下侍塚古墳を再訪した。








国指定史跡 下侍塚古墳 (しもさむらいづかこふん)
下侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、那須地方の6基の前方後方墳のなかでは上侍塚古墳に次ぐ規模である。
本墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀の命により小口村(那珂川町小口)の庄屋であった大金重貞らが上侍塚古墳とともに発掘調査を行なっている。鏡・鎧片・鉄刀片・大刀柄頭・土師器壺・同高坏などが出土したが、これらは、絵図にとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、埋め戻している。
さらに墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどの保存整備も行なわれた。これら調査と調査後の遺跡の処置は、日本考古学史上特筆されるものである。
昭和50年には土地改良事業にともなう周濠調査が湯津上村教育委員会により行なわれた。その結果、古墳の規模、周濠の形状や葺石などが確認され、墳丘から崩落したと考えられる土師器壺などが出土している。
古墳の築造は、出土遺物や墳形の特徴などから4世紀末頃(古墳時代前期)と考えられている。
墳形 前方後方墳 全長84.0m
後方部 長さ48.0m 幅48.0m 高さ9.4m
前方部 長さ36.0m 幅36.0m 高さ5.0m

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