以下の内容はhttps://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2024/12/30/000000より取得しました。


古墳時代の草加地域 草加市立歴史民俗資料館

草加市立歴史民俗資料館で開催された秋季企画展「古墳時代草加地域」を鑑賞した。残念なことに企画展は撮禁だった。なお、常設展示は撮影OK。

f:id:kofunmeguri:20241215133107j:image
f:id:kofunmeguri:20241215133104j:image
f:id:kofunmeguri:20241215133056j:image

登録有形文化財 草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)

所在地:草加市住吉1丁目11-1 29号

かつての草加市は、一部の台地を除けば一面に豊かな水田が広がる稲作地帯でした。

しかし、昭和三十年代からの急激な都市化現象は、そこに住む人々の暮らしまで一変させ、営々と築き受け継がれてきた貴重な歴史、民俗等の文化遺産を消失させつつあります。

草加市立歴史民俗資料館は、この失われつつある郷土の文化遺産を収集、保管、展示するため、昭和五十八年十一月一日に開館しました。 

この建物は、草加小学校西校舎を改築したもので、コンクリート造りの校舎としては埼玉県で一番古いものです。屋根の一部を三角形に立ち上げる意匠などが特徴で、平成二十年十月二十三日、国の登録文化財となりました。

館内には、農具、神楽面などの民俗資料、古文書、板碑などの歴史資料、土器などの考古資料が保管・展示されています。

ここに集められた文化遺産は、いずれも私たちの祖先が長い歴史の中でつくり、はぐくみ、伝え残してくれたものです。これらを大切に保存し、永く後世の人々に伝えることは、今に生きる私たちの責務ではないでしょうか。

近年、急激に進められている地域開発や生活の変化の中で、市民の財産である自然や文化財を愛護する精神を培っていきたいものです。

平成二十一年三月 草加市教育委員会

f:id:kofunmeguri:20241215133206j:image
f:id:kofunmeguri:20241215133210j:image

 

草加松原
f:id:kofunmeguri:20241215133554j:image
f:id:kofunmeguri:20241215133602j:image
f:id:kofunmeguri:20241215133558j:image

松尾芭蕉文学碑

ことし 元禄二とせにや 奥羽長途の行脚 只かりそめに思ひたちて 呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共 耳にふれていまだめに見ぬさかひ 若生て帰らばと 定めなき頼の末をかけ 其日 漸早加と云宿にたどり着にけり 瘦骨の肩にかかれる物先くるしむ 只身すがらにと出立侍るを 帋子一衣は夜の防ぎ ゆかた 雨具 墨 筆のたぐひ あるはさりがたき餞などしたるは さすがに打捨がたくて 路次の煩となれるこそ わりなけれ

西村本「おくのほそ道」より

f:id:kofunmeguri:20241215133605j:image

今様草加宿 解説板 草加松原

草加松原の今昔

草加松原は、日光道中綾瀬川沿い約1.5kmの松並木です。江戸時代より「草加松原」「千本松原」と呼ばれ、うっそうとした松並木が緑のトンネルを形成し、日光の杉並木と肩を並べる名所になっていました。

松の植樹時期は定かではありません。一説では、天和年間(1681〜1684)に関東郡代伊奈半左衛門綾瀬川を開削したときにあわせて日光道中を改修した際に植えたといわれています。しかし、1751 年(寛延4)成立の『増補行程記』(盛岡藩士清水秋全筆)には松並木は描かれていません。記録によると、1792年(寛政4)に1230本の苗木を植えたということが記されています。1806年(文化3)完成の『日光道中分間延絵図』には街道の東西に数多くの松が描かれています。

1870年(明治2)の調査では485本、1879年(明治10)には補植されて806本あったといわれます。1928年(昭和3)発行の埼玉県の調査報告書によると、「距離延長約14町(約1.5km)、樹数778本、道路の東側390本、西側388本、大きさ通常目通周囲約4.5尺、高さ7〜8間、最大なるもの目通周囲約8尺、高さ12間」とあります。

しかし、昭和40年代には、自動車通行量の増加による排気ガスの影響で、成木は60数本にまで減少しました。1971年(昭和46)、 草加市は「松の枯死の原因究明と対策」を検討し、松原再生に着手 しました。松並木保存会による保護・補植、県道足立・越谷線の西側移設などにより、現在約600本まで回復しています。1986年(昭和61)、草加松原は「日本の道100選」に選ばれています。

街道と松並木

徳川家康は、幕府開府に先立って五街道をはじめとする全国の街道の整備を命じています。日本橋を起点とした街道沿いには、箱根や日光のように、杉や松が多く植えられ並木として壮大な景観を今に伝えている場所があります。幕府が街道に並木を設けたのは、常緑の並木が夏は強い日差しを遮り、冬は防風にと参勤交代などで道ゆく旅人たちを守ること、街道の風致を求めたことにあったといわれています。

 

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村




以上の内容はhttps://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2024/12/30/000000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14