明咲の髪色を作るため、1週間で3回美容室に行った」月城愛弓/キューピット役・瑞季氏が「骨折した状態でオーディションに臨んだ」とそれぞれ衝撃的な逸話を披露。トップ組の「格」で会場を震撼させていた。

 

ココロノトモ (Short Size)

ココロノトモ (Short Size)

  • 舞桜・栞 from STARRY PLANET☆
  • J-Pop
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

 

告白コーナーの次は、6人が二人一組になって挑むジェスチャーゲーム。片方がジェスチャーを行い、片方が何を指しているかを回答する、という点は一般的なジェスチャーゲームだが、回答者が見るのがジェスチャーを行うその人ではなく「ジェスチャー担当の動きをミラーリングした観客」という点で非常にイレギュラーな形式。長尾氏と瑞季氏のペアが抜群のコンビネーションと閃き(瑞季氏の瞬発力と回答精度は圧巻!)で連続正解を決める一方、渡邊氏・宇野氏ペアは「フィギュアスケート」「タイタニック」という他ペアとは比較にならない高難易度の/観客が真似しようのないお題に苦戦を強いられているなど、その特殊さにキャストも観客もてんやわんやな印象があったけれど、この両者の距離の近さや飾らない雰囲気はまさに『プラネット!』らしいさを感じたところ。 

しかし、このコーナー最大のハイライトは、伊達氏が羽野氏(をトレースした観客)の会場全体を指すようなジェスチャーを見て言い放った「オタクたち!!」という回答。伊達花彩さんってそういうキャラだったんです!?

 

(ヨルーイン公演のトーク&ゲームパートでは、なんとわか氏・せな氏が私立星礼高等学校の制服を着用しながら司会を担当するという粋なファンサービスがあり、会場に激震が走っていた)

 

生アフレコ~エリオント登場 - ここで『デミカツ』が登場した意味

 

ゲームパートが一段落すると、続いてはキャスト陣による生アフレコへ。第23話『夢の中へ』、第4話『やまとなでしこロック変化』、第17話『ドレスはくえすちょん』、第18話『オシャレ!』、そして第19話『君がいるだけで』の名シーンに目の前で息が吹き込まれる様には思わず涙腺が緩んでしまったし、5年を経て演技力が進化した各キャスト――特に現在も女優として精力的に活動されている宇野氏による再アフレコは、まるでリメイク版を観ているかのような感動さえあった。 

そして、アイカツ!イベントの生アフレコといえばライブパートの前振り。6名のキャストがステージを去ると、スクリーンにはライブパートのオープニングアクト担当・アイカツアカデミー!配信部ことエリオントが登場!

 

 

普段なら配信部を結成した姫乃みえるさんが司会を務めるところ、今回の司会はハナと単独での共演経験がある和央パリンさん。簡単なオープニングトークを終えると、まずは4人の代表曲である『HAPPY REFLECTION』を披露!

 

 

しかし、たった一曲で彼女たちの出番が終わるわけがなく、むしろ彼女たちの「真の役割」はここからだった。

 

 

Web番組『アイカツプラネット!ミラーイン☆ラボ』内で放送されていた『Bloomy*Cafe』。これはデータカードダスのCGを用いたショートアニメで、アイカツアカデミー!はこのノウハウを継承・盛大に発展させたコンテンツという見方もできる。更に言うなら、VTuberのように「実在するアイドル」としてアイカツに励む配信部の4人は、その精神性においても『アイカツプラネット!』を色濃く受け継いだ存在と言えるかもしれない。 

そんな後輩たちがアイカツプラネット!のイベントでハナと並び立つ一世一代のステージで披露されるのは、ルリの持ち歌の一つである『Magical Door』

 

Magical Door

Magical Door

  • るり・栞 from STARRY PLANET☆
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

「この場にいないルリの気持ちも背負っていきます」と言わんばかりの選曲には新参者ながら胸が熱くなってしまったし、アイカツアカデミー!の面々がこのところMagical Doorを練習していたのはこの時のためでもあったのか……! とたくさんの感慨が押し寄せる中、Aパートを歌いきると手を振り始める5人。そして壇上に見える5つのシルエット。 

これってまさか、と気づいた瞬間、ライトアップに合わせてBパートを引き継いだのは宇野氏を除くSTARRY PLANET☆衣装の5人。そう、「CGからリアルにステージを引き継ぐ」という第23話『夢の中へ』の演出が、5年という歳月と『プラネット!』を継ぐ後輩たちの力によって具現化を果たしたのである。

 

 

 

2つの世界を跨いで「セルフプロデュース」を追求した『アイカツプラネット!』の真骨頂と言える第23話。初見時にこの演出で大号泣させられた身としては、それを目の前で観れたこと、加えて「自分があの観客の一員になれたこと」が嬉しくてしょうがなくて、その直後に『Bloomy*スマイル』が流れ出したことでいよいよ涙せずにはいられなかった。ありがとう、『HAPPY∞5th FANtime!』……!!

 

Bloomy*スマイル

Bloomy*スマイル

  • STARRY PLANET☆
  • TV サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

超絶怒涛の(ほぼ)コンプリートセットリスト

 

とんでもない幕開けを飾ったイベント後半・ライブパートだけれど、当然ながらこのパートは中身もとんでもなかった。というのも、ヒルーイン・ヨルーイン公演で変わる曲目や、アンコール曲の『HAPPY∞アイカツ!』も含めると『フレーバーフレーバー』『街角シンデレラ』以外のプラネット!楽曲を網羅してしまったのである。そんなことある!?!? 

(昼限定は『またまたまたまたまた明日』『FLYING TIPS』『Inner Voice』、夜限定が『ココロノトモ』『パラレラワールド』『Brand New World 』)

 

そんな超絶怒涛のセットリストを浴びながらまず驚いたのは、全員のパフォーマンスに一切の「見劣り」がないこと。

 

 

今回登壇されたSTARRY PLANET☆のメンバーは、現在はそれぞれ異なる場所で活動されている。今もアイドルとしてステージに立たれている方、女優として舞台に立たれている方、事務所を離れて久しい方。その全員が、すべてユニット曲の(=比較対象がいる)アイカツプラネット!のステージでいずれ劣らぬパフォーマンスを披露されていたのは、それだけ舞台の裏側に並々ならぬ努力があり、それだけ皆さんが『アイカツプラネット!』を愛してくださっているという証左なのだろうと思う。 

また、アイカツ!シリーズに触れて間もない自分は『アイカツプラネット!』を通してハナやシオリ、ビート、キューピット、サラ、ローズのパフォーマンスは何度も目にしてきたけれど、素顔のSTARRY PLANET☆のパフォーマンスはほとんど見たことがなかった。 

(生で観たのは、伊達花彩氏が登壇された2025年3月の『オケカツ!』と、長尾寧音氏が登録された2026年1月の『ALL AIKATSU! ROCK FES. MO-IKKAI!!』のみだった。かたやオーケストラ演奏、かたや先輩方に囲まれてのライブとプレッシャーが大きいであろう中、それらを一切感じさせない堂々としたパフォーマンスにグッと胸を掴まれてしまった)

 

なので、彼女たちが「アバターの衣装を纏い、リアルステージでパフォーマンスを行う」姿を、それも文字通り目の当たりにする衝撃は凄まじく、トーク&ゲームパートで緊張している様子が見受けられた渡邊璃音氏が、いざステージに立つと力強く淑やかに歌い踊る「本谷栞ぶり」には感動さえあったし、キュートなビジュアルでクールなオートクチュールミラーを着こなし、キレッキレのダンスを披露される羽野瑠華氏の凄まじいギャップには圧倒されっぱなし。そして豪奢なラブサジタリウスのドレスを着こなす瑞季氏は美しさの塊だった。 

一方、ライブパートで特に会場を盛り上げていた曲目が『Tick×Tackノスタルジア』と『ファンタジっくイマジネーション』。それは、この2曲が共に『プラネット!』の大勝負曲だから……というのはもちろん、前述の通り明咲/ローズ役・宇野氏が当時以来アイカツ!のイベントに出演されていなかったため、この楽曲の「本人歌唱」はなんとライブ初披露であり、それもファンが大いに湧き立っていた理由だったのだという。 

しかし、それは一方で「宇野氏にとっても大きなブランクがある」ということであり、中でもファンタジっくイマジネーションは「バトルステージ」としての色が強いパワフルな楽曲。それを現役アイドルである伊達花彩氏の隣で見事に歌いきった/パーティードレス然としたラグジュアリーローゼで踊りきった宇野氏のパフォーマンスは圧巻の一言。そこから『ミライContinue!!』に雪崩れ込む怒涛のセットリストも含め、『プラネット!』を愛し続けた方に対する「感謝祭」としてこれ以上ないライブだったように思う。

 

 

「サポートゲスト」わか氏&せな氏の衝撃

 

会場を大きく盛り上げていたステージといえば、登壇者の都合で披露されないのでは、と思われていた『パラレラワールド』『Brand New World』が、それも「瑞季氏&せな氏」「長尾氏&わか氏」というまさかのコンビで披露されたことも欠かせないトピック。

 

 

愛弓/キューピット役・瑞季氏と共に『FLYING TIPS』『パラレラワールド』を披露されたのは、『アイカツスターズ!』で虹野ゆめの歌唱を務めたせな氏。せな氏は後年『アイカツ!』服部ユウの歌唱担当にも就任されたけれど、今回は自己紹介でも「虹野ゆめの歌唱担当」とだけ仰っていた。それはきっと、今回の登壇が「アンの代理を務めるアイドル・虹野ゆめ」としてのものだったからなのだと思う。 

というのも、アンとゆめはその雰囲気が似ているだけでなく「お菓子に縁が深い」という共通項まで持つアイドル同士。アイカツスターズ!10周年を記念しての出演……というのも少なからずあるかもしれないけれど、それ以上に「アンの代わりを務めるのにピッタリなアイドルは誰か」を考えた上での=アンへのリスペクトありきの選出なように思えてならないのだ。

 

 

一方、響子/ビート役・長尾氏と共に『Inner Voice』『Brand New World』を歌唱されたのは星宮いちごの歌唱担当・わか氏。氏は先日のALL AIKATSU! ROCK FES. でも長尾氏と共に『NeverNever』を披露されていたのだけれど、自分が今回聴いた『Brand New World』はなぜかそれ以上にしっくりくるものがあった。それはおそらく「教えてくれたの “この失敗、乗り越えられたら必ず宝になる” それから私 失敗するのが楽しくなっちゃったんだ だってそれって宝集めみたいなものでしょ?」という歌詞に込められたるり/ルリの前向きな信条が、心なしかいちごの在り方にも通じているからかもしれない。 

――と、それは単なる偶然かもしれないのだけれど、わか氏・せな氏が「登壇できなかった2人」に心からのリスペクトを込められていたことは「いちご/ゆめとしてステージに立ちつつも、髪型をルリ/アンに寄せる」というコーデからも明らかなところ。司会から歌唱まで、様々な形で+愛を持ってイベントを支えてくださり、本当にありがとうございました……!!

