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午王山遺跡 和光市新倉

2020年に国の史跡に指定された午王山遺跡。

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和光市指定文化財 記念物 史跡 午王山遺跡(ごぼうやまいせき) 平成25年4月25日指定

午王山遺跡は、標高約25mの独立丘上にあり、旧石器時代から中世までの複合遺跡です。その中で、特に弥生時代の環濠集落として広く知られています。

環濠集落とは、ムラを外敵から守るため、断面V字状の濠が住居群を囲うように振り廻らされている集落です。この午王山遺跡では、環濠が二重に廻ることが発掘調査でわかっています。そのほか遺跡の西端では丘の斜面を断ち切るように別の一条の環濠が一部分検出されていることから、環 濠は三重に廻る可能性もあります。

濠の規模が最大のものは最内側の環濠で、最大幅2.9m、最大深さ1.7mを測り、平坦部から斜面へ変化する標高23m程の稜線上に沿って廻っていることが発掘調査でわかっています。

遺跡南東の二条環濠の外側(第1次・第10次調査区)では、弥生時代の方形周溝墓が4基ほど検出され、環濠により集落と墓域が区分けされていることもわかっています。

弥生時代の住居跡は既に150軒程検出され、中期後半の宮ノ台式の住居跡のほか、中期末から後期前葉の中部高地系(長野県・群馬県)の櫛描簾状文(すだれ文様)土器が出土する住居跡、後期の東海系の擬似縄文(菊川式系統)土器が出土する住居跡などが多数検出されています。

午王山には「新羅の王子が住んでいた」との伝承が、江戸時代発行の『新編武蔵風土記稿』に書 かれています。この伝説は、『続日本紀』に「天平宝字2年(758年)帰化新羅僧32人、尼2人、 男19人、女21人武蔵国の閑地に移す、これに於いて新羅郡を置く」と記載されていることに由来するものと思われます。しかし、これまでの調査では8世紀代の一般的な竪穴住居跡は数軒検出されていますが、豪族館や大型建物跡などは発見されていません。

文献

[1] 和光市教育委員会 2013 『弥生時代の環濠集落午王山遺跡を掘る和光市教育委員会

[2] 和光市教育委員会 2019 『和光市埋蔵文化財調査報告書66:午王山遺跡総括報告書和光市教育委員会

[3] 和光市教育委員会生涯学習課 2022 『史跡午王山遺跡保存活用計画和光市教育委員会

[4] 和光市教育委員会 2023 『国史跡指定記念午王山遺跡展 ~独立丘に営まれた弥生時代の環濠集落~和光市教育委員会

[5] 和光市教育委員会 2023 『国史跡指定記念午王山遺跡展記念講演会・関連講座 資料集和光市教育委員会・(公財)和光市文化振興公社

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