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山名古墳群 (その1) 山名伊勢塚古墳 高崎市山名町

山上古墳に先行する首長墓の山名古墳群の山名伊勢塚古墳。

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高崎市指定史跡 山名古墳群(やまな こふんぐん)

山名古墳群は、古墳時代後〜終末期(六〜七世紀)に形成された群集墳(有力者の集団墓地)である。烏川との合流点に近い鏑川北岸にあり、背後には岩野谷丘陵(観音山)が望まれる。現在、指定地一帯には19基の古墳(前方後円墳1、帆立貝形古墳1、円墳17)が保存されており、これだけ状態の良い事例は県内でも数少ない。

古墳群は中央の低地を挟んで南北に広がるが、六世紀前半15号墳(帆 立貝形)を含む南群から形成が始まった。八世紀後半には北群の築造が始まり、六世紀末には両群の接する西端に山名伊勢塚古墳(墳丘長65m)が成立。七世紀には北群に主体が移り、終焉を迎える。

なかでも山名伊勢塚古墳は烏川以西の片岡地域唯一の前方後円墳で、この地の経済成長を実現した首長の墓であると考えられる。二段築成の墳丘に葺石を施し、円筒埴輪や形象埴輪を並べる。後円部には南に開く横穴式石室があり、地元に産する疑灰岩の切石を積み上げている。盗掘されていたが金銅製馬具や小札甲(こざねよろい)が出土した。

なお、伊勢塚古墳の次世代の首長墓は、背後の丘陵にある山上古墳(七世紀)であるが、その傍らにある山上碑(国特別史跡・681年建立)には、彼らが佐野三家(さのみやけ、ヤマト政権が設置した地域支配拠点)の管理者一族であった由来が記されている。

このことから山名古墳群は、岩野谷丘陵および眼下の平野を拓いて佐野三家の創始に関わり、後に文化的に飛躍する山名地域の礎を築いた集団の墓所と性格づけられる。地域史を解明する上でたいへん重要な文化財である。

所在地  高崎市山名町766番地ほか
指定   平成4年3月2日
追加指定 平成6年3月22日

高崎市教育委員会

山名伊勢塚古墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村47)、番号180[現状:△、墳形:前方後円、全長推定75m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡]
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山名伊勢塚古墳の後円部から左手前に山名5号墳、正面中央に山名10号墳
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文献

  1. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

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