 

 

5年越しに実現した「真のフィナーレ」

 

プラネット!のほぼ全楽曲を歌う前代未聞のライブパートは『ミライContinue!!』でフィナーレ……かと思いきや、例によって「アイ!カツ!」のコールが巻き起こり、STARRY PLANET☆の皆さんが華麗に帰還。それぞれの最後のコメントが涙を誘っていたが、とりわけ宇野氏が会場の「おかえり」という声に「あったかいなぁ……」と呟く一幕や、瑞季氏の「自分達も、ずっとイベントをやりたいと思っていた」という言葉には、とりわけ会場全体が息を呑んでいる感覚があった。 

アイカツプラネット!が放送された2021年は、言わずもがなパンデミックが猛威を奮っていた時期。ただでさえ挑戦的な試みだった同作がその影響で逆風に曝されたことはもちろん、「イベントをやれない」だけでなく「イベントをやりたい、と言うことさえ叶わなかった」ことは想像に難くない。だからこそ、瑞季氏がようやく当時の想いを言葉にできたこと、他のキャスト陣からも「次の周年でまたお会いしたい」「ファンミーティングをやりたい」と前向きな言葉がたくさん飛び出したことが、後追い勢の自分でさえも嬉しくてしょうがなかった。 

おそらく「イベントが行えない分、劇場版を事実上のファンイベントにする」という策を採らざるを得なかったであろうアイカツプラネット!。そんな作品の初リアル単独イベントが昼夜共に大盛況となり、キャスト陣が「ファンへの感謝」と「未来への期待」を笑顔で口にすることができた。この瞬間こそが、5年越しに実現したアイカツプラネット!真の「完結」の瞬間だったのかもしれない。

 

キラリ☆パーティ♪タイム

キラリ☆パーティ♪タイム

  • STARRY PLANET☆
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

しかし、アイカツプラネット!はまだ終わらない。皆さんが口にされた未来への展望は決して夢物語ではないはずだ。 

次のイベントが6周年なのか10周年なのか、それともファンミーティングなのかはまだまだわからないけれど、自分もこの可能性無限大のプラネットに魅せられたファンの一人として、そんないつかの未来――それと「アイカツプラネット!コンプリートBlu-ray BOX の再販」が実現することを心待ちにしていたい。 

STARRY PLANET☆の皆様、イベントのために力を尽くしてくださった皆様、本当にありがとうございました!!

 

ひとくち感想『ヒグマ!!』- 怪獣特撮の革命児? 闇バイトVSヒグマの限界バトルから薫り立つ「ゴジラ」の息吹

往年のゴジラファン曰く、怪獣特撮映画の醍醐味の一つは「人が抱えるインモラルな衝動を叶えてくれること」なのだという。だとすれば、この『ヒグマ!!』は思った以上に本格的な「怪獣特撮映画」なのかもしれない。

 

引用:鈴木福がピンク髪ホスト役!?映画『ヒグマ!!』本編映像 - YouTube

 

映画『ヒグマ!!』は、父の死がきっかけで闇バイトに手を出してしまった少年・小山内が、闇バイトの元締めとヒグマの脅威によって窮地に追い詰められていく様を描くモンスターパニック・アドベンチャー。 

そのコンセプトから薫り立つイロモノ感・B級感の通り全体的にヘンな部分が目立つ一方、非常に社会的なテーマを描いてもいるのが特徴で、闇バイトという「一度手を出したら戻れない絶望」のリアルな描写はもちろん、その恐怖とヒグマが浮き彫りにする「生きてさえいればやり直せる」というメッセージは、間違いが許されない令和の現代人にささやかな希望をくれるもの。闇バイトVSヒグマという一見荒唐無稽なコンセプトや、悪人を殲滅していくヒグマの姿にも「人間が獣に堕してはいけない」というテーマが込められているのでは……とついつい深読みしたくなってしまう作品だ。 

これらの点について考えていきたいのは山々だけれど、特撮オタクとしてはやはり本作の「怪獣特撮」としての側面に触れない訳にはいかないだろう。

 

 

本作は、前述の通りモンスターパニック・アドベンチャーないしスリラーに分類される映画だけれど、それ以上に紛れもない「怪獣特撮」だった。そう断言できてしまうくらい、本作には怪獣特撮……とりわけゴジラ』に対する愛が溢れ返っていたように思う。

 

 

第一に、本作に登場するヒグマはなんとほぼ全編が着ぐるみで、アクターの動きやすさよりも「本物の熊としてのリアリティ」を優先した結果であろうディテールはかなりのもの。特に「熊としてのリアリティを逸脱しすぎず、それでいて凶悪でカッコいい」面構えは作り手の怪獣愛を感じずにはいられない仕上がりになっており、ヒグマを(着ぐるみの “作り物感” を誤魔化し辛い)日中にも登場させたばかりか、その顔をこれでもかとアップにしていたのも、着ぐるみの造形にそれだけ自信があったから……というより、その驚異的なディテールを「これどうよ!?」と見せつけたかったからなのかもしれない。 

また、本作は季節が冬のためヒグマの息が白くなっているのだけれど、これはおそらくゴジラのような「熱線を吐く怪獣」が口から煙を吐くそれを意識した演出なのだろうし、タイトルインの「後光に吼えるヒグマ」は疑いようもなく『ゴジラVSデストロイア』のラストシーン。 

黒くてマッシブ、凶悪な面構えの最強生物で、結果的に悪を殲滅したりはするけど人類とは決して相容れない。やっぱり、本作の作り手はヒグマを「俺ゴジラ」として描こうとしているのかもしれない。ホントに???

 

ゴジラVSデストロイア

  • 辰巳 琢郎
Amazon

 

一方、本作はその「文脈」においても怪獣映画を感じさせてくれる。 

というのも、前述の通り「私たちの抱えるインモラルな衝動を叶えてくれること」が怪獣特撮の醍醐味の一つ。漠然とした破壊衝動や政治的な建造物の破壊などその例は多々あるけれど、こと今回は熊なのでそのような「大規模な破壊」は難しい。そこで本作は「インモラルな衝動を後腐れなく晴らしてくれる、等身大の破壊行為」をヒグマに行ってもらうべく、ある生贄を用意した。それが「闇バイトの元締め」たちだ。 

社会問題になっている闇バイトは「手を出す方にも責任がある」と言われることがある。しかし、そのような闇バイトに手を出してしまう子どもには(それこそ、本作の小山内のように)深刻な理由を抱えた者も少なくない。恵まれているならば基本的には闇バイトになんて辿り着かないし、そもそも諸悪の根源は「人を利用して悪事を働く元締めたち」なのだ。 

本作は、そんな闇バイトの元締めを餌として用意することで、気兼ねなくヒグマの大暴れを堪能することができるし、ヒグマを単なるヒーローとして終わらせず、最終的にしっかり「人類とは相容れない存在」として息を呑む決着戦まで描いてくれる。このように『ゴジラ』などで見られる王道をしっかり押さえている点も、本作を「怪獣映画」として楽しめる大きな理由と言えるだろう。

 

 

怪獣特撮の難点は、その巨大さ故にミニチュアやCGでビル街や山岳地帯……つまりは「怪獣が暴れる舞台」を用意しなければならないこと。 

しかし、ヒグマのような実在の動物であれば巨大怪獣でなくても「格が落ちる」ことがないし、スリラーとしての文脈も乗ってくるというオマケ付き。そう考えると、このヒグマ!!は怪獣特撮映画におけるある種の革命児とさえ言えるかもしれない。 

……が、熊をメインで扱ってしまったために本作が「逆風」に曝されてしまっているのもまた事実。ホームページには「本作の社会的背景について」という注意書きが掲載されているなど細心の注意が払われているし、製作陣がそのような問題を軽視したものでないのは明らかだが、昨今の情勢を鑑みて本作に二の足を踏んでしまう方も少なくないのではないだろうか。 

『ヒグマ!!』の製作が始まったのは2023年。作り手にとって現実のヒグマ被害がここまで拡大してしまうのは想定外だったのだろうし、本作はそのような不運に潰されるにはあまりに惜しい作品だ。特に、この映画が怪獣特撮映画を愛する方々に届かずに終わってしまうのは大きな「損失」に違いない。特撮ファンの自分がこの記事を投稿することが、少しでも逆風に立ち向かう『ヒグマ!!』の支えとなることを祈るばかりだ。

感想『劇場版 銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』- “しょーもないヤツら” だからこそ胸を打つ、ノスタルジックでデッかい赦し

仕事がうまくいかなかった。怠惰に過ごしてしまった。コミュニケーションに失敗した。毎日毎日飽きもせず「間違えたな……」と落ち込みながら生きている自分にとって、ノスタルジーを感じさせる作品は毒でもある。「あの頃の自分が今の自分を見たらどう思うだろう」と思ってしまうからだ。 

けれど、そんなノスタルジーがかえって赦しをくれることもある。それを教えてくれたのが『劇場版 銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』だった。

 

※以下、『劇場版 銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』のネタバレが含まれます。ご注意ください※

 

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引用:予告『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』│2026年2月6日(金)公開決定!- YouTube

 

『銀河特急ミルキー☆サブウェイ』とは、2025年7月から9月にかけて、TOKYO MXや公式YouTubeチャンネルなどで全12話が放送・配信され、新進気鋭のクリエイター・亀山陽平氏が監督・脚本・キャラクターデザイン・制作を一手に担った『ミルキー☆ハイウェイ』の続編として注目を集めたCGショートアニメ。 

その人気とクオリティは放送から一年と経たずに今回の『劇場版 銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』が公開されたことからも明らかで、先日友人たちと会った折にも「君はミルキー☆サブウェイを観た方が良い」と満場一致で言われたほど。 

そんなに言うなら信じるぜ! と情報を入れずに今回の映画に臨んだ結果――開幕0秒で大困惑。宇宙に「新亀山」!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

 

 

