朝霞市博物館のお隣の東圓寺の一夜塚供養塔を見学した。一夜塚古墳は、1943年に朝霞市立朝霞第二小学校の建設のために削平されたとは知っていたが、それが太平洋戦争の戦況悪化で郷里に疎開する児童の受け入れのためとは思い至らなかった。
東圓寺

一夜塚供養塔

右側面
昭和廿七年三月廿一日建之
一夜塚史跡保存會
左側面
昭和十八年四月朝霞第二小學
校敷地擴張に當り圓墳一夜塚
を取崩す墳中の遺品に因り上
代當地開發豪族の墳墓なるこ
と明なり即ち此處に遺品の一
部を埋葬して以て霊を慰む
埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元誌

一夜塚供養塔の由来
この一夜塚供養塔の由来は、塔の向って左側面に記されて居りますが、御参詣の皆様に一夜塚の由来を敢えて紹介いたします。
昭和十八年、大東亜戦争の最中、東京より郷里朝霞に戻ってくる世帯多く、この岡地域、第二小学校の児童数も急増、町として小学校の増築を決定、校庭の隣りにあった一夜塚を延べ三千人で取り崩し、そこに小学校を建てたのであります。
昭和二十七年、時の先輩達は一夜塚古跡保存会を結成して第二小学校校庭隅に一夜塚古墳阯碑を、一方、この寺にはその頂上附近から発掘された木炭槨の古墳、出土品の一部を埋葬し、懇ろに一夜塚御霊の供養をし、この供養塔を建てたのであります。
おそらく当時の先輩たちは、取り崩された古墳の主に謝罪する一方、その跡地、小学校に学ぶ私共子孫に御霊の御加護をお願いして建てた事と思います。
尚、この案内板については、東圓寺のご快諾いただき、設置することができました。
何卒、この地域の往時を偲びつつ、一夜塚古墳の御霊に慰霊合掌して下さることを念じて、この一夜塚供養塔の紹介とさせていただきます。
平成十七年秋彼岸 一夜塚古跡保存會
板石塔婆
不動堂



勉学(べんがく)のすすめ
朝霞第二小学校児童の皆さん、この小学校は今から一五〇〇年程前にこの地方を治めていた豪族のお墓だったといわれる一夜塚古墳跡に建っています。この記念碑の後ろの文を読んで下さい。
私たちはその豪族の子孫なのでしょう。先祖のお墓の上に建てられた学校で勉強しているのです。歴史伝統のある学校で勉強して立派な日本人になりましょう。
時折、記念碑のまわりのお掃除をしたり、花をあげて、一夜塚の御霊をお慰めしましょう。
平成十七年秋彼岸 一夜塚古跡保存会
(正面) 一夜塚古墳阯
埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元書
(裏面) 北足立郡朝霞町岡に一夜塚といへる一大圓墳
あり高さ七米直徑五十米昭和十八年四月第二
小學校敷地擴張の為父兄三千人協力して之を
崩す墳中に木炭槨あり漢鏡管玉直刀甲胄鐵鏃
馬具杏葉雲珠等を出せり蓋し此地上代新羅郡
の置かれ大陸文化の盛なりし所にて近くの柊
塚と共に地方豪族の墳墓なること埼玉縣史に
詳なり即ら茲に有志相謀り墳趾碑を建て以て
記念とす 昭和廿七年三月 竹溪 坦元誌
文献
午前中の晴れ間を狙って朝霞市へ。岡城は残念ながら立ち入り禁止で、近くの東圓寺に行ってみました。壊してしまった古墳の供養塔が二つ、おそらく近隣から出土した板碑が多数。いろんな時代のいろんな形の祈り。 pic.twitter.com/zPtfOXLElA
— shigechueo-tang (@BackInMusashi) 2022年9月19日
古墳の供養塔二つ。一夜塚と金子塚。文言を見ると古墳の主の祟りを恐れたのかなと推測。他に庚申塔二基。なんでもありです。 pic.twitter.com/Hqp3tFNJaJ
— shigechueo-tang (@BackInMusashi) 2022年9月19日