幕末に外国の軍艦などから日本を防衛するため全国各地に造られた「台場」。
東京のお台場は有名ですが、神奈川にも「神奈川台場」が築かれました。
横浜開港後に竣工したため、一度も砲撃をすることはありませんでした。
しかし、開港したばかりの横浜港に出入りする船への外交上の礼砲や祝砲に重要な役割を果たしました。
神奈川台場跡は、その後の臨海部の造成により地中に埋められてしまいましたが、一部が復元され、当時の面影を垣間見ることができます。
現在、高層住宅などが林立するコットンハーバー地区に隣接する神奈川台場跡。
先日、神奈川台場跡を訪れ、開港当時の横浜の姿に想いを馳せてきました。
目 次
神奈川台場
神奈川台場は、勝海舟の設計で伊予松山藩により、1859年に着工し、横浜開港後の翌年に竣工しました。
現在のJR貨物の東高島駅(神奈川区)周辺の約2万6000平方メートルに設けられた扇形の台場には、砲台も築かれました。
しかし、竣工したのは横浜が開港した後であったため、外国の貴賓などが横浜港に出入りする際に祝砲や礼砲を上げるという外交儀礼を果たしました。
神奈川台場は、外国人居留地の廃止に伴い廃止され、臨海部の造成に伴い埋め立てられました。
現在では、復元された石垣の一部のみを見ることができます。
コットンみらいロード
先日、横浜市中央卸売市場にランチに立ち寄りました。
その後、「コットンみらいロード」を通って、コットンハーバー地区を抜けて神奈川台場跡へと向かいます。
中央市場通りから、コットンみらいロードに入ります。

コットン コットン コットン気分で~♪
(知らないかな…🙄)

数分の距離です。

タワーマンションがたくさんあります。

コットンハーバー地区
1932年に整備された横浜市神奈川区にある約20haの山内ふ頭。
横浜市中央卸売市場が開場するとともに、貿易の拠点としても活躍しました。
近年、高層住宅を中心とした「コットンハーバー地区」として再開発が進んでいます。
コットンハーバー地区の開発面積は、7.1ha。

地区の名称は、自然の風合いや手触り感のある心地よさをイメージした「洗いざらしの綿」という街づくりのコンセプトと近くにあった綿花町という町名に由来するそうです。

神奈川台場跡
神奈川台場跡がある星野町公園に到着です。

閑静な公園です。

一角に2009年、横浜開港150周年を記念して、遺構が復元されました。

「象の鼻」と呼ばれた波止場(現在の「象の鼻パーク」周辺)を船が出入りする際に祝砲や礼砲を交換するという役割を果たしてきました。

海に突き出した扇のような形状だったようです。

二本の取渡り道により海岸と接続され、周囲は西洋城郭様式の石積みで築かれたそうです。

神奈川台場の周囲を囲んでいた石垣の一部を復元したものです。

赤いラインの左側が台場、右側は海の中でした。

江戸幕府は、開港に当たり、東海道の要衝にあった神奈川宿を避け、100戸足らずの寒村であった横浜村を開港場としました。
あれから、160余年。
横浜は、国際港都として変貌を遂げました。