本作は「銀河特急」という副題通りのスペースSF作品。銀河特急はその名の通り星々を繋ぐスペースライナーで、登場人物はその大半が強化人間かサイボーグ。これだけ聞くと、それこそ『銀河鉄道999』のようなファンタジーかシリアスなハードSFを想像してしまうけれど、本作でお出しされるのはどういう訳か鉄錆と土埃が香るレトロフューチャー。しかも、その「レトロ」がよりによって昭和レトロというからもうメチャメチャである。   

そんなイロモノ感満載の本作だけれど、意外にもストーリーは「メンバーが合流・協力しながら先頭車両に向かっていく」という列車モノの王道スタイル。そのためか、本作はその雰囲気に反して非常に見易い映画となっており、その独特な世界観やギチギチに詰め込まれた「旨味」を肩肘張らずに楽しむことができる。 

感情豊かにも程があるアニメーション。全員がアウトローながらそれぞれ味付けの異なる各ペアの関係性。コントのような切れ味抜群+自然体な会話劇。3分アニメ故の軽快なテンポ感。各キャラの組み合わせを楽しめる多彩なシチュエーション。カートVS排除くんのような、シュールで独特のケレン味がある「魅せ」演出の数々……。劇場版でも60分未満という視聴ハードルの低さも相まって、この時点で本作は「老若男女を問わず楽しめるエンタメ」として一線級の映画と言えるだろう。 

しかし本作が真に恐ろしいのは、それらに加えて「特定の層」にぶっ刺さる要素――ノスタルジーという仕込みが星の数ほど散りばめられていることだ。 

 

 

西武線とか南武線辺りにありそう」な質感の名前が並ぶ駅のホーム。青い背景に表示される粗い静止画。時代を感じさせる歌謡曲。トラウマを喚起する古びたマスコット人形。サービスエリアで見かける古びた食品販売機。田舎のスーパーでお馴染みの呼び込み君……等々、本作はどこもかしこも「これ知ってる!!」と叫びたくなる要素で溢れ返っており、カートとマックスの下ネタ会話も元男児としては身に覚えがありすぎて苦笑いだった。この「相手に下ネタを言わせる」→「ちげーよ!」の応酬、小学生の頃に何度も何度も経験したよ……!   

と、奇妙なノスタルジーに浸りつつチハルたちの道中を見守っていると、いつの間にか彼らに深々と感情移入している自分に気づかされる。最初は犯罪者より上司に当たりが強いリョーコにアサミよろしく笑っていたのに、いつの間にか彼らアウトローズに対して「長年の付き合いがある」ような気さえしてくるのだ。 

それはきっと、一連のノスタルジーがある種の「内輪ネタ」でもあるから。ノスタルジーという内輪ネタをチハル一行……あるいは、彼らの向こう側にいる「作り手」と無意識下で共有することで、自分があたかもこの作品の一部であるかのように思えてくる。それがチハルたちに対し、尺よりもずっと深い感情移入をしてしまう大きな理由なのだと思う。 

(カナタの背中に「川崎」と書いてあるだけで笑ってしまうことなんて、ある意味究極の内輪ネタかもしれない)

 

 

これらの珍道中を経て物語が中盤に差し掛かると、チハルたち6人の過去や悩みも次々と明らかになっていく。 

チハルを守ろうと過剰防衛に走ってしまったマキナ(機械の女の子、と一発で分からせてくれる名前のセンスよ!)。カナタに過保護になってしまうアカネ、そんなアカネに「自分だってちゃんとやれる」と示したいカナタ。誰にも感謝されない仕事に疲れてしまい、不運にも闇バイトを担ってしまったカートとマックス。これらの過去を聞いてチハルたちにますます感情移入してしまうのは、きっと彼らが既に「他人」ではなくなっているからだと思う。 

些細なケンカで相手を過剰に傷つけてしまう。大切な人に認められたくて空回りしてしまう。感謝されない日々に心を磨り減らしてしまう。このすべてに心当たりがない人なんていないはず。肩書きこそ犯罪者だけれど、彼らはそれ以上に「もう少し不運だったらそうなっていたかもしれない」という、私たちのifでもあるのだ。 

だからこそ、そんな彼らが報われる姿――自覚していない才能でアカネたちを救うカナタ。そして、ずっと欲しかった「ありがとう」の言葉を貰ったカートとマックス――を見ていると、まるで自分達まで救われたような――あるいは「赦された」ような気持ちになってくる。

 

 

元ヤンキーの警察官であるリョーコは、ミルキー☆サブウェイを見捨てようとするハガに「彼らだって、明日には誰かを救うかもしれない」と激昂する。かつて道を誤りながらも公職に就くことができたリョーコの言葉には説得力があるし、彼女のような「都合よりも筋を通し、犯罪者であるチハルたちにも手を差し伸べてくれる大人」の姿は、子どもだけでなく私たち大人にとっても――少なくとも、失敗続きの毎日を生きている自分にとっては、心の底で求め続けている「赦し」が形になったもののようにさえ思えた。 

仕事にもコミュニケーションにも失敗続き、社会において「正しい」とされるレールに乗れない社会不適合者の自分は、ただ「逮捕されていない」というだけで、一歩間違えれば社会(オータム)にとって「正しい秩序のために排除すべき存在」と見なされてしまうだろう。けれど、リョーコの言葉は(人としての筋さえ見失わなければ)自分のような間違いだらけの人間でも生きていて良いんだと、間違えたからといって未来まで否定することはないんだと、そう信じさせてくれるのだ。

 

 

そんなリョーコの想いに応えるかのように、クライマックスではチハルたち6人がそれぞれの持てる力を尽くしてバトンを繋いでいく。マックスとカートが排除くんを味方にしてみせたり、カナタがその小柄さを活かして活躍してみせたり、前半で触れられていた「設計者の趣味で搭載された変形機構」が逆転の鍵になったり……。それらは、物語を盛り上げる丁寧な伏線回収であるのはもちろん「不要に見えるものにだって価値がある」というメッセージの具現化でもある。 

世の中に排除されるべき無駄なんてない。どんな存在にだって輝ける場所がある。それらは、ともすれば詭弁と遠ざけられかねない「綺麗事」かもしれない。けれど『ミルキー☆サブウェイ』のそれは綺麗事にも思えなければ、説教臭さも感じない。それはきっと、この作品があくまで「クスッと笑える痛快娯楽エンタメ」であり、ハイクオリティでこそあれ決して「高尚なもの」ではないから。 

リョーコの「彼らだって、明日には誰かを救うかもしれない」という言葉に説得力があるのは、彼女自身もはぐれものだったという過去があるから。上から目線でも他人事でもない「等身大の言葉」だからこそ、彼女の言葉は胸を打つのだろう。 

同じように、『ミルキー☆サブウェイ』も決して「高尚な作品」ではない。本作は下世話でレトロ、不運な犯罪者たちの珍道中を描いた等身大の物語であり――しかし、だからこそ彼らを通して描かれるメッセージは真に迫るものがある。しょーもないヤツらの頑張りこそが、私たち一般人に何よりデッかい赦しをくれるのだ。

 

 

軸がシンプルで尺も短く、シチュエーションコントのような軽妙なテンポ感が武器の本作は、世代や性別・映画への「慣れ」を問わず幅広い層が楽しめる娯楽作品で、しかも人によっては「救い」にまでなり得る。劇場版においてはアサミという新キャラクターが(結果的に)「チハルたちに感情移入できない人も彼らを好きになれる導線役」になってもいるなど、本作は令和のエンタメとして非常に隙のない仕上がりになっていた。 

その完成度やヒット具合からして、おそらく亀山氏には既に様々なオファーが届いているのだろうけれど、ミルキー☆サブウェイが事実上の自主製作アニメーションである以上、果たして次作がいつ観れるのかは未知数だ。……が、そんな「ミルキー☆サブウェイロス」にうってつけの作品が既にYouTubeに投稿されていた。

 

 

亀山氏製作のショートアニメ『ミルキー☆ハイウェイ』。どうやらミルキー☆サブウェイの前日譚らしいこの作品を観て、その上でYouTube版のミルキー☆サブウェイを観れば劇場版とは全く違う味わいが楽しめるはず。この濃密な数十分を存分に楽しみながら、やがて始まるであろう亀山氏のビッグな挑戦を心待ちにしていたい。

感想『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』-「重力」が縛り付けるものと「肉体」の呪い

自分が『機動戦士ガンダム』をはじめとする、所謂「宇宙世紀」ガンダムシリーズに触れたのは学生時代のこと。当時の自分には、富野由悠季監督の「説明を廃し、生きた台詞とアニメーションでドラマを語る」描写――とりわけ「重力」を巡る概念論がどうにも難解で、その苦手意識から中々一連の作品を再視聴できずにいた。 

しかし、そんな自分に解釈のヒントをくれる作品がこの令和8年に現れた。『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』である。

 

※以下、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』の内容が含まれます。今後の『閃光のハサウェイ』の展開に対する言及はありません※

 

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引用: 1月30日公開 | 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』本予告 - YouTube

 

宇宙世紀のガンダムシリーズ……特に富野由悠季氏が監督された作品群には「重力に魂を引かれた」という表現が頻出する。自分はこれを「地球という母に甘えず、そこから巣立つこと」を説く親子論のメタファーなのだと思っていた。子どもが独り立ちをすることで、地球環境(母)は命を取り戻し、巣立った人間(子)もまたニュータイプ(正しい大人)に進化できるのだと。 

けれど、それらの作品を観ていると「重力に魂を引かれた」という言葉には別の意味もあるように感じられてくる。親子という概念ではなく、文字通り「重力によって縛られていたものが、宇宙に出て解放される」とでもいうような……。その「何か」を考える上である種の副読本となってくれたのが、今回の『キルケーの魔女』であった。

 

 

本作中盤では、ギギがケネスを「凶暴」と評し、ケネスがそれを「肉体から来るフラストレーション」と返すやり取りがあった。 

肉体があるから他者を欲し、他者とすれ違う。心は肉体に引っ張られ、時に判断を誤らせる。肉体に固執するから「死」が怖くなる。『キルケーの魔女』においては、これら「肉体を持つことによる呪い」が執拗なまでに描写されていた。 

ハサウェイは――すべての始まりであるクェスとそこから連なるギギ周りは言わずもがな――精神を病んだ影響でケリアの悪い面ばかり目についてしまったり、オエンペリで行われた「目に見える痛み」に感情移入し判断を躊躇ってしまったりと、肉体に引っ張られている自分を強く意識し「世俗や肉欲からの解脱」を自らに強く言い聞かせていた。ミーム的文脈で取り沙汰されがちだけれど、この「肉欲」とは決して性欲に限った話ではなく、肉体由来の感情や衝動……理性で割り切れない、人間としての不完全さそのものを指すのだろうと思う。 

そんなハサウェイに対し、再会したギギは「神様になればいい」と嘯く。人間を辞めるも同然の在り方を目指す彼は、なるほど確かに「重力に抗い、天に昇ろうとしている」のかもしれない。

 

 

「肉欲から脱しなければ」と自身を追い詰めるハサウェイに対し、ケネスは「肉欲からは逃れられない」とある種の見切りを付け、むしろそれを謳歌しているようにさえ見える。 

人は肉体を持っている以上完璧な存在にはなれない。その諦念があるから、彼は他人に媚びず実力で地位を勝ち取り、自分の衝動に逆らわず生き、ギギの持つスピリチュアルを素直に信じた。不完全な人間の語る「小綺麗な理屈」よりも、彼女の纏う運命の方がケネスにはよほど信じられるものだったのかもしれないし、清濁をあるがまま受け入れる彼は「重力に抗わず、そこに在る」存在と言えるだろう。 

(そんなケネスと対称的なのが、卑怯を嫌いスピリチュアルを信じず、自分の「肉欲」そのものを自覚していないレーンなのだろうけれど、陰鬱な本作ではそんなレーンの青二才ぶりがかえって癒しになっていた。マフティーが観光地にいる訳ないだろォ!!)

