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元屋敷4,5号墳 本庄市小島

本庄市の旭・小島古墳群を巡った。

本庄市の遺跡番号139の元屋敷5号墳。文献[2]の小島諏訪神社古墳、円墳、径27m、神社境内、埴輪、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.77の小島諏訪神社古墳、円墳。
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第80回伊勢神宮式年遷宮記念 諏訪神社 御由緒

本庄市小島4-4-14

□ 御縁起(歴史)

小島は、利根川の右岸に位置する。集落は本庄台地上にあり、低地から 見ると島のようであったので小島の名が付けられたという。地内には、多数の古墳(旭・小島古墳群)が存在していたが、昭和三十年代後半からの急激な宅地造成によって、その数も激減してしまった。

当社は、そのうちの一つの円墳上に祀られる。創建については伝えられていないが、地内の今井達雄家には、享保12年(1727)に長松寺の住僧慶尊が新兵衛と名乗る者に宛てた文書が保管されている。その内容は、享保12年より長松寺が諏訪大明神別当となり、願いにより畑一反一畝一一歩の年貢上納を行うが、「神前之義」は新兵衛らが行うようにというものである。これに続いて、「寛永5年(1628)新兵衛ト改名ス、 明曆4年(1658)此所へ移ル、万治2年(1659)此所へ諏訪大明神 鎮座ス」と記されている。今井家には新兵衛と名乗っていた伝承はないが、 同家は古くから「お諏訪様」と呼ばれている。口碑によれば、当社の氏子の先祖たちは信州から移住した時は台地の下に住んでいたが、中山道整備に合わせて台地上に屋敷を構えるようになり、諏訪神社も今の場所に鎮座することになったという。前記今井家文書に「元禄11年(1698)面地ヲ買置」と書いてあるのも注目される。

明治に入り、長松寺の管理下を離れた当社は、無格社とされた。

□ 御祭神

建御名方命(たけみなかたのみこと)・・必勝祈願、合格祈願、家内安全

□ 御祭日

・春祭り(4月3日)  ・大祭(8月27日)

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本庄市の遺跡番号138の元屋敷4号墳。文献[2]の旭・小島古墳群No.138、円墳、径30m、墓地、埴輪。文献[3]のNo.76の本庄市138号古墳、円墳、葺石。
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文献[3]より
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文献

  1. 本庄市教育委員会 1982 『本庄市埋蔵文化財調査報告4:旭・小島古墳群発掘調査報告書本庄市教育委員会
  2. 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書
  3. 本庄市教育委員会 2014 『本庄市埋蔵文化財調査報告書41:旭・小島古墳群本庄市教育委員会

 

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