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遠見山古墳 前橋市総社町総社

総社古墳群で墳活。5基目は、遠見山古墳。文献[4]によれば「墳丘長87.5m、後円部径52.5m、前方部幅58.0mの2段築成の前方後円墳に復元される。」

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遠見山古墳

長さ80mほどの前方後円墳で、墳丘は前方部が低く、埴輪破片が多く出土している。堀の土層の状態から六世紀初頭ごろの築造と推定される。後円部の中ほどは構築当時より削平され若干低くなっているが葺石が多く見受けられ、周囲に10〜20m幅の堀の跡が確認された。遠見山の名称は慶長9年(1604)総社城の築造の時、遠見のための櫓が設置されていたことから名付けられたと考えられる。

平成8年3月吉日 総社地区史跡愛存会

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前橋市指定史跡 遠見山古墳(とおみやまこふん)

指定年月日 平成22年3月29日

所在地 前橋市総社町総社甲1410、乙1410

利根川右岸の総社町から大渡町にかけて広がる総社古墳群の中で最も古い時期の古墳である。墳丘の一部は削平されていることが判明したが、周堀及び南西コーナーが確認された。また、周堀の最下層からは、6世紀初頭の榛名二ツ岳火山灰層が確認され、埴輪片も検出された。墳丘約70m、周堀まで含めると全長100m以上の大型の前方後円墳であったと推定される。総社古墳群を築造した豪族は、ヤマト政権との深いつながりを持つ有力豪族であったと推測されており、5世紀後半から急速に力をつけ、この地域一体を支配した豪族の勢力拡大過程 や総社古墳群の成立を解明する上で極めて重要な古墳である。

前橋市教育委員会

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文献

  1. 前橋市教育委員会 2020 『総社古墳群範囲内容確認調査報告書』前橋市教育委員会
  2. 前橋市教育委員会事務局文化財保護課 2022 『6:東国の雄 総社古墳群』前橋市教育委員会事務局文化財保護課
  3. 前橋市教育委員会 2023 『総社古墳群範囲内容確認調査報告書』前橋市教育委員会
  4. 前橋市教育委員会 2023 『総社古墳群総括報告書』前橋市教育委員会

 

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