 

 

一方、肉欲に固執し、ステータスによって自らの「生」を拡張しようとする大人を目の当たりにしてきたギギは、そのような肉欲と己を切り離して生きてきた。だからこそ、本作前半の彼女は「生に執着がない」と口にしていたのだろうし、ハサウェイに惹き付けられたのも、自分自身が希薄ないし「希薄であろうとする」彼に近いものを感じたからなのかもしれない。 

ハサウェイとケネスの間で揺れ動くギギは、水面に浮かんだ(重力と浮力の間で揺蕩った)後、ハサウェイの元へ向かうことを決意。彼との再会を果たした際には、ニュータイプ的な反応ではない本物の「死への恐怖(肉欲)」を露にするようになっている。 

肉欲に抗おうと=天へと昇ろうとするハサウェイ。肉欲を受け入れ=地に足をつけたケネス。肉欲の有無で揺れ動く=水面で揺蕩うギギ。この構図を観ていると、自ずと本作……あるいは宇宙世紀ガンダムにおける「重力」の意味も見えてくる。 

重力は肉体に対してかかるもの。重力の重さは肉体の重さであり「肉欲の重さ」でもある。つまり、重力に魂を引かれた人々とは「肉欲から逃れられない人々」のことを指す表現であり、ダカール演説に象徴される「宇宙に出ることで、人間はその能力を広げることができる」というニュータイプ論は、「肉体ありきの不完全さ・フラストレーションから解放されることで、人がより自由にその力を発揮できるようになる」という、現実を正しく見据えた展望、あるいは未来への希望だったのだと思う。

 

 

これまで、宇宙世紀のガンダムシリーズでは「重力に魂を引かれる」のではなく「重力を振り切って独り立ちすること」が説かれてきた。しかし、それは何も「肉欲を完全に捨てろ」ということではないのだと思う。人としてのエゴを完全に捨て去ってしまったら、それはもう人間ですらないからだ。 

だから、自身の「人間らしさ」を捧げて罪を償おうとするハサウェイの手からは温もりが零れ落ちていき、逆にギギは「人間」として歩き始めることができた。ギギがマフティーと合流したことは(ケリアの件もあり)不吉な流れにも思えるけれど、一方でそれはハサウェイが人間に戻る最後のチャンスなのかもしれない。 

ハサウェイが、ギギが、ケネスがそれぞれどのような道を選ぶのか。ベルトーチカ・チルドレンではなく、アニメ映画『逆襲のシャア』から繋がっていると判明した本作が、小説版と異なるルートに行くのかどうか……。それらが明らかになるその時を、ファンとして首を長くして待っていたい。ところで。

 

 

マフティーが誇るゴールデンモフモフ爆良ポニテちゃんことミヘッシャはどうなったんです!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?(肉欲)

“超ギャバン” の原典! 令和に観る『宇宙刑事ギャバン』の魅力と真価

2026年2月に放送を控えた『超宇宙刑事 ギャバンインフィニティ』。東映が送り出す新たな特撮ヒーロープロジェクト『PROJECT R.E.D.』の第1弾にして、メタルヒーローシリーズの元祖『宇宙刑事ギャバン』のリブート作だ。 

そんな『超ギャバン』に特撮界隈が湧き立つ傍ら、平成1桁生まれで『スーパーヒーロー作戦(1999年発売のロールプレイングゲーム』や『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』などのリブート・客演作品でしか宇宙刑事に触れていない自分はほんのりと焦っていた。こんな半端な状態で、新しいヒーロープロジェクトの旗揚げに立ち会うわけにはいかない……! 

と、そんなわけで宇宙刑事ギャバン』全44話を視聴。今回は、令和の世に本作を初鑑賞した平成生まれのアラサーとして「超ギャバンに備えたいけれど、44話も観れない!」という方に向けて、同作の魅力や見所を紹介していきたい。

 

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《目次》

 

 

エポックメイキングなデザインワーク

 

宇宙刑事ギャバン』の放送年は1982年。東映産の特撮ヒーローとしては『仮面ライダースーパー1』の1年後輩、『大戦隊ゴーグルファイブ』の同期というポジションだ。 

様々な面でエポックメイキングな本作だが、分かりやすいのはやはりそのメタリックなビジュアルだろう。

 

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シンプルなシルエットにギチギチの情報量を詰め込んだ銀色のボディー。そのデザイン美たるや前述のリブート作でもそのまま使用されたほどで、特に「真空蒸着メッキ」と呼ばれる加工が施されたアップ用スーツはギラギラと銀色に輝く代物で、ギャバンのデザイン美と併せてまるで現行ヒーローのような貫禄を感じさせてくれる。 

そんなボディーでレーザースコープ(光るツインアイ)を起動しレーザーブレードを構えられた暁には誰もがイチコロで、令和に観ても唸らされるのだから当時の衝撃は凄まじいものがあったのではないだろうか。 

また、ギャバンは「メカニックデザイン」においても従来のヒーローデザインとは一線を画している。 

1982年といえば、『劇場版 機動戦士ガンダム』や、レーザーブレードの元ネタであろう『スター・ウォーズ』などの影響でリアルSFが盛り上がっていた時代。そのためか、ギャバンの操るメカもドルギランやギャビオンなどリアル志向でデザインされたものが多く、このデザインワークは後の『宇宙刑事シャリバン』以降にも受け継がれている。それはきっと、このリアル路線が新たなヒーローのアイデンティティーとして広く受け入れられたからなのだろうし、受け継がれなかった要素が『ギャバン』独自の個性になっているのも興味深いポイントだ。

 

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(後続の巨大メカ枠がグランドバースやバビロスといったリアル路線の変形母艦になった結果、奇しくもギャバン独自のアイデンティティーに昇華された電子星獣ドル。後年のリブート・客演作ではCGによるドルの大暴れが実現し、ファンの涙を誘っていた)

 

ギャバンの「発明」- 魔空空間とレーザーブレード

 

宇宙刑事ギャバンが立ち向かうのは、宇宙をまたにかける大犯罪組織・マクー。当初は円盤群で都会を火の海にしたり、恐喝して大量のダイヤを奪ったら上手くいったので今度は富士山の所有権を請求してタンカー爆弾で日本列島を人質に取ったり(?)とそのスケールの大きさを見せつけてくるが、話が進むにつれ資金を気にしたり首領の妻子が登場したりと徐々に牧歌的な面が出てきたりする。そんなマクーが残した発明と言えるのが、彼らの戦闘フィールドである魔空空間だ。

 

魔空空間

魔空空間

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「地軸を操作して作り出すブラックホール」というとんでもない設定の魔空空間スーパー戦隊で敵が巨大化するように、ギャバンは戦いの後半で魔空空間に引きずり込まれ、強化された敵と戦うのがお約束なのだけれど、そんな魔空空間の「なんでもありな異次元」という設定が本作の隠れた立役者。 

というのも、魔空空間の中はあらゆる空間が繋がった異次元なので、空を見上げれば宇宙空間、ジャンプしただけで全く異なる風景に変化したりする。つまり、特撮ヒーローとして都合の良いシチュエーションを好きなように量産できる格好の舞台なのだ。 

その結果、魔空空間の中では「さっきまで地上戦をしてたのに急に宇宙戦になる」というシチュエーションが頻発。ギャバンもそれに対してドルやサイバリアンで応戦するため「宇宙刑事」らしさの担保にもなっているし、毎回のように様々なメカが挿入歌を引っ提げて現れる賑やかさには製作陣の「オモチャを売るぞ!!」という情熱が感じられるところ。 

……しかし、そんな魔空空間での決戦を飾るのは、大抵の場合ドルギランのようなメカではなくみんな大好きレーザーブレード

 

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鞘からの抜刀に通ずるレーザーの展開、流れ出す「ヒーローの勝利テーマ」らしからぬ重厚な宙明節。レーザーブレードを展開した瞬間の「空気の変わりよう」はいつ観ても目を見張るものがあるけれど、今回『ギャバン』本編を観て驚いたのはレーザーブレードの展開に伴って「撮り方」そのものが変わっていること。 

というのも、『ギャバン』は本来2カメ・3カメ、高速ズームやその繰り返し、大胆なカット割に逆再生、そして大葉健二氏の体当たりのアクションと、ありとあらゆる手を尽くしたハイスピードアクションを番組の売りにしている。これ自体がギャバンの肝であり昭和特撮の「トロ」と呼べる部分でもあるのだけれど、レーザーブレードを展開するクライマックスバトルでは大胆にもこれらを綺麗さっぱり切り捨てている。 

多用されるスローモーションに、息を呑む「間」の探り合い。それらは前述のハイスピードアクションから一転、時代劇や西部劇、あるいは「崖際に犯人を追い詰めた刑事ドラマ」を彷彿とさせるスリリングなもので、その張り詰めた空気をギャバンダイナミックが切り裂く痛快さはまさに古今無双。これらのギャップとカタルシスこそが『ギャバン』最大のアイデンティティーとさえ言えるかもしれない。

 

