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観音塚古墳 (再訪) 高崎市八幡町

生憎の雨降りだったが、小雨だったので観音塚古墳を再訪。文献[1]の番号700[現状:△、墳形:前方後円、全長約105m、両袖型横穴式石室、碓氷郡八幡村7、国史跡]

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国指定史跡 観音塚古墳

所在地 高崎市八幡町字観音塚1087番地

指定年月日 昭和23年1月14日

本古墳は、高崎市街地西方の八幡丘陵に所在する大型前方後円墳である。墳丘長は現状105mで、周囲に堀を巡らす。6世紀末〜7世紀初めの築造で、前方部の幅や高さが後円部を凌ぐのは、前方後円墳終末期の特徴である。

後円部南に開く両袖式の横穴式石室は、全長15.3m、玄室長7.1m、同幅3.4m、同28mを測り、最大で10畳大の巨石をみごとに組み上げた、日本を代表する巨石石室である。石材は北方を流れる烏川の上流から運搬したとみられる。

1945(昭和20)年、防空壕の掘削で多量の副葬品が出土し、一括して国重要文化財に指定されている(指定名称:上野国八幡観音塚古墳出土品・昭和36年2月17日指定)。銅製容器、鏡、装身具、武器、武具、馬具、須恵器など30種約300点あまりを数え、なかでも銅承台付蓋鏡や刀装具、透彫のある杏葉(馬具の一部)などは、日本の後期古墳出土品のなかでも名品として知られる。

八幡台地においては、平塚古墳(105m、5世紀後半)→八幡二子塚古墳(66m、6世紀前半)→観音塚古墳と、三代にわたる前方後円墳が確認できる。また、北方の剣崎長寺西道跡(5世紀後半)では朝鮮半島系渡来人の実在を示す資料が出土している。八幡台地を掲 点にして古代碓氷・片岡郡域に勢力を張り、渡来人を配下に編成して地域経営を行った東国有数の首長像が推定できよう。

なお、出土品は観音塚考古資料館に収蔵・展示されている。

平成26年6月30日 高崎市教育委員会

文献

  1. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

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