以下の内容はhttps://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2025/02/15/000000より取得しました。


大蔵遺跡 見学会 (2/5) 世田谷区大蔵

2月5日に開催された世田谷区の大蔵遺跡(おおくらいせき)の遺跡見学会に参加(見学)した。大蔵遺跡は世田谷区の遺跡番号No.30の遺跡で、標高約40mの武蔵野台地の縁辺部に立地し、遺跡の西側が国分寺崖線で、崖下を仙川が蛇行しながら南流する。過去に13次の発掘調査が行われ、主に縄文時代中期前葉〜後葉の集落遺跡として知られている。今回は、大蔵住宅第2期建て替え工事に伴い東京都住宅供給公社からの委託で東京都埋蔵文化財センターが発掘調査を実施している。調査範囲の西半は昭和30年代の大倉団地の造成に伴い立川ロームⅢ〜Ⅳ層上面まで削平され、縄文時代以降の遺物包含層は失われていたが、調査範囲の北西の崖線沿いの調査区(G区)では立川ロームⅣ層上部(約2万3千年前)やⅣ層下部〜Ⅴ層(約2万6千〜2万8千年前)から礫群や遺物集中部を複数検出、なんと水晶製の石器が出土。調査範囲の東半は縄文時代の遺物包含層が良好に残り、縄文時代早期・前期・中期・後期(約1万1千〜4千年前)の竪穴住居趾と考えられる遺構や土坑・ピット、江戸時代以降の溝状遺構などを検出した。発掘調査は今年7月末まで実施予定。

f:id:kofunmeguri:20250205160422j:image
f:id:kofunmeguri:20250205160459j:image
f:id:kofunmeguri:20250205160211j:image

世田谷区立大蔵三丁目公園
f:id:kofunmeguri:20250205161038j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161042j:image

世田谷通り
f:id:kofunmeguri:20250205161049j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161045j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161052j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161034j:image

大蔵運動公園の防空壕
f:id:kofunmeguri:20250205161255j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161245j:image

戦争の記憶〜大蔵運動公園の防空壕

住民を守った防空壕

空襲の危険性が高まった昭和19(1944)年、第二陸軍病院大蔵分院(現在の国立成育医療研究センター)に近かったこの場所に、東京都は防空壕をつくることにしました。防空壕とは、飛行機から落とされる爆弾などから、避難するための横穴のことです。

この看板の後ろの斜面の3か所から掘りはじめ、枝分かれや合流しながら、1本の横穴を陸軍病院までつなげました。当時の人は、地下10m程度の位置に高さ約1.8m、幅約1.5mのかまぼこ形の横穴(右図参照)を、総延長約600m も掘り進んでいきました。

この防空壕は、大いに活躍し、空襲警報が出るたびに、陸軍病院の患者や看護婦の避難に活用されました。

【参考文献】「砧公園」(財)東京都公園協会

70年もの時を経て、埋めることになった防空壕

防空壕がつくられてから長い年月が過ぎ、安全性を確保するため、平成28(2016)年から防空壕を埋めるための調査と工事を行うことになりました。

防空壕の中に入って調査することができないため、地上から音波やレーザー によって位置や形状を調べ、3本の横穴と枝分かれした通路の行き止まりを確認しました。

その後、地上から筒状の小さな孔を開け、その孔からモルタルを流し込む工事を行い、防空壕を埋めました。

令和4(2022)年に防空壕の埋め戻しは完了しましたが、戦争の記憶を後世に残すと共に将来の平和を願い、この看板を作成しました。

令和4年3月世田谷区

f:id:kofunmeguri:20250205161248j:image
f:id:kofunmeguri:20250205161251j:image

東宝スタジオ
f:id:kofunmeguri:20250205161334j:image

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村




以上の内容はhttps://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2025/02/15/000000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14