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「平塚宿」(平塚市)~東海道五十三次7番目の宿場町

江戸・日本橋を起点として、京都・三条大橋までの487.8㎞に53の宿場が設けられた東海道五十三次。

 

平塚宿は、日本橋から7番目の宿場町として栄えたところです。

 

東海道の宿場町は、往時の面影を残す場所がいくつかあります。

 

しかし、平塚は、戦前に海軍火薬廠があったため、米軍による平塚大空襲を受け、市内の主要部は焼け野原と化してしまいました。

 

そのため、当時の遺構はあまり残っていませんが、旧東海道から眺める高麗山(こまやま)など往時の景色と雰囲気を楽しめます。

 

歌川広重の東海道五十三次・平塚「繩手道」。

(国立国会図書館デジタルコレクションから借用)

丸い山が、高麗山です。

 

 

目 次 

 

平塚宿

平塚宿は、東海道五十三次のうち七番目の宿場です。

 

宿場の大きさは東西に約1.5㎞あり、道の両側に茶屋や旅籠などが軒を連ねていたといいます。

 

比較的小さな宿場で、旅人は戸塚・保土谷あるいは小田原宿で宿泊し、平塚宿は休憩地として利用されることが多かったようです。

 

それでは、JR平塚駅から旧平塚宿へ行ってみましょう。

 

駅前の平塚名物「都まんじゅう」の右側を進みます。

 

交差点で左折し、旧東海道に入ります。

 

日本三大七夕祭りの一つ「湘南ひらつか七夕まつり」が行われるメインストリート「湘南スターモール」です。

 

七夕祭りの竹飾りコンクール「特選」の常連の片野屋です。

 

まちかど広場です。

 

ひらつか市民プラザも七夕祭りで装飾されています。

 

道路を渡って、道の右側を進みます。

 

江戸見附跡

「平塚宿江戸見附跡」に到着です。

後ろに建っているのは、市の施設です。

 

各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、江戸側の出入口にあるものが「江戸見附」、京都側にあるのが「京方見附」です。

 

宿場跡を往く

それでは、平塚宿の「江戸見附跡」から「京方見附跡」まで、約1.5㎞を旧東海道に沿って歩きましょう。

高麗山が見えますね。

 

平塚宿脇本陣跡です。

脇本陣は本陣の補助的な役目をし、大名や公家の家来など、身分の高い人が利用したそうです。

 

和菓子屋さんがありました。

 

平塚宿高札場跡です。

高札場とは、幕府や領主による法令を書き記した「札」が掲示された場所です。

 

神奈川銀行が見えてきました。

 

ここに本陣があったようです。

本陣とは、大名や勅使などが休泊する大旅館をいいます。

 

途中で歩道橋に登ってみました。高麗山が正面に見えます。

 

消防団の建物がありました。

 

ここに問屋場があったそうです。

幕府の公用旅行者の荷物の運搬や馬の手配などをした場所です。

 

京方見附跡

京方見附跡に到着です。

正面で交差する道は、国道1号です。

 

反対側に回ると碑がありました。

 

春日神社

国道1号に出て、横浜方面に400mほど行ったところに春日神社があります。

 

旧東海道平塚宿の鎮守で、北条政子の安産祈願でも有名です。

 

平塚の塚

春日神社のすぐ近くにあるのが、「平塚の塚緑地」です。

 

平安時代中期、桓武天皇の子孫に当たる平政子という方が、京都から東国に下る途中に、この地で逝去されたそうです。

その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らだったそうです。

 

そのため、里人がそれを「ひらつか」と呼び、これが平塚の地名の由来となったそうです。

 

もちろん平塚の地名の由来は諸説ありますが、この説は、私は初めて知りました。

 

 

 

距離にしてわずか1~2㎞の東海道「平塚宿」。

 

当時の遺構はほとんど残されていませんでしたが、歴史に想いを馳せることができた道のりでした。

 

 




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