組曲「ギャバン」 第四楽章「白焰」 苦戦・襲撃II

組曲「ギャバン」 第四楽章「白焰」 苦戦・襲撃II

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(レーザーブレードのテーマと呼ばれる『襲撃Ⅱ』は元々マクー側の戦闘テーマで、2クール目から本格的にレーザーブレードのテーマとして定着する。ブレード展開後にスコープが光る演出も当初は存在せず、次第に「型」が仕上がっていく過程も『ギャバン』を観る楽しみの一つだ)

 

「1話完結×縦軸」フォーマットの萌芽

 

本作のストーリーは、基本的に「バラエティ豊かな1話完結形式」となっており、第28話『暗黒の宇宙の海 さまよえる魔女モニカ』のようにシリアス・ハードボイルドなシナリオの翌週にプリンセス天功(まさかの本人)がマクーとマジック対決を行うエピソードが放映されたり、時折第6話『魔空城の天才塾』のような怪奇・ホラー色の強いエピソードが差し込まれては異彩を放ったり……と、スーパー戦隊シリーズをはじめとする昭和特撮ヒーローのフォーマットに則りつつ「シリアス・ハードボイルド・ホラーの要素がやや強めになっている」という印象。この点には、スーパー戦隊なら5人で持ち回るバラエティ感を一人で担ってみせた一条寺烈役・大葉健二氏の「男前なルックス」「人懐っこい素顔」「 “やられ映え” するヒロイックさ」といった多彩な魅力も大きく貢献していたように思う。 

そんな『ギャバン』のシナリオ面で大きなとビックになるのが「1話完結×縦軸」というシリーズ構成だろう。

 

スーパーヒーローぼくらのギャバン

スーパーヒーローぼくらのギャバン

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本作では、初回から烈の父・ボイサーが行方不明になっていることが語られ、第11話ではその物語が大きく進展。その後、1話完結エピソードの中で少しずつ烈の素顔や両親への想いが明かされていき、最終盤の前後編で一連の決着が描かれる……と、全体を通して「縦軸」を意識したシリーズ構成が採られている。 

ギャバンが放送されていた1982年は(録画機器の普及状況などもあってか)まだ子ども向けの特撮ヒーロー作品が「連続性」の投入に慎重だった時期。そんな当時において、縦軸と1話完結が調和した『ギャバン』のシリーズ構成は画期的なもので、特撮ヒーロー史における「ドラマ作りのターニングポイント」とさえ言えるかもしれない。

 

(連続ドラマとしての側面を持った特撮ヒーロー作品は本作以前にも見られたものの、それらは基本的に「途中から/途中まで」の期間限定。一貫性・汎用性のある構成フォーマットを確立させたのは『ギャバン』の功績と言えるが、考えれば考えるほど『快傑ズバット』の異端児ぶりに震えてしまう)

 

そんな『ギャバン』の縦軸エピソードは、数が少ない分いずれも力の入った傑作揃い。その中の一編・第11話『父は生きているのか? 謎のSOS信号』では、烈が父・ボイサーを知る女性との出会いをきっかけに、かつて父が使っていた宇宙船に辿り着くことになる。 

幼くして別れた父の温もりや形見とも呼べる懐中時計に触れ、人知れず涙する烈。男らしさを地で行く烈の「置き去りにしてしまった子どもの部分」を感じさせる大葉氏の名演や、雄大なバラード『父よ』が胸を打つ名シーンだが、無体なマクーはそんなボイサーの宇宙船を襲撃。怒りに燃える烈は蒸着してそれを迎え撃つ――と、なんとこの蒸着シーンで名挿入歌『チェイスギャバン』が初披露される。 

縦軸を扱うエピソードで、第二幕の始まりとばかりに解禁される筆頭挿入歌。前述のシリーズ構成でなく、このような「ドラマと演出が完璧に噛み合った作劇」もまた本作が特撮史に刻んだ転換点と言えるだろうし、そんな父との関係が最高潮を迎える第43話『再会』は(タイトルからも察せられる通り)ギャバンきってのドラマチックな一編。自分も号泣してしまったこのエピソードについては、是非皆さんの目で確かめていただきたい。

 

チェイス ! ギャバン

チェイス ! ギャバン

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「超ギャバン」に受け継がれるものとは

 

本編44話を見通して、改めて『ギャバン』の魅力とは何だろう……と考えると、実に様々な答えが浮かんでくる。 

ハイスピードアクションとレーザーブレード戦の緩急、ビジュアルや設定による「メタルヒーロー」という新たなヒーロー像の構築、縦軸を本格的に導入したドラマチックなストーリー……。これらを敢えて一言で表すなら、それはきっと「新たなチャレンジによる既存フォーマットの大型アップデート」ではないだろうか。 

ヒーローや戦闘メカ。怪人との戦い。1話完結のストーリー。それまでの東映特撮特撮が積み重ねてきた型を踏襲しつつも、『ギャバン』はこれまでになかったチャレンジや洋画・アニメからのインスパイアをふんだんに盛り込むことで、そのような「型」を「新たなシリーズのフォーマット」へと見事アップデートしてみせた。その超越こそがギャバンの真価であるなら、それはまさしく『PROJECT R.E.D.』が目指しているものと一致するはず。

 

 

「超える」をキャッチフレーズに据えた新番組・超宇宙刑事ギャバンインフィニティ。彼らは、ギャバンが成し遂げた「超越」を更に超えられるのだろうか。残る宇宙刑事シリーズを視聴しつつ、それを確かめられる2月15日まで存分に熱量を高めておきたい。

完結記念!『ウルトラマンオメガ』の “ここが好き” 10選+α

気がつけば『トリガー』から5年連続で「TVシリーズ完結後に数万字の総括を書く」ことが恒例になっているけれど、そういう体だとかえって語れないことが多かったりする。  

もっと好き勝手に「ここが好き!」と叫びたい。最終回とか最終回とか最終回について語らせてほしい!! ……ので「総括とは別にオメガの好きなところを好き勝手語ったら20000字になった」というのが今回の記事。 

下記の記事では語れなかった『オメガ』のここ好きポイントを好き放題語っていくので「真面目な話を読みたい」という方は下記の総括をよろしくお願いします……!

 

kogalent.hatenablog.com

 

※以下『ウルトラマンオメガ』のネタバレが含まれます。ご注意ください!※ 

 

引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

《目次》

 

 

「 “ソラト・コウセイの物語” としての一貫性」が好き

 

最終回を観る前準備として『オメガ』を観直したのだけれど、恐ろしいことにこの作品、大半のエピソードにおいてソラトかコウセイが主役 or ソラトとコウセイに何かしらの変化があるので、アユムやゲストが主役のエピソードであっても「ソラトとコウセイの物語」という建て付けが滅多にブレない。 

このことは、毎週のように倫理観が問われる第7話~第10話も同様で、「ソラトとコウセイにとって必要な時期だから」という思いでこの時期を耐え抜いたのは自分だけではないと思う。ご自身の担当回でなくても(縦軸部分は)脚本作りに参加してくださった武居監督、本当にありがとうございます……!

 

 

そんな「ソラト・コウセイの物語」としての積み重ねが活きたのはなんといっても最終章。 

というのも『オメガ』のラスボスは人間が生み出した怪獣・ゾメラなので「敵と決着をつける」というドラマがなく、その分のリソースがすべてソラトとコウセイに投入されている。結果、最終章でも彼らの選択・関係性が物語のど真ん中に据えられているし、最終回が過不足なく25分に収まっているのもきっとこの点が大きく寄与した結果なのだろうと思う。 

「最終章でも物語の中心が主人公の選択・関係性にある」そんなの当たり前だろ!と思われるかもしれないけれど、ニュージェネレーションシリーズは意外とそうでもなかったりする(R/B、タイガ、ブレーザー等)し、それが本作ほど「どう着地するのか分からない」スリリングな展開を作り出すのは極めて異例。そのためか、自分はオメガ/ソラトの変身シーンで既に声を上げて泣いてしまったし、その果てに「真の “ウルトラマン” の誕生」というサプライズまで運んでこられたのでもう完敗だった。こういう「ドラマで魅せる」ウルトラマンを武居監督が撮ってくれる日を待ち焦がれていたファンは多いはず……!

 

 

ところで、自分は「ソラトの肉体は事実上滅びて、魂だけがメテオに遺された」という風に解釈していたので、下記インタビュー内の「ソラトの全てをコウセイに託した」という近藤頌利氏の解釈にはしみじみと頷いてしまったし、吉田晴登氏の「ソラトは生きている」ではなく「僕は “願望” が強いんですけど、ソラトには生きていてほしい。コウセイに託されたメテオ=ソラトであり、困ったときにはきっと現れてくれるんだろうなと思っています」という言葉でまた一泣き。「願望が強いんですけど」という前置きから出てくるこの答え、あまりにもホシミ コウセイすぎません????

 

 

「メテオカイジュウ」が好き

 

メテオカイジュウの設定がいかに美味しいか、というのは総括の方で語り散らかした通りだけれど、正直「もっとうねりを生んでほしかった」という気持ちもある。従来の防衛メカの延長に留まらず、物語の中心としてドラマを生み出してほしかったと。けれど、それはそれとしてメテオカイジュウは大好きなんですよ……!

 

 

「念動力」という能力から「これは中盤からあまり使われなくなるヤツだ」と早合点してしまったレキネス。 

が、蓋を開けてみればそんなこともなく、第12話ではオメガと共にエルドギメラ攻略戦を支え、第15話ではトライガロンと共にコウセイをヴァルジェネスのもとへ送り出し、第20話ではクロノケロスを守り、第23話ではビームを曲げてガイリュウガを狙撃するというロマン溢れる活躍を見せてくれたりと、番組の看板として最初から最後までしっかりと存在感を示してくれていた。「最後まで最前線で活躍する初期フォーム」なんてねぇ、嫌いな人いないんですよ!

 

 

一方、レキネスの代わりに割を食ってしまった感のあるトライガロン。後半での目立った活躍は前述の第15話と第17話のアリゲトータス追跡ぐらいで、アーマー共々かなり不遇だった――のだけれど、あまりそういう感覚がないのは後半で突如クローズアップされた猫属性が美味しすぎるからかもしれない。第17話の水に入れないトライガロン、第18話でオメガにあやされるトライガロン、第19話のボールを追いかけるトライガロン……ってここは犬か。ともあれ、この辺りのトライガロンがあまりにもキュートすぎて存在感抜群だったし、特に田口監督には感謝してもしきれないところ。

(とはいえ、最終回でちゃんとカッコいいトライガロン&トライガロンアーマーを見れてなかったら「違う、俺が見たかったトライガロンはそうじゃない……!」に傾いていたかもしれないのでギリギリの塩梅だ)

 

 

……と考えていくと、なんだかんだで出番が少ないヴァルジェネスがシンプルに一番活躍に恵まれてなかったような気もするけれど、あの重そうなスーツでちゃんと動くヴァルジェネスは迫力満点で、第22話などで披露してくれたアクションは「こいつも怪獣だからな!!」という製作陣の意地を感じたポイント。願わくば「礼儀正しく高潔」なところをもっと見たかった……! ところでコウセイがヴァルジェネスを使うと動悸に襲われるアレ、何だったの!?(てっきりアレが原因でソラトと一体化するんだとばかり思ってたよ!)

