群馬県立歴史博物館で企画展を鑑賞後に綿貫観音山古墳を再訪。初めて横穴式石室の中に入れた。




観音山古墳の埴輪 国宝群馬県綿貫觀音山古墳出土品 指定:令和2年9月30日
観音山古墳では、墳頂と墳丘中段のテラス面に埴輪が多量に並べられていました。一方で、内堀と外堀の間にある中提(ちゅうてい)には壊輪は並べられていなかったようです。
後円部墳頂では、家・大力(たち)・盾(ゆき、矢入れ具)・鶏(にわとり)の埴輪が、前方部墳頂では家・盾・鶏の埴輪が並べられていました。そして、墳頂の平坦面を一周するように円筒・朝顔形埴輪が立て並べられていました。
中段のテラス面では、石室の入口向かって左側から前方部にかけて、最も形象(けいしょう)埴輪が集中しています。胡坐(あぐら)を組み合掌する男子人物埴輪の向かいには、正座し祭具を捧げ持つ女子人物埴輪と皮袋を捧げ持つ女子人物埴輪、その背後には靫負(ゆげい)の男子、そして男女像の間には、三人の女子が弦楽器を爪弾く埴輪が並べられていました。これらの中心的な人物埴輪は古墳時代の儀礼の様子を表していると推定されています。そしてこの埴輪に続いて、振分け髪の男子・甲冑を身に着けた挂甲武人(こうけいぶじん)・鍬(くわ)を担ぐ男子や盾持人、馬具で飾った飾り馬と馬を引く馬子(まご)などが並べられていました。


観音山古墳の石室
大きさ 全長12.5m、玄室長8.25m、玄室幅 3.85m、羨道長4.25m、羨道幅2.48m
壁面は、角閃岩安山岩(かくせんせきあんざんがん)の5面を加工した約30〜40cmの切石を積み上げています。一部にL字形の切り込みがあり、精密な技術がうか がえます。
天井石は、牛伏砂岩の自然石を用い、その最大のものは重さが約22トンもあります。
◎見学上の注意
1. 石室内の石は外に持ち出さないでください。
2. 壁に手を触れたり、寄りかからないでください。
3. 係員の指示のある場合には、その指示に従ってください。













史跡 観音山古墳
概要
観音山古墳は二段からなる墳丘とそれを取り囲む二重の周堀をもつ6世紀終わり頃に築かれた前方後円殖です。
墳丘は、前方部を北々西に向け、全長97m、後円部径61m、同高さ9.5m、前方部幅63m、同高さ9.1mで、すべて盛土で築かれています。葺石(ふきいし)はみられません。中段部と墳頂部(ふんちょうぶ)には埴輪が並べられていました。
周堀を含めた全長は178m、幅143mで、内堀と外堀は中堤帯(ちゅうていたい)で区分されています。
観音山古墳の埋葬施設
埋葬(まいそう)施設は、後円部に築かれた巨大な横穴式石室で、全長は12.5mあり、南西に開口しています。壁画は榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩の切石を積み上げ、天井石は古墳の南西約10kmにある牛伏山(うしぶせやま)などからとれる砂岩(さがん)の 自然石を用いています。
観音山古墳と出土遺物
石室の中には、死者が生前に使用していたものなどたくさんの品々がおさめられていました。
遺体は長い間に腐ってしまい、ごく少量の骨片と歯が見つかっただけでしたが、右側の壁の下には、鏡や玉、耳飾り、そして刀や帯など、祭りの道具や権威を示す品物が置かれ、左壁の下にはよろい、冑をはじめ武具・武器類が置かれていました。
これらの副葬品の中には、奈良県の藤ノ木古墳や朝鮮半島の武寧王陵(ぶねいおうりょう)出土のものと類似するものもあり、最新の文化を積極的に取り入れた被葬者の姿を浮かびあがらせてくれます。
出土品については近くの群馬県立歴史博物館に展示してあります。
はにわの世界一古墳のまつり一
観音山古墳からは全国でも他に例のない「三人童女(さんにんどうじょ)」をはじめとして、数多くの埴輪が出土しました。その並べられていた状況から被葬者の生前の姿や、古墳のまつりの様子をうかがい知ることができます。
観音山古墳をつくる
古墳全体の設計図をつくり、それに基づいて現地で測量を行います。
そして、周堀を掘り、その土を盛り上げて墳丘の一段目をつくります。
後円部に角閃石安山岩の切石を積み、その上に運搬路を用いて運んだ巨大な牛伏砂岩の天井石を載せた石室をつくります。
石室の上に盛り土を重ね、最後に整形して完成となります。
群馬の古墳時代
群馬県にはかつて1万基を越える古墳があったと推定され、全国でも有数の「古墳王国」といわれています。
これらの古墳は、4世紀中頃から7世紀の末にかけてのもので、観音山古墳がつくられた6世紀末頃までは前方後円墳が多く築かれました。
それ以後は前方後円墳が消滅し、円墳や方墳が多くなります。やがて、仏教文化が伝来すると古墳にかわって寺院が建立され るようになります。


史跡 観音山古墳 (所在:高崎市綿貫町・台新田町 指定:昭和48年4月14日)
観音山古墳は6世紀後半に造られた前方後円墳です。
墳丘長97m、後円部径61m、前方部幅63m、後円部高9.4m、前方部高9.1m、二段に造られており、茸石はありません。墳丘の周囲には盾形の周堀が二重にめぐっています。外堀まで含めた古墳の全長は185mです。
周辺には普賢寺裏古墳・不動山古墳・岩鼻二子山古墳の大型前方後円墳3基や円墳20基があり、「綿貫古墳群」と呼ばれています。
観音山古墳の埋葬施設
観音山古墳の埋葬施設は、後円部二段目に造られた横穴式石室で、全長は12.6mです。遺体を納める玄室は全長8.2m、幅3.8mで全国最大級の面積です。
石室の壁面には角閃石安山岩、天井には牛伏砂岩が使われています。角閃石安山岩は榛名山の噴火によってもたらされた石材で、ブロック状に加工して積み上げられています。牛伏砂岩は全部で6枚、観音山古墳の約15km南西から運ばれてきましたが、最も重いものは石室一番奥の石で22tもあります。
国宝 群馬県綿貫観音山古墳出土品 (指定:令和2年9月30日)
観音山古墳は昭和43年に発掘調査が行われました。幸いにも未盗掘だった横穴式石室からは、銅鏡・ 銅水瓶、金銅馬具・装身具・大力・甲冑・土器など豊富な副葬品が出土しました。副葬品の中には中国大陸・朝鮮半島とのつながりが深いものが多数あります。これらの副葬品から、この地で活動していた有力な首長だった被葬者の経済力や社会的地位、対外交渉の一端を知ることができます。
観音山古墳の多彩な副葬品は質・量・遺存状態が東日本の古墳出土品として群を抜くもので、東日本の古墳時代を考える上で極めて高い学術的価値があります。
なお、これらの副葬品は墳丘から出土した埴輪とともに国宝に指定され、県立歴史博物館で展示しています。