新橋駅付近の散策の続き。
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室では企画展「日本海縦貫線100年展 ~知られざる大動脈~」を開催中




芝地区旧町名由来板
汐留(しおどめ)
昭和七年(1932)、汐留町一、二丁目および新銭座町(しんせんざちょう)の一部を合併して設立された町で、当時は町域のほとんどが元汐留駅の構内に含まれており、北東に汐留川、東に浜離宮を控えた場所にありました。汐留川は土橋で堀止まりのため潮汐の干満は外堀には通じず、汐がこの堀で止まることから汐留川と呼ばれるようになりましたが、いつの頃からかこの辺りの地名のようになったとのことです。
芝口(しばぐち)
かつての豊島郡芝村(後に本芝、現在の芝四丁目)を中心として「芝」と呼ばれる広い地域へ通じる場所ということから芝口と称されるようになったようです。宝永七年(1710)には、一時期江戸の南の出入口として機能した芝口門がたてられ、門の南側の日比谷町一、二、三丁目は芝口一、二、三丁目と改称されました。文政年間(1818〜1830)、芝口三丁目の名主を勤めた長兵衛の十一代前の先祖長兵衛は芝口の前身、日比谷町の開拓者と伝えられています。
源助町(げんすけちょう)
源助町は江戸時代のはじめ、名主役の無浪源助が創設した町屋です。その頃、源助町横丁の桑山家屋敷内には水が赤く、飲料にもならない「油の井」と称する井戸がありました。あるとき、この井戸から弁財天の像を一体掘り出したところ、美しい清水が湧き「弁天の井」と称するようになりました。この弁天様は明和六年(1769)、当時芝口三丁目にあった日比谷稲荷へ相殿して祭られるようになったそうです。
日テレ大時計
ここからはお隣の中央区銀座7丁目、8丁目

建物の基礎(汐留遺跡)
丸い礎石は、仙台藩(宮城県)伊達家上家敷御殿の土台として使われていたもので、当時の御殿の大きさが偲ばれます。
東京都第一建設事務所

検査業務開始の地
明治9年6月17日、この地に工部省電信寮の碍子試驗所が発足して電信用碍子の電気試験が行われた。これが我が国における近代 的物品購入検査の始まりである。
検査100年を記念して
昭和51年6月 郵政省 日本電信電話公社




浜離宮前踏切 說明
所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地 市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月

保存理由
元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月 銀座八丁目町会 銀座御門通り会 銀座金春通り会