 

 

「レキネスアーマー」が好き

 

オメガの形態で何が一番好き? と訊かれたら「そんなん最終回のソラト×コウセイオメガ一択よ!」と答えたいのは山々だけど、ややクソリプめいているのでここはグッと堪えて「レキネスアーマー」と答えたい。

 

TAMASHII NATIONS S.H.フィギュアーツ ウルトラマンオメガ レキネスアーマー 約150mm ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア

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「赤×青」「剣×念動力」というミスマッチ故に際立つ合体感や、トサカではなく「一本角」のウルトラマンというおそらく史上初のデザイン。動くとカッコいいを地で行くデザインには初登場の第4話時点で惚れ惚れしてしまったし、それから第10話まで目立った活躍がなかった時はどうなることかと思ったけれど、

 

 

蓋を開けてみれば、レキネスアーマーはエルドギメラ戦という大舞台で『アンブレイカブル』を背に大活躍。更には第20話というド終盤でも株を上げてくれるなど、出番は少ないながらも、その少ない出番で着実に株を上げて「最後まで活躍し続けてくれた初期強化フォーム」という美味しいポジションを手にしてくれた。こんなん好きにならんはずないじゃないですか!!それはそれとしてトライガロンアーマーは泣いていい。

 

 

「玩具の頑張り」が好き

 

『オメガ』の玩具については件の総括記事にまとめてあるのだけれど、一つそこで語りきれなかったことがある。「ウルトラアクションフィギュア」の展開についてだ。

 

 

本作のウルトラアクションフィギュアは、昨年の『アーク』に引き続き基本3タイプのアーマーチェンジセットからリリース。……なのだけれど、なんとアークの税込4950円に対しオメガは税込4400円。これだけでも並々ならぬ企業努力が感じられる(アーマーのサイズが違うのも理由だろうけれど「値段が下がる」のは異常事態だ) のに加えて、なんとオメガからのアクションフィギュアは「素体が大幅リニューアルされている」というオマケ付き。その実態は、下記のブレーザーを見れば一目瞭然だろう。

 

引用:https://toy.bandai.co.jp/series/ultraman/item/detail/13360/

 

引用:https://toy.bandai.co.jp/series/ultraman/item/detail/15525/

 

この通り、特に可動範囲がまさに見違えるものになっており、価格も税込2530円から税込3300円と(3年経っていることや生産数を踏まえると)上がり幅も最低限に留まっている。ソフビの低価格提供が難しくなってきた分、このアクションフィギュアに一層注力する……というのが『オメガ』の玩具展開における一つの肝だったのかもしれないし、ゾヴァラスをソフビではなくアクションフィギュアでリリースするという点にもそのことが色濃く現れていたように思う。 

他にも、レキネス・トライガロンの高価格帯・高品質でのソフビ販売や、総括記事で触れた「ソフビのリペイント」「ウルトラメテオの低価格展開」にも見られるように、オメガの玩具展開には「物価問題を仕方ないことと割り切らず、明確な対策を打ち出していく」という前のめりな姿勢が多々見られていた。ウルトラシリーズ存続のためにも、引き続き「攻めた玩具展開」をどんどん見せてほしいところ……!

 

 

「楽曲」が好き

 

『BLACK STAR』のような「メロディアスなアツい歌」がド癖な自分としては、本作はあまりに貴重な「主題歌、挿入歌、劇伴がどれもストライクなウルトラマンだった。ストライクゾーンド真ん中な『アンブレイカブル』が第12話のあのシーンで流れ出した時は約2ヶ月積み重なったモヤモヤが丸ごと消し飛んでくれたし、『共鳴レボリューション』が『Missing Link』と異なるベクトルながら同じ刺さり方をした時は「オメガは当たり曲しか連れて来ないんか!?!?!?」と大横転だった。MindaRyn氏の歌声が「メロディアスでアツい」のど真ん中、その上でASH氏の力強い歌声・ラップが加わっているので、自分好みのヒーローソングばかりが飛んで来るのは必然といえば必然なのかもしれない。 

加えて、『オメガ』楽曲の凄みといえばやっぱり「コレ」。

 

 

ぜ、全部「言ってる」……!? 

ちなみに、各楽曲を作詞したのは松井洋平氏・ASH氏のお二人。『アンブレイカブル』は武居監督が第12話のためにオーダーした楽曲とのことなので、撮影時期の都合でしっかり台本が出来上がった状態で作詞できたのかもしれない。完璧だ……完璧だよウルトラマンオメガ……!!

 

アンブレイカブル (feat. MindaRyn)

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「宇宙観測隊」の設定が好き

 

オメガの後半キービジュアル(『仮面ライダーガッチャード』から始まったであろうこの流れ、イイですよね)に「宇宙を揺るがすオメガの真実!」と書かれていたときは、「そんなにハードル上げて本当に大丈夫!?」という気持ちが半分、「デッカーの座組なら本当に凄いものを出してくれるかもしれない」という気持ちがもう半分だった。「主人公の正体やバックボーンがしっかり物語に絡んでくる」作品が好きなので……! 

して、そんな中でお出しされた第22話『星を見つめる人』で自分はもうお祭り騒ぎだった。

 

 

文明の始まりから終わりまでを見つめ、記録を収集することで真の秩序を模索する組織・宇宙観測隊。この設定は、あらゆる「ウルトラマンのお約束」を見つめ直し、現代的かつ美味しい形で再構成するオメガ流の「宇宙警備隊」+「恒点観測員」なのだろうと思うし、そういった意味では、ウルトラマンマックスの「文明監視員」設定の後継者とも言えるかもしれない。 

尚、監視者としてのルールを「カイトに力の使い方を委ねる」ことで突破したり、同じ星の文明同士の争いに介入しないスタンスだったりと、文明監視員は宇宙観測隊と似通った部分が多い。オメガはウルトラマンマックス20周年記念作品だった……?(pixiv百科事典)(おそらくは「宇宙警備隊の設定を現代的に突き詰めると近いところに行き着く」という話)

それはそれとしてこの「宇宙観測隊」の設定、何が良いってそのスケールの大きさ。生命体を観測する、ではなく「文明の始まりから終わりまで観測する」というのはそれだけで彼らの「超長命種・宇宙規模」という規格外ぶりを表しているし、無情にも見える行動原理もそのスケール感あってのもの。宇宙全体の秩序を考える彼らにとって、一つの星のちっぽけな文明などそもそも感情移入するような対象ではないのだろう。 

そんな彼らの「人外感(地球人とは異なるメンタリティ)」はオメガという作品の説得力を大きく引き上げてくれたし、彼らの視点が地球人のそれと離れていればいるほど「オオキダ ソラト」のイレギュラー感や最終章の絶望感も際立つというもの。本当に「宇宙を揺るがす真実」だったという点も含めて、自分を『オメガ』にハマらせてくれた要因の一つだ。

 

 

「敵がいないという絶望」が好き

 

『オメガ』は、シリーズでも類を見ない「敵」がいない作品だった。精神性の話ではなく「一連の事態を終わらせるために倒すべき相手がいない」という意味で。 

特撮ヒーロー作品の性として、ウルトラマンシリーズのクライマックスでは必ず「倒すべき相手」が立ちはだかってきた。根源的破滅招来体が姿を見せない『ガイア』では彼らの最終兵器としてゾグが登場し、オムニバス色の強い昭和シリーズやマックスでも「これを倒せば作品が終わる」と言える相手が必ずいた……のだけれど、その点において『オメガ』は極めて異質。

 

 

確かに、ゾメラというラスボス怪獣こそいたけれど、ゾメラを倒したところで『オメガ』の物語が終わるわけではなかった。まずもって、NDFや怪特隊がゾメラを倒せたとしても「目覚めの刻」は終わらないし、そもそも目覚めの刻とは宇宙に存在する巨大なシステムの一環なので、生命体にどうにかできるようなものでもない。 

(この「怪獣という異常を、より大きな異常によって相対的に自然な存在にする」ハッタリの効いたSF感が本っっ当に好きでェ……!!)

 

更に、ゾメラを倒せるかどうかと「オメガ/ソラトがどうなってしまうのか」は全くの別問題。かといって、結果的に私たちからソラトという存在を剥奪した宇宙観測隊が悪いのかというとそんなこともない。『オメガ』には「これを倒せば作品が終わる」と言える相手が存在しないのだ。 

これによって生まれる不安、あるいは「何か目に見えないものによって追い詰められていく」ような独特のスリルは『仮面ライダー剣』のクライマックスに、気持ちの遣り場がないもどかしさ・やりきれなさは「戦いを終わりにしたかった」と言いつつも、守護者となってしまったオメガを許せなかった/オメガを倒すこと以外に選べる道がなかったゲネス人アーデルの葛藤に、それぞれ通じていると言えるかもしれない。

 

 

これまでのシリーズでは、ありとあらゆる「こんなのどう倒せばいいんだよ!」なラスボスがいたけれど、60年目のシリーズともなればこちらも少なからず見慣れてしまうもの。そんな自分にとって、本作の「物語の着地点が見えない」スリルはあまりに新鮮で、それが第22話から4話に渡って続く最終章の緊迫感はシリーズでもトップクラス。それだけに、第24話で徹底的に突き詰めたその絶望をコウセイの勇気やソラトの言葉が一つ一つ確実に覆していく最終回のカタルシスは格別だったし、「強大なラスボスに立ち向かうクライマックス」が続く中でこういうイレギュラーが差し込まれるのがシリーズもののロマンなんですよ……!

