渡辺と中野の往復書簡(一九四九年三月『展望』)における核心的なくだりは、「歴史的必然」(史的唯物論)をめぐる部分である。中野はこう書いている。
あなたは、「人間が機械や制度やイデオロジーや或は神の奴隷となり道具となって、死闘して、必然性に即した人々が生き残るというのが、ルネサンス以後人間の獲得した人間解放の結末ならば、またそれがまた歴史的必然であるならば、私の主張の如きは、正に甘いも甘い大甘な反動言辞となるであろう。」と書いています。しかしそれならば、それは、「ヒューマニズムとは――ルネサンス期の宗教改革、十八世紀のフランス革命、産業革命、十九世紀の共産党宣言を一貫して流れる人間の最も人間らしい懸命な努力である。」としたことと文法的に食いちがって来ぬでしょうか。「前にも言ったように、機械となるのが近代人の結末であるならば、瞑目し観念するより外にない。」というこの「ならば」にわたしは無理があると思うのです。
あなたは、「このような虫の良い註文は恐らく、無意味なのであろう。」という風にいって、自分の断定をただ「弱虫のエゴイストの思いこみ」に過ぎぬという風に書いています。正当な、もしいうならば辛い主張をば、「私の主張の如きは、正に甘いも甘い大甘な反動言辞となるであろう。」という風に書いて、そのため、その前提となった「人間解放の結末ならば」、「歴史的必然であるならば」の「ならば」が、仮定として成り立つかどうかをしらべる方の仕事はほうり出されていると思います。それはここで十行ほど飛ばしていえば、あの「人間の最も人間らしい懸命な努力」にたいするあなた自身の評価の否定ということになり兼ねぬのではないでしょうか。
わたし自身はペシミスティックな人間の一人です。こう書くわたしをあなたが笑わぬだろうとわたしは思います。しかしわたしは、「懸命な努力」は根本的にオプティミスティックなものだと思います。ただわたしがお訊きしたいのは、あなたにああいう「ならば」を書かせたようなことが、あなたの日常の見聞として沢山あるのではないか、ことに日本の共産主義者の言動にあるのではないかということです。あるならばそれを聞かせてほしいと思います。
ここまで書いて来て、わたしは、あなたのあの「ならば」が、あなたのいわゆる「新しい『中世』」の破壊、殺しあいにたいする、また「必然」ということをそういう方向で黙認しようとする流れにたいするあなたのシニシズムかとも思って来ましたが、書けば長くなりそうですからそれは止めにします。わたしは、あなたの文章の力点が、文法的にあのへん、ペシミスティックなあたりへ行くことを恐れるのです。(『五つの証言』トーマス・マン 渡辺一夫、中公文庫所収)
例によってうねうねと続く書きぶりで、それを感触として伝えようと長く引いた。あえて要約すれば、「歴史的必然であるならば」において、「ならば=仮定」が「成り立つかどうか」という問題だろう。ことは「歴史的必然」の「奴隷となり道具となって」行使される暴力(殺し合い)の問題である。中野に言わせれば、「歴史的必然」は「仮定=ならば」という「問い」が無効だからこそ「必然」なのだ。「歴史的必然」は「必然」なのだから、その実現に向けて「懸命の努力」が行なわれるのは当然であって(したがってそれは、「根本的にオプティミスティックなもの」だ)、それに対して「機械」や「道具」、「奴隷」になるという発想自体が「ペシミスティックな」ものである。だが、渡辺は、もはやその「必然」に懐疑的になっているのだ。
〔・・・〕「歴史的必然」を「ジャングルの掟」たらしめざることにこそ人間の切ない営みがある、ということでした。ただ放置したままでいますと、ジャングルの掟は常に「必然」として人間社会に君臨するものでしょうから、それに逆いそれを修正すべきであります。〔・・・〕私が「歴史的必然を甘受」すると申した場合には、「ジャングルの掟」の修正を試みつつもこれをなし得ぬ時の現実は現実だというぐらいの意味でありますが、肯定はいたしませぬ。生きる限り、「修正の試み」はなされ続けねばならぬと思っています、不断の抵抗を意味します。
「修正」という語が多用されているが、まさに「修正」主義である。渡辺にすれば、「歴史的必然」が「個別的な殺人や大量屠殺」に帰結するならば、それは「回避されねばな」らないのだ。「相手を殺さねばならなくなるところまで追いこまれた人間は、必ず野獣に化します。こういう追いこまれるような場合を、先ず何よりも第一に回避せねばならぬのです」。これが先に見た、ソ連・スターリンを「硬化」に追い込む異端の、それとパラレルに捉えられる元々異端だったカルヴァンが「独裁者=野獣」になっていく過程そのままであることは言うまでもない。
