下小坂古墳群のどうまん塚古墳は、文献[1][2]で、径25.5m以上の円墳、組合せ式木棺をロームの棺床上に設置した木棺自葬で乳文鏡、大刀、挂甲などが出土とされる。文献[1]では現況「△」(消滅)とされているが、北久保古墳のすぐ近くにそれらしい墳丘(?)があるとのことで、少し離れた位置から撮影した。埼玉県埋蔵文化財情報公開ページから川越市の遺跡地図で確認しようとしたが、現在調整中とのことで確認できず。残念。埼玉県立歴史と民俗の博物館に道満塚古墳出土の砥石と馬具(剣菱形杏葉、楕円形鏡板付轡、素環鏡板付轡)の複製が展示されているが撮影禁止(原資料:國學院高等学校)。1963年に國學院高等学校が調査したようだ。




文献
[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会
坂戸市の「大古墳展Ⅱ」のパネルをみると、上記の「北久保古墳のすぐ近くにそれらしい墳丘(?)」は、どうまん塚古墳の位置とも、その隣の古墳の位置とも一致しない。また、「大古墳展Ⅱ」のパネルの説明では、古墳時代中期後半に大谷川右岸に集落が形成され、古墳時代終末期まで約300年間存続し、「土器づくり」を主な生業(なりわい)としたムラで、比企入間地域の赤い塗料(ベンガラ)が塗られた土器の製作拠点の一つで、このムラの南側に彼らのリーダー(在地首長層)の墓域「下小坂古墳群」が広がっているとのこと。
