応仁の乱後、長く続いた群雄割拠の戦国時代も収束に向かい豊臣秀吉が関白となりました。
秀吉は、九州と四国を相次いで平定し、残るは関東と東北のみとなりました。
当時、関東に君臨していたのは、小田原城を本拠とする250万石を誇った北条氏です。
1590年、天下統一に向けて、豊臣秀吉率いる22万ともいわれる軍勢が小田原に攻め入りました。
小田原合戦の始まりです。
※史実には、諸説あるものが多く、記事の内容に間違いがありましたらご容赦ください。
目 次
北条五代
室町幕府政所執事であった備中(現岡山県)伊勢氏の出自といわれる北条早雲。
今川家の家督争いで功を挙げた早雲は、伊豆に領地を与えられ、その後、伊豆を手中にします。
関東を平定する野望を抱いていた早雲は、1501年、相模の守護大名であった大森藤頼から小田原城を奪い取り、相模国を平定しました。

早雲は、1518年に嫡男・氏綱に家督を譲り、氏綱は小田原城に拠点を移しました。

その子・氏康により関東が平定され、氏綱、氏康、氏政、氏直と早雲から数えて五代にわたり、最大石高250万石ともいわれる勢力を誇りました。
小田原合戦
長く続いた戦国時代を収束へと導いた豊臣秀吉は、1585年に関白になりました。
翌年は四国、翌々年には九州を平定し、西国をほぼ支配下におき、残るのは関東と東北のみになりました。
このとき関東に君臨していたのは、北条氏でした。
秀吉が関白になり、関東と陸奥国・出羽国における大名同士の戦いを禁じました。
そして、翌年、後陽成天皇を聚楽第に招いた際、全国の諸大名に列席を命じました。
しかし、北条氏政・氏直父子は上洛に応じませんでした。
さらに1589年、北条氏の家臣が真田氏の名胡桃城を奪うという事件が発生し、秀吉はさきの命令に反した行為みなしました。
こうしたことを背景として、1590年に豊臣秀吉率いる22万の軍勢が小田原に攻め入りました。
これに対し、北条氏は、小田原城に籠城し、約5万6千の兵で迎え撃ちました。

小田原城は、小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で囲んだ総構えと呼ばれる難攻不落の城といわれていました。
石垣山一夜城
秀吉は、小田原全体を見下ろせる笠懸山に総石垣の城を築き本陣としました。
城の周囲の樹木を一斉に伐採し、あたかも一夜のうちに城が出現したかのように装ったことから一夜城といわれています。
実際にはのべ4万人が動員され、約80日間が費やされた工事でした。
現在、一夜城があった場所は、国の史跡に指定され、「石垣山一夜城歴史公園」となっています。

旧城道東登口です。

南曲輪の石垣です。

公園内を登っていきます。

二の丸東側石垣です。

山を登っていきます。

二の丸跡です。

井戸曲輪です。
淀君化粧の井戸とも伝わります。

さらに山を登っていくと

天守台跡です。

物見台です。

小田原城が見えます。

どこにあるか分かりますか?
分かりませんよね🤔
ここです👇

秀吉が小田原城を包囲してから、約3か月後、北条氏は開城し、降伏しました。
四代氏政は切腹となり、五代氏直は高野山に追放され、北条五代の世は終焉を迎えました。
一夜城YoroizukaFarm
石垣山一夜城の駐車場の隣にあるのが、世界的パティシエの鎧塚俊彦さんが営む一夜城YoroizukaFarmです。

相模湾を一望する風光明媚な土地に、畑と地産地消を目指したレストランとパティスリー・ブーランジェリー・直売所を備えた新たなる第一次産業とのコラボレーションレストラン(公式HPより)だそうです。

ちょっと覗いたら野菜の直売やパンやケーキも販売しており、レジは一夜城より人が一杯いました。
ケーキをテイクアウトしようかとも思いましたが、結構、いいお値段なので、またにしました😄