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前橋(天川)二子山古墳 前橋市文京町

朝倉・広瀬古墳群の続き。

前橋(天川)二子山古墳。文献[2]の前橋市7[現状:○、墳形:前方後円、全長104m、埋葬施設:不明(未調査)、総覧:前橋市1、国史跡]

左が前方部、右が後円部
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国指定史跡 前橋二子山古墳

文化庁・群馬県教育委員会・前橋市教育委員会

前橋二子山古墳は昭和2年国史跡に指定され、地名をとった天川(あまかわ)二子山古墳で親しまれています。

古墳のかたちは前方後円墳といい、墳丘は二段に築かれています。墳丘の表面は川原石が厚く敷きつめられていますが、墳丘を保護するため、薄く盛土をしています。

埋葬施設は未調査ですが、横穴式石室と推定されています。また、周囲をめぐる堀の一部が県立文書館の敷地内で確認されました。

墳丘の規模 全長104m、前方部幅76m、後円部径72m、前方部高9.5m、後円部高11m

前橋(天川)二子山古墳と広瀬古墳群

天川二子山古墳がある地域は、古代をしのぶ古墳や集落の多い所です。この分布図は、昭和10年の調査や航空写真をもとに作成したもので、昭和10年の調査では約150基程数えられますが、それ以前に失われた古墳を含めると、さらに多くの古墳がありました。

このように、広瀬古墳群は関東においてもかなりの規模を持ったものでした。

左上図のように、広瀬川低地帯を見おろす前橋台地のふちに細長く立地し、天川二子山古墳はその西北端にあります。

古墳が造られるようになったのは、近畿地方では4世紀前半頃、関東地方では4世紀後半頃からで、8世紀初め頃まで造られました。

広瀬古墳群は、天川二子山古墳のような前方後円墳や⑯八幡山古墳のような前方後方墳などの大きな古墳と、多くの小規模な円墳などからなっています。

古墳を造るには、高度な土木技術や大勢の人々の労働力や強い統率力などが必要とされました。

⑰前橋天神山古墳や⑯八幡山古墳のあるこの地域は、4世紀後半頃の上毛野の国づくりの中心でした。

そして、天川二子山古墳のような大きな古墳は、前橋の地域に勢力をもっていた朝倉君の墓だと考えられています。

分布図を見ても判るように、いくつかの大きな古墳を持つ広瀬古墳群のあったこの地域は、東国の古墳文化の中心地の一つでした。

古墳が造られた時期は、次のとおりです。

⑰前橋天神山古墳(県史跡) 4世紀後半頃、関東で最初に造られた前方後円墳の一つ

⑯八幡山古墳(国史跡) 4世紀後半前後、全国でも最大級の前方後方墳の一つ

㊳亀塚山古墳(市史跡) 5世紀前半〜6世紀初期

①天川二子山古墳 6世紀前半〜7世紀初期 

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前方部の墳頂
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前方部の墳頂から後円部
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後円部の墳頂
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後円部の墳頂から前方部
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史跡 二子山古墳(天川)

かつて、本古墳付近から朝倉、広瀬、山王地区にかけての広瀬川右岸の台地上には大小の古墳が群 在し、一大古墳群が形成されてい た。本古墳はこの古墳群の北端に位置し、古墳群を代表する前方後円墳の一つてある。

墳丘は二段に構築され、その表面には厚い葺石が確認できる。墳丘の規模は現状で全長104m、前方部前幅76m、同高さ9.5m、後円部径72m、同高さ11mである。

埋葬主体部については未調查のため明らかでないが、横穴式石室を有するものと推定される。また、その時期についても不明な点が多いが六世紀後半から七世紀初頭の頃に構築されたと考えられている。

昭和57年3月30日 文部省 群馬県教育委員会 前橋市教育委員会

左が後円部、右が前方部
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前方部
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左が前方部、右が後円部
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文献

  1. 前橋市教育委員会 2004 『天川二子山古墳』前橋市教育委員会
  2. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

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