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船橋市郷土資料館 船橋市薬円台

中野木台遺跡 遺跡見学会の前に船橋市郷土資料館を訪れ、常設展示を鑑賞した。古墳時代では、伝小字竹ノ越出土の円筒埴輪と人物埴輪(下半部のみ)、本町1丁目出土の人物埴輪の頭部などを展示。また、企画展「船橋の食文化」を鑑賞した。

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蒸気機関車D51-125号
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蒸気機関車D51-125号について

この機関車は日本国有鉄道(国鉄)の貨物列車をひいて、35年間はたらきました。たくさんの型の蒸気機関車がつくられたなかで、D-51型はいちばん多い1115両つくられました。

D-51型は「デゴイチ」ともよばれていました。

【経歴】

1938(昭和13)年7月22日 日立製作所で製造。

1938(昭和13)年7月31日 東京鉄道管理局 新鶴見機関区に配置。

1944(昭和19)年8月19日 名古屋鉄道管理局 静岡機関区に配置。

1949(昭和24)年9月16日 名古屋鉄道管理局 中津川機関区に配置。

1973(昭和48)年6月14日 広島鉄道管理局 長門機関区に配置。

1973(昭和48)年11月11日 船橋市郷土資料館 に搬入、設置工事。11月30日 廃車登録。12月18日 設置工事完了。

1982(昭和57)年3月25日 屋根新設工事完了。

全走行距離 2,475,048.5km
地球を約62周まわったことになります。また地球と月の間を3回と4分の1ほど往復するだけの距離を走ったことになります。

習志野地名発祥の地 附 明治天皇駐蹕之処の碑
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市指定文化財(史跡) 昭和43(1968)年12月19日指定  管理者船橋市

習志野地名発祥の地  附  明治天皇駐蹕之処の碑

(ならしのちめいはっしょうのち つけたり めいじてんのうちゅうひつのところのひ)

現在の船橋市習志野台(ならしのだい)・習志野付近一帯は、かつて、大和田原(おおわだばら)あるいは正伯原(しょうはくはら)ともいわ れ、江戸時代には幕府の牧(馬の放牧場)の一部でした。その後、明治7(1874)年から昭和20(1945)年までは陸軍の演習場でした。

明治6(1873)年4月29日、明治天皇は徳大寺宮内卿西郷隆盛篠原国幹ほか多くの供奉者を従え、薩摩・長州・土佐の兵からなる四個大隊2800人の近衛隊を率いて、県下に初めて行幸(ぎょうこう)されました。午後には船橋宿九日市村に到着し、櫻屋で昼食をとられました。その夜は荒天にもかかわらず、演習地の幕舎に野営されました。

翌30日は近衛兵の演習をご覧になり、5月1日皇居へ還御されました。同13日天皇より勅論(ちょくゆ)をもって、この原に「習志野ノ原」の名を賜わり、その後、陸軍の演習場として定められました。これが現在の「習志野」の地名の由来です。

この碑は仙台石製で、大正6(1917)年に明治天皇が演習を統監された場所(船橋市習志野台四丁目431の3)に建てられましたが、平成6年6月に現在の場所に移転しました。碑文には地名を賜わった由来が記されています。

船橋市教育委員会

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