中野木台遺跡 遺跡見学会の前に船橋市郷土資料館を訪れ、常設展示を鑑賞した。古墳時代では、伝小字竹ノ越出土の円筒埴輪と人物埴輪(下半部のみ)、本町1丁目出土の人物埴輪の頭部などを展示。また、企画展「船橋の食文化」を鑑賞した。




#はにわウイーク 3日目
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2024年8月22日
千葉県 船橋砂州の埴輪😆
船橋市は なかなか埴輪のイメージがありませんが、事例を拾ってみると出土地が意外とあるんです1️⃣
ただ、“古墳の姿” が見えない……💧
船橋砂州のもの2️⃣には、下総系(下段は下総型)が目立つ。でも、資料館展示の人物頭部は異系統…🤔#はにわの日 https://t.co/l9FLGsayeE pic.twitter.com/ZQhxYbyOkb
この機関車は日本国有鉄道(国鉄)の貨物列車をひいて、35年間はたらきました。たくさんの型の蒸気機関車がつくられたなかで、D-51型はいちばん多い1115両つくられました。
D-51型は「デゴイチ」ともよばれていました。
【経歴】
1938(昭和13)年7月22日 日立製作所で製造。
1938(昭和13)年7月31日 東京鉄道管理局 新鶴見機関区に配置。
1944(昭和19)年8月19日 名古屋鉄道管理局 静岡機関区に配置。
1949(昭和24)年9月16日 名古屋鉄道管理局 中津川機関区に配置。
1973(昭和48)年6月14日 広島鉄道管理局 長門機関区に配置。
1973(昭和48)年11月11日 船橋市郷土資料館 に搬入、設置工事。11月30日 廃車登録。12月18日 設置工事完了。
1982(昭和57)年3月25日 屋根新設工事完了。
全走行距離 2,475,048.5km
地球を約62周まわったことになります。また地球と月の間を3回と4分の1ほど往復するだけの距離を走ったことになります。
市指定文化財(史跡) 昭和43(1968)年12月19日指定 管理者船橋市
(ならしのちめいはっしょうのち つけたり めいじてんのうちゅうひつのところのひ)
現在の船橋市習志野台(ならしのだい)・習志野付近一帯は、かつて、大和田原(おおわだばら)あるいは正伯原(しょうはくはら)ともいわ れ、江戸時代には幕府の牧(馬の放牧場)の一部でした。その後、明治7(1874)年から昭和20(1945)年までは陸軍の演習場でした。
明治6(1873)年4月29日、明治天皇は徳大寺宮内卿・西郷隆盛・篠原国幹ほか多くの供奉者を従え、薩摩・長州・土佐の兵からなる四個大隊2800人の近衛隊を率いて、県下に初めて行幸(ぎょうこう)されました。午後には船橋宿九日市村に到着し、櫻屋で昼食をとられました。その夜は荒天にもかかわらず、演習地の幕舎に野営されました。
翌30日は近衛兵の演習をご覧になり、5月1日皇居へ還御されました。同13日天皇より勅論(ちょくゆ)をもって、この原に「習志野ノ原」の名を賜わり、その後、陸軍の演習場として定められました。これが現在の「習志野」の地名の由来です。
この碑は仙台石製で、大正6(1917)年に明治天皇が演習を統監された場所(船橋市習志野台四丁目431の3)に建てられましたが、平成6年6月に現在の場所に移転しました。碑文には地名を賜わった由来が記されています。
- 習志野地名発祥の地 附 明治天皇駐蹕之処の碑|船橋市公式ホームページ
- 習志野原と軍隊|船橋市立薬円台小学校|船橋市公式ホームページ
- 習志野原の変遷|船橋市公式ホームページ
- No.98 平成19年6月1日号 習志野の地名1 諸説ある習志野の由来M/習志野市ホームページ
- 千葉の風景・行事|館蔵美術品紹介(絵画)|デジタルミュージアム|千葉県立中央博物館





