宮代町郷土資料館で開催された令和6年度第3回企画展「発掘された地蔵院遺跡〜テーマで探る人々のすがた〜」を最終日の前日に鑑賞した。地蔵院遺跡は、その名の由来となった地蔵院を中心に、宮代町郷土資料館のある西原自然の森や、百間小学校の敷地に広がる。これまでの発掘調査で、旧石器時代から近現代まで幅広い遺物や遺構が確認された。今回の企画展では、地蔵院遺跡の第二次調査発掘報告書の完成を期して、今までの発掘成果や報告書の内容に触れながら、3つのテーマ『①「うつわ」と道具〜生活の必需品〜』、『②すまいのかたち〜まるからしかくへ〜』、『③まじない〜祈りと弔いのかたち〜』に焦点を当て、地蔵院遺跡で暮らした過去の人々の姿を探る。また、科学分析によって知り得た知見についても紹介する。




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- 宮代町史 通史編>地蔵院遺跡
- 地蔵院遺跡 - 全国文化財総覧
埼玉県東部に行ったので、宮代町郷土資料館に行ってきました。開催中の企画展は、令和6年度企画展「発掘された地蔵院遺跡〜テーマで探る人々の姿〜」。資料館などが所在する場所にある遺跡の出土遺物の展示でした!うつわと道具、すまい、まじないのテーマから、当時の人々のくらしについて探る展示で… pic.twitter.com/LQ1gm1Ke1M
— カワベ (@traditionology_) 2025年5月6日
宮代町郷土資料館で朝から縄文漬け。早期の条痕文系土器と後期の堀之内式土器。詳しい解説は有難いがもうちょっと字が大きいと尚宜しかったです。 pic.twitter.com/ybJybHr5vo
— shigechueo-tang (@BackInMusashi) 2025年6月22日

まちしるべ 160
地蔵院遺跡
所在地 宮代町字西原
地蔵院遺跡は大宮台地慈恩寺支台の一部、大谷耕地を見下ろす台地上に位置する。西側には縄文時代と中・近世の遺跡である伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡が隣接し、東には縄文時代の遺跡である台越遺跡が確認されている。
昭和47年度の分布調査によって本遺跡が確認された。昭和62年に、百間小学校の体育館設置に伴い、初の発掘調査が行われた。その後、昭和から平成にかけて西原自然の森整備事業に伴う調査が幾度も行われ、旧石器時代から古墳時代、中・近世と幅広い時代の遺構や遺物が発掘されている。
地蔵院遺跡では、縄文時代の住居跡、土坑、炉穴をはじめ、古墳時代の住居跡が一軒、中・近世の館に伴うと考えられる溝が複数検出されている。遺物は旧石器時代のナイフ形石器にはじまり、縄文時代草創期から後期の土器まで幅広く出土している。僅少だが、古墳時代の土師器も確認されている。中世から近世にかけての板碑や陶器類も出土しており、十三世紀ごろのものと思われる尾張形山茶碗は、隣接する地蔵院の阿弥陀如来坐像と時期を同じくするものとして意義深い。
平成元年度に行われた第一次発掘調査において、縄文時代中期の土器埋設遺構が三基検出された。この遺構は、胎児や幼児骨の埋葬に関わる呪術的な性格を帯びていると考えられる。また、周辺から獣骨も検出されており、遺跡の性格を考える上で、貴重な資料といえる。
出土遺物や遺構の年代の幅から見ても、地蔵院遺跡は、長い間人々の生活拠点とされてきたことが伺える。
宮代町


まちしるべ 63
地蔵院
所在地 宮代町字西原
地蔵院は『新編武蔵国風土記稿』に百間山西光院の門徒で、本尊は不動明王と記される。所蔵する明和五年(1768)の半鐘には「宝殊山地蔵院」と刻まれる。初見は元禄十年(1697)の「百間村検地帳」で境内一反二畝歩とある。その後、延享二年(1745)や寛政七年(1795)の西光院の本末帳にも見られる。明治四年(1871)の「百間西原下組明細図」によると「元地蔵院二反步」と記され、東西は百間小学校との間の道から墓地の西端まで、南北は墓地の北端から西原の中央を横断する道路に至る範囲が境内であったことが分かる。明治初頭の史料によると境内には墓地の他、本堂が間口六間、奥行二間、庫裏が間口五間、奥行二間と少なくても二棟の建物があった。
地蔵院は明治政府の寺社領上知今の政策により明治五年廃寺となった。その後、明治七年には官地となった土地の内、一畝歩と建物一棟の払い下げを許可され、旧本堂を取り壊して新たに九尺四方の地蔵堂を建立した。昭和四十八年まで残っていた堂はこの時建てられたものである。
再興した地蔵堂の本尊は勝軍地蔵菩薩で馬に跨る武者の形態の像である。勝軍地蔵の胎内からは胎内仏と共に古文書が納められていた。その古文書には享保四年(1719)に勝軍地蔵は造立されたと記される。この他、平安時代末期から鎌倉時代初期の阿弥陀如来像も伝わる。この像は平成十五年、宮代町の指定文化財に指定された。
地蔵院周辺は地蔵院遺跡として鎌倉時代から戦国時代の堀や地下式坑、方形竪穴遺構、井戸など の遺構や多数の中世遺物が発掘されている。隣接する伝承旗本服部氏屋敷跡(百間陣屋跡)と共に西原地区は中世百間郷の中心地の一つであっ たと推定される。
宮代町






縄文時代復元住居(じょうもんじだいふくげんじゅうきょ)
当資料館のある「西原自然の森」は、 敷地全体が縄文時代早期から前期を中心とした大規模な遺跡で、当時の住居跡十数軒が発掘されています。
この復元された住居は、資料館の敷地内から発掘された、縄文時代前期(六千年前)の住居跡をモデルに復元したものです。
当時は、台地の周辺に海が広がり、潮騒の聞こえる静かなムラであったと想像されます。家の中に入ると、海の幸に舌つづみを打つ、にぎやかな縄文人たちの声がいまにも聞こえてきそうです。

