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西谷戸横穴墓群 町田市三輪緑山

町田市で横穴墓巡りの続き。次に訪れたのは西谷戸横穴墓群。町田デジタルミュージアムによると「 鶴見川へと合流する通称たたら川が形成した谷に面する丘陵の斜面地にあります。1959年の東京都による調査で7基が確認され、三輪南遺跡群の発掘調査に伴って行われた1982~1983年再調査で新たに2基が発見されました。圭頭大刀(けいとうたち)、鉄鏃、鉄釘などが出土しており、ガラス製の玉が多量に出土した横穴墓もありました。東京都の指定史跡として整備されており、見学することができます。」

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東京都指定史跡 西谷戸横穴墓群 (にしやとよこあなぼぐん)

所在:東京都町田市三輪緑山一丁目25-8

指定日:1992年3月30日

西谷戸横穴墓群は、三輪土地区画整理事業に伴って1983〜1984年に発掘調査が行われ、9基の横穴墓が確認されました。横穴墓とは、崖面に横穴をあけて埋葬施設とした古墳時代における墓であり、多くは群集してつくられます。

本横穴墓群は、群集して分布するという横穴墓特有の景観が良好に残っており、1992年、東京都史跡に指定されました。

7世紀前半から後半にかけてつくられたと推定される西谷戸横穴墓群は、この地域において開発を主導した人々の墓と推定されます。特に5号墓から出土した7世紀初頭に製作されたと推定される金銅製圭頭大刀は、被葬者の社会的地位を表す威信財として注目されます。また、5号墓の壁面には、横穴墓が使われた当時に描かれたと推定される人物、船、波状文、三角文の線刻画が確認され、当時の葬送観念を理解する手がかりが残されています。

2016年、史跡を保護するために整備工事を実施し、1〜3号墓は埋め戻し、4〜7号墓には鋼製の扉付密閉施設を設置、8、9号墓は吹付コンクリートによる被膜で遺構を保護しています。

2016年10月設置 町田市教育委員会

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妙福寺
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高麗門(山門)
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町田市指定有形文化財 妙福寺高麗門(山門)

時期 江戸後期

指定年月日 1984年(昭和59年)2月24日

妙福寺山門は桁行(たけゆき)一間の高麗門(こうらいもん)で、正面桁行より背面桁行を大きくして、末広がりに柱を配る。親柱の外側には、築地塀(つじいべい)の取付いた痕跡がある。

軒廻りは出桁造(でげたづくり)の板軒で、組物を用いず、絵様刳形(えようくりがた)もなく、全体に簡素な形式である。

建立年代については、様式細部からの推定ができないが、寺伝には1854年(嘉永七年)頃とある。

町田市教育委員会

高麗門礎石

この高麗門は平成24年4月の台風で倒壊し、そののち解体し部材状態で保管していました。

この度の再築工事では耐風性・耐震性を考慮し、礎石下にコンクリートの底版を設け、アンカーボルトにて柱とつないでいます。

礎石には加工の必要があり、強度不足が危惧されたため新調することとしました。

修理前の礎石はここに保管しています。

令和元年1月 妙福寺

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鐘楼門
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町田市指定有形文化財 妙福寺鐘楼門

時期 江戸中期

指定年月日 1984年(昭和59年)2月24日

妙福寺鐘楼門(しょうろうもん)は、上層に鐘を釣った一間楼門で、棟札(むなふだ)より1746年(延享3年)に建てられたことがわかる。

この門の建立願主は当寺十九世円利院日宏聖人で、また建立にあたっては上三輪村甲子講一結列衆九名と上麻生村甲子講一結列衆十名の助力があった。大工棟梁は岡上村惣助、細工棟梁は相州津久井領四良兵衛であった。

当門は市域でただ一つの鐘楼門である。絵様刳形(えようくりがた)の性質は江戸時代後期の性質を示し、この時代の建物としては全体の比例がよく整っている。なお、屋根はもと茅葺(かやぶき)で、近年に高欄(こうらん)を修理したが当初の形式に倣っている。

町田市教育委員会

本堂
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町田市指定有形文化財 妙福寺本堂

時期江戸 後期

指定年月日 1984年(昭和59年)2月24日

妙福寺本堂は様式上、江戸時代後期の改建とみられ、1786年(天明6年)の曼荼羅二面に、客殿改建に際し書き改めた旨が記されているから、この時の再建であろう。

平面は正面に幅九尺、両側面に幅六尺の広縁を付し、サ字形に六間を配した方丈形式(ほうじょうけいしき)の堂である。障子は1845年(弘化2年)に新造されたものである。正面の向拝(ごはい)は後世の増築になり、また屋根はもと茅葺(かやぶき)で、近年に銅板で葺替えた。全体に改造が少なく、保存状態も良好である。

当本堂は市域の幕末期における方丈形式本堂の代表例で、内部は木割が太く、また室中間と仏間境の虹梁(こうりょう)両端に施した絵様刳形(えようくりがた)も調子がよい。

町田市教育委員会

祖師堂
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東京都指定有形文化財(建造物) 妙福寺祖師堂 (みょうふくじそしどう)

所在地 町田市三輪町811

指定 昭和36年1月31日

この祖師堂は、当寺の記録によると、寛文12年(1672)に大田区池上本門寺の祖師堂を移築してきたものといいます。天井や屋根は後補のものですが、軸部などは桃山時代の様式を伝え、また本門寺の古建築の遺構としても貴重です。

平面は、正面一間を外陣とし、後ろの三間四方の一室を内陣とします。内陣の奥に須弥壇を置き、その上に厨子を安置します。

附指定の厨子は、間口一間、屋根は入母屋造唐破風付で板葺です。万治2年(1659)頃制作され、祖師堂とともに本門寺から譲り受けたものです。

平成22年3月建設 東京都教育委員会

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妙福寺由来

所在地 東京都町田市三輪町811番地

当寺は身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗で、明德二年(1391)日億上人によって開かれ、山号を長祐山という。池上本門寺・鎌倉妙本寺両山の旧末寺である。

旧三輪村は式相六ヶ村の一村で、池上本門寺宗祖の御召服を献上する武相御召講などが存する信仰篤き地である

境内は約四千坪におよび、山門・鐘楼門・祖師堂など諸堂を今なおととのえている寺である。

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