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桜山窯跡群 東松山市桜山台

東松山市指定史跡 「はにわの丘・桜山窯跡群」を訪れた。越辺(おっぺ)川とその支流の九十九(つくも)川に挟まれた、南比企丘陵の東端の南向きの斜面に位置する。日本住宅公団首都圏開発本部が東松山市高坂地区で実施した区画整理方式による住宅開発事業に先立ち、昭和50〜53年度に埼玉県教育委員会が記録保存のための発掘調査を実施した。昭和51年(1976年)度に桜山窯跡群の北側に位置する桜山古墳群13基(北群5、南群8)、住居跡6軒(弥生時代後期3、古墳時代後期3)、若干の土壙(時期不明)を調査(文献[1])、昭和52年度(1977年4〜9月)に桜山窯跡群19基(須恵器窯跡2、埴輪窯跡17)、工房跡3軒を調査(文献[2])、桜山窯跡群は遺跡公園として整備・保存された。

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市指定史跡「桜山窯跡群

昭和62年4月1日指定

桜山窯跡群は、南比企丘陵の物見山(標高135m)から南東に延びる尾根の東端斜面に立地しています。

昭和55年の発掘調査によって、この窯跡群では、須恵器と呼ばれる青灰色の高温度(約1200度)で焼かれた硬い焼き物及び、古墳に並べて祭るために使用された人物・馬形埴輪・円筒埴輪などを製作した遺跡であることがわかりました。

今から約1450年前(古墳時代後期)につくられた須恵器の窯跡2基、埴輪の窯跡17基、住居跡が3軒発見され地域の大きな話題になりました。県内で発掘された須恵器窯としては最古に属するものであり、埴輪窯跡と共に古代の窯業生産と製品の流通を知る上で貴重な遺跡であることから、遺跡公園として整備・保存して後世に伝えることになりました。

須恵器の窯跡は、斜面に沿って地面を船底状に長さ7m、幅1.5〜1.8m、深さ1mほど堀りくぼめて、その上に天井部を掛ける半地下式のなり窯です。窯の低い方に焚き口、高い方に煙り出し(煙道)を設けて、カマボコ型に天井部がつくられました。窯跡の全体が高温のため硬く焼き締まっていました。埴輪の窯跡は、全長4〜5m、幅1〜1.5m、深さ1.2m程で須恵器窯に比べてやや規模が小さく、埴輪を焼く温度(約800度)も低いことが特徴です。須恵器窯のように一基ずつ単独のものもありますが、一度壊した窯のくぼみを再利用して連続的に埴輪を焼くため、手のひらを広げたように窯跡が残りました。

埴輪は多量に生産されました。

住居跡は窯跡群より一段高い平坦地で北西側に位置し、一辺3〜5.8m、深さ0.3m程の方形で、煮炊きや暖をとるカマドが設けられています。埴輪づくり職人の工房跡とみられ、材料となる粘土や道具を保管していたとみられます。

埴輪の供給先は、坂戸市北峰古墳群・東松山市附川古墳群などの周辺部を中心に、やや誰れた吉見町(三ノ耕地遺跡)などの古墳群に供給されました。須恵器は東松山市周辺の遺跡から出土しています。出土遺物は、県立埋蔵文化財センター(大里村)に収蔵・保管されています。

平成14年3月 東松山市教育委員会

文献

  1. 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1981 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書2:桜山古墳群』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
  2. 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1982 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書7:桜山窯跡群』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
  3. 財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2006 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書323:杉の木遺跡』財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団

文献[1]より
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文献[2]より
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文献[3]より

桜山窯跡産の埴輪は、開窯初期の段階では、荒川流域や埼玉古墳群など広域に供給されたが、6世紀後半には近隣古墳群が供給主体の「地域密着型の埴輪窯」として、比企・入間地域の埴輪需要を支えた。北峰古墳群出土の桜山窯跡産の円筒埴輪や人物埴輪。
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高坂二番町遺跡の1号古墳跡から出土した円筒埴輪。桜山窯跡群で製作されたものと推定される。
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内側のバッテンの印が桜山窯跡群で製作された円筒埴輪の特徴の一つ。
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東京都中野区の遠藤山遺跡1号墳出土の円筒埴輪は「内面口縁部にX印」で「粘土の特徴から、埼玉県比企地方で製作されたもの」とのこと。

埼玉県立さきたま史跡の博物館で展示された埼玉5号墳出土の円筒埴輪の内側に「×」の線刻
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