




史跡上野国佐位郡正倉跡(こうずけのくにさいぐんしょうそうあと) 八角形倉庫(はっかくけいそう)
八角形倉庫は約1200年前に造られた建物で、2005年にこの小学校の校庭から見つかったよ。高床式倉庫で壁は校倉造なの。東大寺正倉院と同じ造り方をしているよ。
校舎の絵は、実際の大きさで描いたもので、連物の高さは、12.88mあるよ。3階建ての校舎と同じくらいの大きさだよ。とても立派な建物だから、古代佐位郡の象徴として建てられたと考えられるよ。
床面積は約182㎡、畳だと110枚分くらい、自動車なら12 台くらい停められる広さだよ。 税として納められた米をしまっていたよ。
地面から床までの高さは、2.4mもあるんだ。柱は直径69cmもあるよ。自動車のタイヤくらいかな。柱は44本あったよ。
2016年3月29日 伊勢崎市教育委員会


国指定史跡 上野国佐位郡正倉跡(こうずきのくにさいぐんしょうそうあと)
指定日 平成26年10月6日
指定面積 89,300.31㎡
今から1,300年ほど前の奈良・平安時代、伊勢崎市の大半は上野国佐位郡と呼ばれていました。郡には郡役所が設置されていました。「上野国佐位都正倉跡」は古代佐位郡の役所で、正倉と呼ば
れる、税として集めた米を保管する施設跡のことです。
史跡周辺は三軒屋遺跡として広く知られていましたが、平成17年に、全国で初めて八角形倉庫跡が 確認され、国司が交代する時の引継ぎ文書である「上野国交替実録帳」に記載された建物と一致したことから、遺跡の一部が「上野国佐位都正倉跡」として国史跡に指定されました。
この正倉跡は、幅3mを超える大きな溝で囲まれ、6万㎡を越える広大な敷地をもっていることが明らかとなり、そこからは60棟以上の倉庫や工房、防火施設跡などが見つかりました。佐位都正倉跡は古代国家の地方統治を考える上で極めて重要であり、我が国を代表する官衙(役所の意)遺跡です。

佐位郡衙正倉八角形建物(さいぐんがしょうそうはちかっけいたてもの)
伊勢崎市の大部分は、古くは佐位郡と呼ばれていました。郡には当時の役所である郡衙が置かれていました。殖蓮小学校の周辺に広がる三軒屋遺跡から、役所が税として集めた米を保管するための正倉と呼ばれる奈良時代の建物跡が見つかっています。校庭からも、正倉である八角形の建物跡が全国で初めて発見されました。その大きさは東西14.7m、南北14.4m、床面積182㎡とひときわ大きく、正倉の中でも中心的な建物と考えられます。八角形の建物は法隆寺夢殿など特別に造られたもので、たいへん貴重なものです。
当時の様子が書かれている『上野国交替実録帳』には、佐位郡に「八面甲倉(八角形の倉)」があったこ とが書かれ、八角形の建物跡と一致したことから、この遺跡は佐位郡衙の正倉跡であると考えられます。
平成18年8月8日 伊勢崎市教育委員会