上総国分寺跡の七重塔跡と西門跡を見学。
七重塔跡




上総国分寺跡
国指定史跡 昭和4年12月17日指定
国分寺は、天平13(741)年、聖武天皇の詔によって、国の平和と繁栄を祈るために全国60か所余りに建てられた僧寺と尼寺からなる国立寺院で、地方の仏教や文化繁栄の中心となりました。上総国分寺は、諸国の中でも規模が大きく、その中心部の伽藍が良く整ったわが国を代表する国分寺の一つとされています。寺域は、北東と南西で谷や古墳を避けて造営されているため四角形ではなく、南北478m、東西が 北辺254m・中央345m・南辺299mを測り、面積は13.9万㎡におよび、武蔵、下野の国分寺に次ぐ大きさです。主要伽藍の周りには、塀を巡らし、東西南北に門がありました。伽藍の配置は、南大門、中門、金堂、講堂が南北に並び、回廊に囲まれた金堂前庭の東に七重塔を配置するのが特徴です。
七重塔は、基壇の規模や礎石の柱間の長さなどから復元すると推定高が63mにおよび、現在の市役所第2庁舎よりも大きかったとされています。詔に「それ 造塔の寺は兼ねて国の華たり」とうたわれているように、七重塔は国分寺を象徴する最大の建造物でした。
コスモス
金堂跡
西門跡

さまざまな施設
寺院の中心(伽藍地)の北東には政所院(東院と呼ば れていた可能性あり)、北西には薗院(えんいん)、南には花苑(かえん)などの付属施設が配置されていました。この他、講院・ 綱所・経所・油菜所・厨などの施設が置かれていたことが、出土した墨書土器からわかります。
西門跡
西門は、金堂と講堂の間の西方に位置し、伽藍地の西側の塀に開いていた門です。平成2(1990)年の発掘調査で、間口3間(36尺・10.8m)、奥行2間(19尺・5.7m)の三間一戸の八脚門(はっきゃくもん)であったことがわかりました。柱は直径約50cmの掘立柱で、一度建て替えられていました。
西門跡については、平成5(1993)年度に柱位置や規模がわかるよう平面的な復元をしました。柱の間にはタイルを並べることで、当時の壁の位置を表現しています。

