ネット検索で大谷徹さんの「埼玉県における古墳関連碑文」、埼玉県埋蔵文化財調査事業団、研究紀要 第11号(1995年)を見つけたので紹介する。古墳にまつわる伝承や来歴等を鐫刻(せんこく)した石碑、埼玉県内の12例をまとめた小論。取り上げられた12例のうち、拝見したことがないのは、杉戸町教育委員会蔵の目沼2号墳の石碑と、所在不明の火雨塚・阿遮羅碑(熊谷市三ヶ尻)と、本庄市東台の長峯墓地内の塚合古墳群・飯玉地内之群靈の石碑と、大里郡岡部町岡(現在は深谷市岡)の内出八幡塚古墳の古墳上の史蹟八幡塚の石碑の4つ。

③箕田古墳群

空 清山道壽信士 馬頭観世音 明治十五年十二月四日 鉄道線路二係リ此地陶器人物馬等ヲ掘出シ依テ此標ヲ建ツ箕田村佐藤彦太郎
④西戸2号墳・西戸古墳記

西戸古塚記 武山平子宣撰
古塚靈也者何日人物寶器廢焉人不可猥哀也塚狐入詩是有以乎入間郡川角村西戸淺見儀一郎氏有古塚云行任塚無知其故今茲癸巳秋霖雨屢濕塚面崩陥石出有物更穿獲甃槨内分為両濶各丈許人骨刀鏃及小金環發見奇古可琢而髑髏數座髁脛随之槨裏猶正従班列余謂是殉葬以一宅穸也此地山水形勝上古座猶氏所宅而塚墓在矣行任其人乎夫殉葬仁之古巳禁之然東俗化晚殉禁不行亦久矣抑用人送死王公威福則知遺靈貴也淺見氏篤志懷古之情切建碑追遠求余記余同感明治癸巳孟冬為之記 根岸榮助書

(碑表)貝塚稲荷旧跡碑
(碑陰)來歴
大正元壬子年十二月廿伍日建設
東京帝國大學諸學士出張 明治四十丁未年五月十二日
紀元二千五百六十七年
貝殼調査 三千年以前石器時代
コロボックル人種遺物
村社へ移轉合祀 明治四十一年五月五日
神木一丈五寸杉伐採 同 十二月六日
跡地拂下 同 四十二年九月十日
同発掘遺骸宝刀発見 同 四十三年三月廿四日
同届出 同 四月八日
遺骸改葬 同 十二月廿四日
宝刀帝室博物館献納 同 四十四年四月十五日
村社氷川神社 旧氏子 三上由太郎
社掌 中講義 加治幸廣 同 綱吉
同 嘉吉
⑥田甲原古墳群・古墳合祀之碑

(表面) 古墳合祀之碑
(裏面) 大正九年十月十七日 長島甚助建之
⑨埼玉古墳群・埼玉村古墳群


埼玉村古墳群
武蔵北部は隣國上野と共に古墳の遺存殊に多く夙に人煙稠密文運の發達熾なるを察せしむ本村は實 尔其中樞を占めて埼玉郡名の基く所縣名また此處に由來志百を以て算する大小の古墳累々起伏するもの故なきに非ず昭和十三年八月特尓顕著なる丸墓山二子山等の九基は埼玉村古墳群として文部大臣より史蹟乃指定を受けしが古墳群の指定は僅に九州の一例のみにして未だ他尓見ざる所なり丸墓山は規模壮大の圓墳と志て希有のものに属し天正十八年豊臣氏乃小田原征討の際部将石田三成陣營を設けて忍城攻略を計ると傳へられ今回保存の實を全ふせん為め擧村乃協力に依り指定地域を村有と為すに當り建碑の議あり本史蹟の指定に関係すること前後久しき故を以て予に其記を嘱せらる乃ち一言を此處に叙す
昭和十四年十月 柴田常恵篆並撰 稲村坦元書
⑩一夜塚古墳・一夜塚古墳阯

(正面) 一夜塚古墳阯埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元書
(裏面) 北足立郡朝霞町岡に一夜塚といへる一大圓墳
あり高さ七米直徑五十米昭和十八年四月第二
小學校敷地擴張の為父兄三千人協力して之を
崩す墳中に木炭槨あり漢鏡管玉直刀甲胄鐵鏃
馬具杏葉雲珠等を出せり蓋し此地上代新羅郡
の置かれ大陸文化の盛なりし所にて近くの柊
塚と共に地方豪族の墳墓なること埼玉縣史に
詳なり即ら茲に有志相謀り墳趾碑を建て以て
記念とす 昭和廿七年三月 竹溪 坦元誌
⑪一夜塚古墳・一夜塚供養塔

(正面) 一夜塚供養塔
(右側面) 昭和廿七年三月廿一日建之
一夜塚史跡保存會
(左側面) 昭和十八年四月朝霞第二小學
校敷地擴張に當り圓墳一夜塚
を取崩す墳中の遺品に因り上
代當地開發豪族の墳墓なるこ
と明なり即ち此處に遺品の一
部を埋葬して以て霊を慰む埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元誌
⑫熊野神社古墳・國寶出土品之碑

(表面) 國寶出土品之碑
(裏面) 昭和三年四月當熊野神社境内拡張工事中
に出土し我国最古の重要文化財寶にして
東京上野公園國立博物館に陳列保存す昭和廾三年四日文部省認定
目録
一.硬玉勾玉四顆 一.碧玉紡錘車形石製品四箇
一.瑪瑙勾玉二顆 一.滑石紡錘車形石製品一箇
一.瑪瑙棗玉一顆 一.碧玉 釧 六箇
一.碧玉算盤玉一顆 一.碧玉筒形石製品 四箇
一.碧玉管玉六十七顆 一.筒形銅製品 一箇
一.瑠璃小玉一括 附 朱小塊若干
一.碧玉巴形石製品二箇
文献
朝霞市博物館に行ったときにお隣の東圓寺の一夜塚供養塔も見学して、ブログ記事書くので、検索したらこんな文献を見つけた。
— ぶじん (@kufunmeguri9) 2025年5月9日
大谷徹 1995「埼玉県における古墳関連碑文」『研究紀要 第11号』埼玉県埋蔵文化財調査事業団https://t.co/Ip3vuYvHnp pic.twitter.com/XEA19D1gZc
ららぽーと富士見の近くの 「コロボックルの碑」の碑文も載ってた。https://t.co/T7LREx8YWx pic.twitter.com/jv2spSkavo
— ぶじん (@kufunmeguri9) 2025年5月9日
この文献で箕田2号墳の石碑の来歴を知った。
— ぶじん (@kufunmeguri9) 2025年5月9日
1882年(明治15年)12月に高崎線の敷設によって古墳が破壊されたことを明記した石碑で、高崎線の線路の傍らに建てられたが、箕田2号墳の墳裾に移設されたとのこと。https://t.co/mDhJfejC5n pic.twitter.com/BpchI49VhB