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しどめ塚古墳 高崎市本郷町

高崎市の古墳巡りの続き。

しどめ塚古墳、文献[1]の高崎市1258[現状:◎、墳形:円、直径約16.8m、両袖型横穴式石室、総覧:久留馬村14、県史跡]

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群馬県指定史跡 しどめ塚

しどめ塚古墳は、直径約20メートル、高さ約4メートルの二段築成の円墳で、全体に葺石がはりめぐらされている。かつて同じ台地上には百を越える古墳が存在したが、開墾等により消滅し、現在地上で認識できるものは20基ほどになっている。しどめ塚は昭和36年群馬大学によって調査が行なわれ、翌37年には県の史跡に指定されたため破壊されずに今日に至っている。

主体部は、南西に開口する全長8.6メートルの自然石を積み上げた両袖式の横穴式石室で、ドーム状の構造を呈する玄室は、長さ4.1メートル、幅2.5メートル、高さ2.1メートル、奥壁には巨大な一枚岩が用いられている。羨道は、長さ4.5メートル、幅1メートル、高さ1メートルの規模を持つ。羨道の前半と後半で石積の方法が異なっており、羨門にのみ截石が使われていることから、古墳構築後にあらためて羨道を延長するための改修が行なわれたと考えられている。

石室内からは、勾玉や耳環などの装身具、刀、鉄鏃などの武器類、轡(くつわ)や鐙(あぶみ)、杏葉(ぎょうよう)といった馬具類などが出土している。また、前庭部からは八世紀初頭の須恵器、土師器が確認された。

以上のことから、この古墳は七世紀前半に築造され、後半に羨道の改修、墓前での祭祀は八世紀代まで続いたことが推測される。

所在地 高崎市本郷町1292-2番地

指定  昭和37年8月2日

群馬県教育委員会 高崎市教育委員会

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文献

  1. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

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