 

(オメガの最終回が殊更に痛快なのは、それまでの3話で「落とし」をやりきっていて、このエピソードが「克己」「逆転」「サプライズ」「エピローグ」というポジティブな要素だけで構成されているからかもしれない)

 

『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンオメガ編 ~絆が紡ぐ未来~ 』が好き

 

『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンオメガ編 ~絆が紡ぐ未来~ 』とは、要は年末年始のイベント『ウルトラヒーローズEXPO ニューイヤーフェスティバル』で行われたライブステージ。TVではちょうど「ソラトがオメガとなり、メテオカイジュウを回収して姿を消す」ドン底時期だったため、時系列上は第22.5話という立ち位置になっている。 

気になるストーリーは「ヤプールザ・キングダムが手を組み、ウルトラヒーローを襲撃する」「戦いの中、コウセイの想いに応えてガメドンがオメガに力を貸す」というもので、本編にガメドンが登場しない理由がしっかり用意されていたり、他のウルトラマンと共闘することがなかったりと、あくまで「本編内の話」という切り口が徹底されている。 

……で、そんな本ステージの何が良かったかと言えば、なんといってもその「構成」だ。

 

 

2022年の『デッカー』以降、夏のサマーフェスティバルやニューイヤーフェスティバルのライブステージ、シリーズ終盤の時期から全国行脚を行う現行作の単独舞台といった「NEW GENERATION THE LIVE」名義の舞台作品群は「本編内の出来事」と位置付けられるようになり、その結果(本編との連動という美味しさと引き換えに)歴代ヒーローたちとの「時空を越えた共演」は基本的に描かれなくなっていった。 

とはいえ、ゼロやゼットたち過去のヒーローを登場させないわけにはいかない……ので、歴代ヒーローたちが登場するパートと現行ヒーローパートの二部作方式にしたり、ステージ後に「フィナーレ」というストーリーを排したお祭り大乱戦パートを用意したりと様々な試みが行われていたが、従来のものに比べ大人しい仕上がりになっている感は否めなかった。 

(唯一の例外として『NEW GENERATION THE LIVE ウルトラマンブレーザー編 ~…未来へ~ 』後半は「ステージの左右が違う時空になっている」という後にも先にも例のない内容でトリガー・デッカーとブレーザーの共闘を実現させていたが、これはこれで没入感よりも困惑やシュールさが勝ってしまっていた……というのが正直な感想)

 

そんな中、今回の『絆が紡ぐ未来』が取ったのは「敵ヤプール軍団)がオメガとM78星雲時空を行き来する」という展開。これにより、 

・M78星雲時空でヤプール軍団出現、ゼットらと交戦(プロローグ) 

ヤプール軍団がオメガ時空を襲撃(ステージ本編~決戦1) 

・M78星雲時空でヤプール軍団をゼットらが追撃(決戦2) 

・逃げ延びたヤプールをオメガが追撃(〆)  

と、「2つの時空を交わらせることなく、オメガと歴代ヒーローが共に戦うストーリー」というとんでもない構成が実現していたのである。 

更に、近藤頌利氏の登壇回(今回は、近藤氏のスケジュールや本編との兼ね合いの都合か、全公演を通して登壇するのはコウセイ役・吉田晴登氏だった。コウセイが「もう一人の主人公」だからこそ実現した名采配……!)においては、あるとんでもない演出が披露されて大きな反響を呼ぶことに。

 

 

「オメガと共にアクションするソラト」だけなら「今年もやってくれたんだ!カッコいいぜ……!」で済むところ、なんとステージを〆るオメガVSヤプールのシーンにおいては「オメガではなくソラトが」ヴァルジェネスハルバードヤプールを薙ぎ払ったのだという。Blu-ray買えば観れますか!?!?!?!?!?!?!?

 

(尚、ステージのクライマックスではアークとギルアークのタッグも登場。期間によってアーマーが変わるようで、自分が観た回ではなんとギルアーク ルーナアーマーが登場していた。み、ミチカケ……!?)

 

「粋さ」が好き

 

ウルトラマンにおける「当たり前」を問い直した結果、ブレーザーやアークとは異なるベクトルで「リアル+オフビートな作風」となった『オメガ』。そんな作風もあって、本作では「粋」な演出・シーンがそこかしこに散りばめられていた。

 

 

例えば、第13話『アユ姉にバレちゃった!?』のアユム。「ひとっ飛び、ね」とソラトの正体を察しつつも、ピグモンに寄り添う2人を見て「友だち」という関係性を選んだ……という葛藤・決断をすべて台詞にするのではなく、あくまで「芝居」で魅せてくれたアユム役・工藤綾乃氏の名演や、鈴木農史氏の繊細な演出が光る一編で、ウルトラの華である正体バレをこの温度感で描くのはまさに『オメガ』ならではの粋さと言えるところ。

 

 

例えば、第17話『風花』のクライマックス。宇宙空間へ追放されたエドマフィラもまた「生きたかっただけの命」だということを台詞にせず、オメガへ伸びる触手と「彼方へ消えていくエドマフィラ」の画だけで伝える演出はある種芸術的でさえあった。抑制の効いた演出が光る『オメガ』の越監督作品の中でも特に冴え渡った一編だ。

 

 

例えば、第24話『最後の力』における「ゾメラを観測するオメガ」は(サユキのフォローこそあれ、オメガ自身の)台詞が全くないのに「これまでとオメガと全く違う」「ただ観測しようとしている」ことが伝わる演出になっており、特に「無機質なオメガスコープ」は岩田栄慶氏の演技とカメラワークのおかげで一目で「理解らされて」しまう名演出。 

また、同話終盤の「第1話で助けられた親子と再会するオメガ」についても、従来の作品ならオメガが少女と会話するシーンが挟まれるだろうに『オメガ』はそれを挟まない。その光景を観たオメガ……もといソラトの表情がすべてを物語っているから。 

これら、野暮な台詞も説明も挟まず「そこにある画」を信じて送り出す姿勢は、きっと製作陣から私たち視聴者への、プロデューサー陣から監督陣への、そして監督陣からスーツアクターを含めた)キャスト陣への信頼感の表れなのだろうと思う。でなければ、きっと第24話の「今までありがとな! ……ソラト!」や、最終回のこのシーンは生まれなかったと思うのだ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

最終回『重なる未来』が好き

 

なんだかんだでここに尽きるかもしれない。一から十まで好きなところ尽くし、こんなに何度も観たくなる最終回は(少なくともニュージェネレーションシリーズでは)初めてじゃないか……というくらいにはこの最終回を見返しているし、その度に涙ぐんでいる。凄かったんですよ、『重なる未来』!!

 

〈アユムとサユキ〉

総括記事では触れられずにいたけれど、ウタ班長ことサユキも『オメガ』に欠かせない……あるいは「オメガを象徴する人物」だったように思う。 

怪特隊特務班のように行動の自由度・独立性が高く、メンバーも素人で、その上時々いなくなる……というグループは、リアルな防衛組織ではまずあり得ない。しかし、そんな「普通はあり得ない」体制を実現させてしまったのがサユキというキャラクター。 

というのも、彼女は「有能で聡明だが、型に囚われない変わり者」で、そのことは怪特隊やNDFに広く知られている様子。なので、サユキにとっても組織にとっても「サユキが独立行動する」ことはむしろ自然で合理的なことなのだ。 

また、サユキの変わり者ぶりを示すのが「英語混じりの口調」であり、最初は少しだけキャラクターっぽさを感じてもしまったけれど、彼女がウルトラマンの名付け親になった瞬間にすべて納得してしまった。口調を含めた彼女のキャラクター性は、リアリティラインの高い『オメガ』世界に「ウルトラマン」の名前を自然に持ち込むために必要不可欠なピースだったのだ。 

……と、そんなサユキが最終回で魅せてくれたのが下記のアユムとのやり取り。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「昔っからアユムの粘りは凄いから。初めて会った時もさ」

「あっ、その話はもう……!」

「私の講演会で一人でバンっバン質問してきて!」

「先生、呆れて連絡先を教えてくれたの」

「違うって! アレは、アユムと友達になりたかったんだよ?」

「……先生」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

前述の通り、オメガは「語らない粋さ」が散りばめられた作品だった。けれど語らないばかりが美徳ではなく、時には言葉にすることも必要。むしろ、語らない粋さを散りばめてきた作品だからこそ「敢えて言葉にする」こともまた染みてくる。 

「ただ友達になりたかった」その真っ直ぐさに、作中度々「組織のしがらみ」に苦しんできたアユムはどれほど救われただろうと思うし、この言葉はおそらく後述の「ソラトのやりたいこと」の前振りにもなっている。いつの時代も、それが宇宙人であっても地球人であっても、人と人を繋ぐのは理屈ではなく「友達になりたい」というシンプルな想いなのかもしれない。

 

 

〈県大会3位っスよォ!!〉

撃墜されたレーザー砲を手動で復旧させ、ゾメラに挑もうとするコウセイ。ソラトに別れを告げ(第24話の「今までありがとな」が「ソラトはもういない」と認める言葉だったのが切ない。それを笑顔で言えるコウセイが好きだ……)、メテオカイジュウを失っても諦めず、自分にできること/自分がすべきことを命を懸けて行おうとする姿勢にはそれだけでも涙してしまうけれど、なぜだか無性にグッと来てしまったのがこのやり取り。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

『俺がやります。怪特隊……隊員ですから!』

「その代わり、絶対に生きて帰ってくること!」

「大丈夫っス!……県大会3位っスよォ!!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

県大会3位。コウセイは人に誇れても夢からは遠いこの実績をしょっちゅう口にしていたけれど、当初のそれは「何も持っていないというコンプレックスから来る虚勢」のようだったし、コウセイの口ぶりも「誇る」というより「意地を張る」ようなニュアンスに感じられた。 

けれど、ここで県大会3位と口にするコウセイは明確な「自信」に満ちていた。それは、この半年間を通してコウセイが様々な人と出会い「やりたいことに向けて突っ走った」自分を、その先にいる今の自分を誇れるようになったからなのだと思う。ラストシーンでアユムを「アユ姉」と呼ばなくなったのも、彼にとってもうアユムが「ずっと先を行く憧れの存在」ではなく「共に歩む対等な仲間」に変化したからなのではないだろうか。

 

 

〈帰ってきたソラト〉

ソラトに精一杯叫ぶコウセイ、「宇宙観測隊」としての自分に抗うオメガ。それらのやり取り一つ一つ……特に、今にも涙しそうな表情で地球人の可能性を語る近藤氏の名演は観ていて熱く込み上げるものがあったけれど、堪えきれずボロボロと涙してしまったのが下記の一連。  

「ソラ……オメガ!」

「違う……。答えなんてどこにもない、探しているだけではいけないのだ! 自分たちで生み出さなければ……!」

「……」

「それが我々には不可能なら、地球人と……いや、すべての命と!」

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「手を、取り合って……っ!」

「……!」

「私は……俺は! オオキダ ソラト! ウルトラマンだ!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

秩序の守り手としての「完璧さ」を求めてか、あくまで当事者でなく観測者に徹していた宇宙観測隊。悪ではないが「正義」とも思えない、それ故にもどかしかった彼らの在り方を「(たとえ間違えることがあっても)自らの手で掴むことに価値がある」と真っ向から否定してくれたこと。……それさえも霞んでしまうほどに「オメガスコープの構え(観測)を解き、両手を握り締める(共存)ことで “オオキダ ソラト” の帰還を示す」という演出が素晴らしかった。本当に、本当に素晴らしかった……! 

