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子安古墳古墳群 千葉市花見川区畑町

千葉市内で古墳巡り。

子安神社の本殿裏の子安古墳は、末社三峰神社の鳥居脇に建つ説明板では「桓武天皇延暦年間にこの辺を支配する豪族によって作られた子安古墳のお山を御神体として五穀豊穣の神として鎮齋されました」と説明されている。これは、桓武天皇(在位:781〜806年)の延暦年間(782〜806年)に古墳(円墳)を御神体として鎮斎(ちんさい)されたという子安神社の創立に関する口伝で、この辺を支配する豪族によって作られた子安古墳は、その前からあったということだろう。桓武天皇は、延暦3年(784年)に長岡京に遷都、延暦13年(794年)に平安京に遷都、奈良時代から平安時代への転換期。文献[1]では「円墳3基、遺存度◎」で、ふさの国文化財ナビゲーションでは、子安神社の本殿裏の1基の他に本殿の西側に2基が記されている。また、宮脇遺跡は、子安神社の西側の花見川変電所の辺り。

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子安古墳

花見川沿岸子安神社の附近一帯を畑町宮脇遺跡と云うこのお山は今を遡ること凡そ一、三〇〇年の昔 桓武天皇延暦年間にこの辺を支配する豪族によって作られた子安古墳のお山を御神体として五穀豊穣の神として鎮齋されました

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子安神社御由緒

祭神 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと、子授・安産子育・縁結ノ神)

神歴 建速素盞鳴命(たけはやすさのおのみこと、天照皇大神の弟神)の婦神であります。親神様は足名推神(あしなづちのかみ、父)手名推神(てなづちのかみ、母)なり。神話に伝へる出雲の簸(ひ)の川上に於いて悪神八岐の大蛇退治のとき残されし八人目の姫神であります。

祭日 元旦祭(一月一日)・節分祭(二月)・湯立神楽祭(ニ月二十八日)・安産子育講社祭(五月七日)・例祭(十月十七日)・七年目式年大祭(丑年末年十一月三・四・五・六日)・七五三祭(十一月・十二月)

創立 口伝によれば桓武天皇延曆年間この辺を支配する豪族により作られた子安古墳のお山を御神体として五穀豊穣の神として創立される(1199年前) 子安大明神と祀られしは人里第六十代前天皇の御字延喜年間奇稲田姫命を勧請し祀る。(1082年前)

文献

  1. 千葉県教育委員会 1990「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」

 

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