2月5日に開催された世田谷区の大蔵遺跡(おおくらいせき)の遺跡見学会に参加(見学)した。大蔵遺跡は世田谷区の遺跡番号No.30の遺跡で、標高約40mの武蔵野台地の縁辺部に立地し、遺跡の西側が国分寺崖線で、崖下を仙川が蛇行しながら南流する。過去に13次の発掘調査が行われ、主に縄文時代中期前葉〜後葉の集落遺跡として知られている。今回は、大蔵住宅第2期建て替え工事に伴い東京都住宅供給公社からの委託で東京都埋蔵文化財センターが発掘調査を実施している。調査範囲の西半は昭和30年代の大倉団地の造成に伴い立川ロームⅢ〜Ⅳ層上面まで削平され、縄文時代以降の遺物包含層は失われていたが、調査範囲の北西の崖線沿いの調査区(G区)では立川ロームⅣ層上部(約2万3千年前)やⅣ層下部〜Ⅴ層(約2万6千〜2万8千年前)から礫群や遺物集中部を複数検出、なんと水晶製の石器が出土。調査範囲の東半は縄文時代の遺物包含層が良好に残り、縄文時代早期・前期・中期・後期(約1万1千〜4千年前)の竪穴住居趾と考えられる遺構や土坑・ピット、江戸時代以降の溝状遺構などを検出した。発掘調査は今年7月末まで実施予定。



世田谷区大蔵三丁目 大蔵遺跡 遺跡見学会
— ぶじん (@kufunmeguri9) 2025年1月18日
令和7年2月5日(水)
10:30~、11:30~、13:30~、14:30~https://t.co/Jp8JCqMKqZ#考古学のおやつ pic.twitter.com/msQq8iP7Sq
【世田谷区 大蔵遺跡見学会】
— 東京都立埋蔵文化財調査センター (@tokyo_maibun) 2025年2月4日
当センターが発掘調査を行っている世田谷区の大蔵遺跡で明日2/5(水)に遺跡見学会が行われます。
当日4回発掘担当者が解説を行います。
発掘現場を見ることのできる機会はなかなかありませんので、ご興味のある方はぜひお越しください。#都埋文#考古学
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【世田谷区 大蔵遺跡見学会】
— 東京都立埋蔵文化財調査センター (@tokyo_maibun) 2025年2月7日
一昨日の見学会は300名を超える方々にご参加いただき大盛況のうちに終了しました。
ご来場いただいた皆さまに厚くお礼申し上げます。
本遺跡の調査成果は3/20(木・祝)の遺跡発掘調査発表会においても紙上発表します。
こちらにもぜひ足をお運びください。
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世田谷区立大蔵三丁目公園

世田谷通り



大蔵運動公園の防空壕

戦争の記憶〜大蔵運動公園の防空壕〜
住民を守った防空壕
空襲の危険性が高まった昭和19(1944)年、第二陸軍病院大蔵分院(現在の国立成育医療研究センター)に近かったこの場所に、東京都は防空壕をつくることにしました。防空壕とは、飛行機から落とされる爆弾などから、避難するための横穴のことです。
この看板の後ろの斜面の3か所から掘りはじめ、枝分かれや合流しながら、1本の横穴を陸軍病院までつなげました。当時の人は、地下10m程度の位置に高さ約1.8m、幅約1.5mのかまぼこ形の横穴(右図参照)を、総延長約600m も掘り進んでいきました。
この防空壕は、大いに活躍し、空襲警報が出るたびに、陸軍病院の患者や看護婦の避難に活用されました。
【参考文献】「砧公園」(財)東京都公園協会
70年もの時を経て、埋めることになった防空壕
防空壕がつくられてから長い年月が過ぎ、安全性を確保するため、平成28(2016)年から防空壕を埋めるための調査と工事を行うことになりました。
防空壕の中に入って調査することができないため、地上から音波やレーザー によって位置や形状を調べ、3本の横穴と枝分かれした通路の行き止まりを確認しました。
その後、地上から筒状の小さな孔を開け、その孔からモルタルを流し込む工事を行い、防空壕を埋めました。
令和4(2022)年に防空壕の埋め戻しは完了しましたが、戦争の記憶を後世に残すと共に将来の平和を願い、この看板を作成しました。
令和4年3月世田谷区


東宝スタジオ