このシーンが刺さってしまう理由の一つが、前述した「語らない粋さ」。というのも、このシーンでは「オメガが手を握り締める」「コウセイが涙を流す」「オメガが “ソラト/ウルトラマン” を名乗る」という順番になっている。オメガが手を握り締め「手を取り合って」と口にした時点で、コウセイも私たち視聴者も、彼が「オオキダ ソラト」だと察することができる。理解が言葉より先にやって来るからこそ「納得」が深く染み入るし、言葉にならない領域でコウセイと感動を分かち合える。その上で叫ばれる「ソラト/ウルトラマン」の名前は単なる帰還宣言ではなく、彼自身がその在り方(地球での日々)を選んだという決意表明でもあるのだと思う。おかえり、ソラト……!! 

(怪特隊だから仲良くなるのではなく、固い友情で結ばれた3人に怪特隊という名前が与えられたり、「みんなに幸せでいてほしい」という願いに辿り着いたソラトに「ウルトラマン」の名が与えられたりと、『オメガ』では「辿り着いたことで名前を得る」作劇が徹底されている。そのことが自然な説得力に繋がっているのはもちろん、それはもしかすると「手元に何もなくても、あなたはやりたいことに向かって走り出していい」というメッセージでもあるのかもしれない)

 

Missing Link (feat. ASH)

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〈ソラトのやりたいこと〉

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「楽しかった……。俺ずっと一人だったから、一緒に笑える仲間が欲しかったんだろうなぁ……」

「このままじゃ終われない。終わらせたくない!」

「ああ、俺もだ。……コウセイ、一つだけ方法がある」 

  (中略) 

 「みんなを守れるなら構わない。ソラトと一緒なら、何だってやってやる」

 「俺たちのやるべきことをやろう」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

ソラト/オメガは、完璧な秩序の番人たろうとする宇宙観測隊の中にあって、観測対象である「不完全な生き物」に惹かれてしまう変わり者だった。それはきっと、彼自身が宇宙観測隊の完璧さ・合理性・無機質さに馴染めない「不完全な(やさしい)生き物」だったから。だから彼は地球人と話してみたい、一緒に笑い合いたいと願ったのだと思う。  

完璧な存在は、他者にも完璧を求める。けれど、不完全な存在は他者の不完全を受け入れることができる。自分と違うものを理解し、相手の胸の内を想像し、そこに「優しさ」を注ぐことができる。   

それは、間違えるからこそ宿る力。武器よりも光線よりもずっと強い、ソラトが憧れ続けてきた力。「目覚めの刻」という定められた滅びを唯一回避できるかもしれない希望。   

人間は不完全だから守る価値がないのではない。人間は、不完全だからこそ守る価値がある。 

引用:総括感想『ウルトラマンオメガ』- シリーズの真価を問い直す意欲作。ウルトラマンの心を動かす “地球人の光” とは何だったのか - こがれんアーカイブ

 

ウルトラマンはなぜ地球を守るのか」という問いに対する上記の見立ては、あくまで作品を俯瞰した「理屈」の話。 

一方、ウルトラマンオメガ・ソラトが地球を守ろうとしてくれるのは「友達」だから。地球人が好きだから。それはあまりにもシンプルで、だからこそこの上なく「納得」させられるものだった。 

観ているだけでは友達になれない。一緒にいたいから友達になりたい。友達だから手を取り合える。友達だから守りたい、友達だから、自分のすべてを託すことができる。光と人の「繋がり」を描き続けてきたウルトラマンシリーズの根底を問い直す『オメガ』にとって、それはある種当然の帰結だったのかもしれない。

 

「人が人を想い、繋がり合おうとする心。その絆が天と地とを繋ぐ光なんだ。その光とユナイトするからこそ、私達は “光の巨人” と呼ばれるんだ……!」

-『劇場版ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』より

 

 

〈「ウルトラマンオメガ」の戦い〉

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

「行くぞォ! コウセイ!」

「よっしゃあ……! 行くぞ、ソラト!」

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

ソラトとコウセイの合体変身というまさかのサプライズ。2人が積み重ねてきた絆の集大成として、コウセイというごく普通の青年が光に成る物語としてこれ以上ないものを見せられてしまって、自分はスラッガーが出現した瞬間から大号泣してしまったのだけれど、オメガが走り出した瞬間で「おや?」となってしまった。

 

オメガ 優勢①(UO_M-10)

オメガ 優勢①(UO_M-10)

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流れ出したのは、汎用戦闘BGMである『オメガ 優勢 ①』。え、ここでBRIGHT EYESでもMissing Linkでもアンブレイカブルでもなく汎用戦闘BGM!? と、本音を言うと「肩透かしを食らった気分」になってしまった。しかし、

 

レキネスアーマーのテーマ(UO_M-2)

レキネスアーマーのテーマ(UO_M-2)

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オメガがレキネスアーマーにチェンジ。と同時に聞き覚えのあるイントロが。この時は気のせいかとも思ったけれど、

 

 

それはトライガロンの攻撃と共に半ば確信に変わって、

 

 

ここで「やってくれたなァ!!」と目を見張った。最後の最後であの武居監督がアーマーチェンジラッシュを……それも「新規メドレーBGMを引っ提げて」撮ってくれるだなんて思わないじゃないですか……!! 最後までありがとうございます武居監督、一生付いてきます!!!!! 

(ソラトとコウセイが変身したオメガは姿こそ変わらなかったけれど、アーマーチェンジを含めたメテオカイジュウ3体との連携はこれまでと見違えるもの。怪獣使いとしての力を備えた、事実上の「最強のオメガ」としてゾメラを終始圧倒してくれたのがたまらなかった……!)

 

 

〈怪獣科学特別捜査隊と「怪獣との未来」〉

「オメガは『ウルトラマン』の壮大なプロローグ」という話が武居監督のインタビューで飛び出すまで、自分は最終回が「第1話」だという認識はあまり持てていなかったのだけれど、それでもリアルタイムで「始まり」を感じてしまったのがゾメラ撃破後のエピローグ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube

 

遂に設立された本格的な対怪獣組織『怪獣科学特別捜査隊(KSSIT)』は、その名前やコウセイ・アユムのスーツ姿からも科学特捜隊のオマージュであることは明らか。更にはコウセイが「正体を隠して戦うヒーロー」になっていたりと、何かと鈍い自分もこの一連に溢れる『ウルトラマン』へのリスペクトには感極まらずにいられなかった。 

……と、その一方、このエピローグで自分が胸を打たれてしまったくだりがもう一つ。

 

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引用:『ウルトラマンオメガ』第25話(終)「重なる未来」-公式配信- - YouTube  

『……怪獣の親子を助けたでしょう。優しいんですよね。ただ強いだけじゃ無いっていうのが、ウルトラマンの良いところだなって思いました。あとウルトラマンの影響で、怪獣はただ倒すだけの相手じゃないって感じる人も増えているみたいで、私も色々と考えるようになりました』

-「ウルトラマンオメガ」第25話『重なる未来』より

 

目覚めの刻に対する回答が「怪獣との共存」になることは本編の流れからも自然だし、シリーズにおいても決して珍しいことじゃない。ただ、こと『オメガ』はシリーズの中でもリアリティラインの高い作品なので、自分は「怪獣との共存」という理想への導線がどう描かれるのか想像もできなかったし、最悪「描かれないんじゃないか」とも思っていた。……けれど、本作はそこから逃げることなく「ウルトラマンの姿勢が市民の心を動かす」という形でその萌芽を描いてみせた。 

『オメガ』における脅威は常に「繋がりによって乗り越えるもの」として描かれてきた。であれば、目覚めの刻という試練を乗り越えるためにはもっと広い繋がりが必要であり、宇宙人と地球人が手を取り合った存在・ウルトラマンがその旗頭となる。それは、シリーズの当たり前を一つ一つ問い直し、現実と地続きの説得力を追求してきた『オメガ』流の「怪獣との共存」……ひいては「強さと優しさを併せ持ち、人々の応援を背に仲間と歩む “繋がり” のヒーロー」という、ウルトラマンの築いてきたヒーロー像そのものへのアンサーなのかもしれない。

 

共鳴レボリューション

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おわりに

 

総括で30000字、この記事で20000字、合計約50000字。こんなにも熱を持ってスマホを叩く作品になるだなんて思ってもみなかったけれど、まだまだ『オメガ』に対する気持ちは冷めそうにない。それはきっと、ウルトラマンオメガ』という物語がこれから真に「始まる」からなのだと思う。

 

 

ここから始まる新たな『オメガ』。劇場版、ひいては恒例の『THE LIVE』も(近藤氏のスケジュールの都合か)開催されなさそうな状況ではそれを観ることは叶わなそうだ……と残念な反面、「TVシリーズで綺麗に終わってくれる」ことは昨今では希少価値。ファンとしては潔くそのことを噛み締めなければならない。 

……などと、寂しさを噛み締めていたある日のことだった。

 

 

ガメドンアーマーを看板にした新番組『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ(2026)』。従来の『ジェネスタ』ではブレーザー以降のウルトラヒーローは新録がなかったので「ソラトの新録は新番組予告ぐらいだろう」と思っていた自分にとって、このまだまだ新録あります宣言は予想外のサプライズ。ガメドンアーマーが戦う姿をガメドンがゼットやジードに伝えるとか、せいぜいそのくらいの出番だと思ってたんですよ……!! 

(もしかすると、劇場版がない分の補填も兼ねているのかもしれない)

 

「ソラトとコウセイが」ではなく「ソラトが」という部分が気になるけれど、『ウルトラマン列伝』からというもの、しれっと本編のアフターを盛り込んでくるのがこの「総集編枠」の恒例行事。過度な期待は禁物だけど、それはそれとしてこれからの半年間を楽しみに見守っていきたい。 

改めて、半年間本当にありがとうございました! そしてこれからもよろしく、ウルトラマンオメガ……!!

 




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