黒船が来航し、長く続いた太平の世から列強の脅威にさらされた日本。
時代は急激に動き出し、国の独立を守るため、日本の近代化が進められました。
小栗上野介忠順。
幕末に日本の近代化に貢献した人物ですが、その名を知る人は少ないかも知れません。
2027年のNHK大河ドラマは、この小栗上野介忠順にスポットを当てた「逆賊の幕臣」です。
はたして、どのような人物なのでしょうか。
(大河ドラマ「べらぼう」は明日で最終回ですが、「逆賊の幕臣」は来年でなく、再来年ですからね😄)
目 次
小栗上野介忠順
美しい薔薇の花と護衛艦の姿を望むヴェルニー公園(横須賀市)。
(2021.5.19撮影)

幕末に幕府の要請により、横須賀製鉄所(造船所)の責任者として来日したフランス人造船技師のフランソワ・レオンス・ヴェルニーの名を冠した公園です。

公園の一角に、ヴェルニーと並んで一人の武士の胸像が建てられています。

それが、「小栗上野介忠順」です。

三河小栗氏第12代当主。勘定奉行など幕府の要職を歴任しました。
黒船来航
ペリー率いる黒船が、江戸の喉元の横須賀・浦賀沖に現れたのは1853年(嘉永6年)のこと。
幕府はペリー一行の久里浜上陸を認めました。
(神奈川県立歴史博物館デジタルアーカイブから借用)

そのときに、アメリカ合衆国大統領からの開国を求める親書が渡されました。
開 国
そして翌年の1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結され下田と函館が開港しました。
通商は拒否するものの、物資を補給するための寄港などは認めるというもので、長く続いた鎖国は終わり、日本は開国しました。
欧米列強の植民地獲得競争が東南アジアや中国にも及んでいた時代です。
その4年後の1858年(安政5年)に、神奈川沖・小柴に停泊中のポーハタン号艦上で、日米修好通商条約が調印されました。
これにより横浜・長崎・新潟・兵庫・函館が開港し、貿易などが行われることとなりました。
万延元年遣米使節団
日米修好通商条約の批准書を交換するため、1860年(安政7年)、アメリカに派遣されたのが、「万延元年遣米使節団」です。
開国後、最初の公式訪問団で、正使は新見正興、副使は村垣範正、目付には小栗忠順が選ばれ、総勢77名が、ポーハタン号で太平洋を渡り、ワシントンへと向かいました。
(万延元年遣米使節子孫の会HPから借用)(出典 講談社発行 宮永孝著「万延元年遣米使節団」)

小栗を最初に取り立てたのは、大老・井伊直弼だといわれます。
小栗は遣米使節として西洋文明を目の当たりにし、外国に飲み込まれない近代国家づくりを急ぐ決意をしたとされます。
日本の近代化
列強が軍事力を背景に他国の独立を脅かす時代。
遣米使節を務めた小栗は、日本の近代化を急ぎます。
横須賀製鉄所(造船所)の建設や洋式軍隊の整備をはじめとした日本の近代化政策を推し進めました。
しかし、大政奉還後に、薩長との主戦論を唱え、1868年に捕縛され、斬首となりました。
逆賊の幕臣
新しい国の形をデザインした江戸幕府の天才「小栗忠順」
しかし、明治新政府に「逆賊」とされ歴史の闇に葬られました。
近年の研究では、“時代遅れな江戸幕府が明治維新で倒れ、日本はようやく近代を迎えた”という歴史観は、もはや過去のものとなっています。
明治の政治家・大隈重信は、明治政府の近代化政策のほとんどは小栗の模倣だったと語ったといいます。
そして、司馬遼太郎が勝海舟と並べて「明治の父」と呼んだ人物。
「逆賊の幕臣」は、「小栗上野介忠順」にスポットをあて、幕末史のウラ側に迫るそうです。
主演は、若手演技派俳優「松坂桃李」さん
(日曜劇場「御上先生」(2025.1-3放送)から借用)

楽しみです。