中野と渡辺の往復書簡は、一九四九年の年始に行なわれた(『展望』一九四九年三月)。スターリン批判以前だが、ジイド『ソヴィエト紀行』(一九三六年)やトロツキー『裏切られた革命』(一九三七年)などによって、すでにソ連が「硬化」していることはある程度知られていた。
一九四七年から「愛される共産党」による「地域人民闘争」に転じた国内の共産党は、中野と渡辺の往復書簡が交わされた四九年の総選挙では大幅に議席を伸ばした。だが、翌一九五〇年一月にソ連=コミンフォルムから、「愛される共産党=平和革命論」がアメリカ占領軍のイデオロギーではないかと批判され、それを受けて共産党は主流派=所感派と国際派とに、いわゆる「五〇年分裂」を引き起こしていくことになる。周囲に目を転じれば、一九四八年に朝鮮民主主義人民共和国が、四九年に中華人民共和国が成立し、東アジアは「冷戦」の戦場であり、すなわち東アジア同時革命のリアリティを増していた。そのような状勢において、ソ連=コミンフォルムからすれば、「愛される共産党」による「平和」革命論など単なる日和見、占領軍への隷属にしか見えなかっただろう。五〇年の朝鮮戦争を契機に、ソ連が日本共産党に武装闘争への転換を求めたゆえんである。中野と渡辺の往復書簡は、このような世界情勢を背景に行なわれた。
往復書簡が、「歴史的必然=史的唯物論」という共産党の公式をめぐる対立でありながら、「論争」にまで発展しなかったのは、二人とも「転向」者だったからだろう。このことは、往復書簡の少し前から取り交わされていた、中野と平野謙や荒正人ら「近代文学」派とのいわゆる「政治と文学」論争を想起させる。この論争は、今振り返ると奇妙な論争だった。争点はまさに「人間性」(ヒューマニズム=ユマニスム!)であった。「近代文学」派は、プロレタリア文学の「政治の優位性」論には「人間性」が欠如していると批判した。「政治=非人間性」と「文学=人間性」の序列を逆転させ、むしろ後者の優位を主張したのである。それに対して、中野は「近代文学」派の言う「人間性」は果たして「人間性」といえるかと反論した。
この論争における中野の獰猛ぶりは有名である。
しかし彼らは正しいか。また美しいか。人間的な文学を育てようとする、あるいは文学を人間的に育てようとするというその批評は批評自身人間的であるか。反対のように私には見える。彼らは正しくない、あやまっている。彼は美しくない、みにくい。彼らは批評そのものにおいて非人間的である。私はそう思う。(「批評の人間性 一」
私が平野や荒を「目的のためには手段をえらばぬ」下司だと言ったのは、「威丈高に下司呼ばわりするほどにも『人間的』に高潔で清浄な中野重治」などという平野手製の極印に対してではない。弱点にみちた、ともすれば平野あたりにも一ぱい食いかねぬわれわれ平凡人のレベルからみて下司だといったのである。(「批評の人間性 三」一九四九年)
この中野の野蛮の異様さは、江藤淳をも驚愕させた。「文人が文人に対して浴びせかけた悪罵・嘲笑のなかで、かくも激烈なものはおそらく他に類例がない。だが、果して中野重治のこの憤激は、いかなる言語空間から発語されているのだろうか?」(『昭和の文人』一九八九年)
なぜ、中野は、平野や荒をこんなにも異様な叩き方で罵倒したのか。それは、江藤の言う「詩人の怒り」というより、中野が蔵原惟人や宮本顕治の「代理」の言葉を語ろうとしたからではないのか。転向者による「非転向」者の「代理」の言葉であることを覆い隠そうと、過剰に「非人間」的たろうとしたのではなかろうか。平野や荒の本当の「敵」は、蔵原や宮本、あるいは小林多喜二だった。「非人間的=政治的」な彼らに比べれば、中野ははるかに「人間的=文学的」だった。「政治と文学」論争が曖昧なまま収束したゆえんである。異端の「優位性」を主張した吉本隆明「転向論」は、いわば「異端」者同士の両者の論争を止揚した形になったわけだ。
「歴史的必然」の「必然」性が問われた中野と渡辺の往復書簡も、この「政治と文学」論争とほぼ同様な歴史的文脈にあったといえる。それは「政治と文学」論争の一バージョンだった。そして、吉本「転向論」同様、大江の「回心=転向」論が、大江がともに敬愛する中野と渡辺の「対立」を止揚したのである。
(続く)