横浜の煉瓦巡りの続き。
旧横浜居留地48番館


旧横浜居留地48番館
この建物は、日本で紅茶やダイナマイトなどの取引を行っていた商人J・P・モリソンの事務所兼住宅として、明治16年に建てられたといわれている。大正12年に横浜を襲った関東大震災で2階部分を損壊し、また、その復興事業の道路整備によって建物の西側部分が除却された。その後大正15年から昭和53年までヘルム兄弟商会が所有し、補修が繰り返されていたが、神奈川県は、平成13年2月に県指定重要文化財に指定し、平成13年度に保存工事を実施した。
横浜居留地時代唯一の煉瓦造りの遺構といわれており、煉瓦は同じ段に小口面と長手面が交互に現れる「フランス積み」と呼ばれる手法が使われている。
神奈川県
※外壁は建築当初煉瓦積みの上にしっくい塗りと想定されますが、保存工事ではモルタル塗りで仕上げています。
※案内板の台座は、この建物で使用されていた煉瓦によるフランス積みとしています。









旧横浜居留地 48番館
横浜最古の洋風建築物。創建から大正15年までモリソン商会の建物として用いられていた。 関東大震災で、当初の2階建てが平屋となり、平面規模も6割に縮小されている。石灰製の目地を持つフランス積で、設計尺度はメートル法が用いられている。北側主入口のアーチ上部に創建時と見なされるキーストーンが置かれている。
所在地 :中区山下町54
構造・規模:煉瓦造
建築年代 :明治16年(1883)
指定・認定:神奈川県指定重要文化財
平成13年(2001)2月
設計・施工:不明
旧居留地91番地塀


構造 煉瓦造 腰壁部石造
及び規模 高さ170cm、厚さ石部分30cm、煉瓦部分18.5cm、総延長356cm
所在地 中区山下町九一番地
指定 平成13年11月1日
山下町九十一番地は、横浜居留地九十一番地をそのまま踏襲しており、当初の居留地の南端部に位置します。
明治3年(1870)から明治5年(1872)までと、明治12年(1879)から昭和40年(1965)までの通算90年弱の間、イタリア系蚕種・生糸輸出商社デローロ商会の所在地でした。創業者のデローロ(G.O.Dell'Oro)はミラノの出身で、明治元年(1868)来日して開業しており、主として蚕種を扱いました。最も古くから存在し、最も長く在続した横浜の外国商社の一つです。
この塀は、煉瓦と石で出来ており、石造の腰壁部分の上に煉瓦壁が載る旧居留地の構築物の特色を色濃くとどめており、また旧居留地の建物の外構の姿を示す唯一の遺構です。
また、敷地内からは、小菅集治製と思われる刻印を持つ明治初期の煉瓦が多数発見され、明治以来の歴史を持つことを語っており、かつての居留地の町並みを想起させる貴重な存在です。
大砲




大砲の由来
この大砲は、以前の倉庫会社から三門当社に譲り受けた物の一つで、残り一つは歴史資料館、一つは開港記念館に置いてあります。
以前の倉庫会社が新築工事中にこの池より発掘されたもので、横浜開港に由緒ある貴重な史物で、歴史をたどれば嘉永七年米国使節ペリーは、艦船数隻を率いて日本に関国通商を迫り幕府は、会見の場所を横浜に設け使節と交渉せしむるに当り松代、小倉の二藩に警衛を命じた。松代藩佐久間象山は軍議役として和蘭新式野戦砲二門、牛角砲二門、本込銃の外鎗刀兵等の装備にて威風堂々と出陣し幕府を驚愕させたが、運命遂に黙止しがたく断腸の思いにてこの地に埋没したものです。
以上が前所有者倉庫会社からの伝言です。
平成拾七年七月 株式会社上協商事
ストラチャン商会跡地

ストラチャン商会(山下居留地71番館)
現在の山下町一帯はかつては、外国商館が建ちならぶ外国人居留区でした。旧山下居留地71番地にあたるこの場所には、汽船会社や保険会社の代理店業務を手がけるイギリス系貿易商社のストチャン(Strachan & Co.)の建物が建っていました。明治22(1889)年頃にこの場所に移転してきた同商会は、明治24(1891)年8月、イギリス人建築家ジョン・ダイアック (John Diack)の設計、清水組(現・清水建設株式会社)の施工で、 煉瓦造の新社屋を完成させています。2階建ての社屋は本町通りに面して建っており、裏手にあたるこの場所には同商会の煉瓦進倉庫が建っていました。
大正12(1923)年の関東大震災によって、山下町一帯の建物はほとんどが倒壊・焼失しましたが、現在でも、地中から当時の建物基礎などが発見されることがあります。 展示されている煉瓦は、この建物の建設工事中に発見されたもので、震災前のストチャン商会倉庫の基礎の一部と考えられます。
平成26年3月 三井不動産レジデンシャル株式会社
監修:横浜都市発展記念館
「2ヶ所に残る煉瓦の遺構」って、気かつかなかった。刻印煉瓦があったとは。。。