2月に読んだ本は15冊。今月もまた映画鑑賞は滞り気味で、読書だけがサクサク進んだ。まだブログに書いていなかった分について、簡単に感想を書き記しておきます。
セルジョ・トーファノ 『おやつにキャベツ』(1920年)
『ぼくのがっかりした話』のトーファノによるコミカルな童話集。小さな失敗がやがて町中を巻き込んだ騒動に発展するお話『サクランボのような不幸の連続』『ケッコ、かわいそうなケッコ』『思慮深い判断』が面白かった。奇妙なタイトルは「その場にそぐわないもの」「不釣り合いなもの」を指すイタリア語の言い回しだという。
日野啓三『天窓のあるガレージ』(1982年)
学生の時以来の再読。解説によると本書はデビュー当時の作風からの転換点に当たるとのこと。故に異質な作風の作品が混在しているようで、表題作が浮いている印象を受けた。作者自身と思われる語り手が異国の文化に触れる話は今の自分の嗜好からすると描写が丁寧過ぎるというか、少し説明過多に感じる。80年代以降の都市小説を予告する表題作にしても、ベクトルは違えどやはり説明過多に感じる。それと風俗的な部分の古臭さは否めない。しかし実際に諸外国を旅する他の作品に比べて、普通の民家のガレージを舞台にした表題作の方が世界の広がりを感じさせるのはなぜだろう。ガレージに差し込む様々な光の様相の描写はとても好きだった。
ニコルソン・ベイカー『室温』(1990年)
ロッキング・チェアに座り、幼い娘にミルクを与える父親。彼のとりとめもなく移ろう視点と意識の流れを事細かに描写する。連想ゲームのような思考の変化と細部を際限なく深掘りしていく様子が独特のユーモアを醸し出す。何しろコンマとピリオドの違いに思いを巡らすだけで丸々一章使ってしまうのだから面白い。
「コンマは川に落ちて流れを部分的に堰き止める木の枝にも似て、目の動きに対して障害物となる感じがするが、ただの点にすぎないピリオドは、川底の冷たい小石のように、その上を文章がさらさらと流れ過ぎていきそうに思える。」
いろんなことを考える父の思考に映画ネタはあまり出てこなかった。しかし面白い例えにアーネスト・ボーグナイン、ピーター・ローレが出てくるので注目。
本書が初ベイカー。その作風は「日常の微細(ミクロな)な観察」だという。これは大いにアリだという手応えがあったので、他の作品も読んでみよう。
リン・マー『ブリス・モンタージュ』(2022年)
モンタージュ、というからきっと映画の話だろうと何の予備知識もなく手に取ってみた。衰退しつつある現代のアメリカで、居場所や故郷を失ったアジア系移民の女性を描く8篇。作者は中国出身・アメリカ在住の作家とのこと。どのエピソードもいわゆる短編小説らしいオチが無くて、主人公が奇妙な状況に宙づりになったままぷっつりと幕を閉じるのが不穏な後味を残す。大学の研究室のクローゼットの奥に異界が広がる『オフィスアワー』には何故か強烈な既視感があった。
トバイアス・ウルフ『兵舎泥棒』(1984年)
先に読んだ『いずれは死ぬ身』が良かったので、ウルフの長編作品を手に取ってみた。ベトナム戦争中、兵舎で出征を待つ三人の新兵が主人公。泥棒事件が起こり、兵舎に緊張が走る。ロバート・アルトマン『ストリーマーズ/若き兵士たちの物語』を思わせるシビアなドラマで、同時期の作品なので何か影響関係があるのかもしれない。戦友になり損ねた若者たちの無念とそれぞれの末路に胸が痛む。
トバイアス・ウルフ『危機一髪』(1994年)
ウルフのベトナム戦争従軍時代の回想録。原題は『ファラオの軍隊:負け戦の思い出』。ウルフは1945年生まれで、ティム・オブライエン(『本当の戦争の話をしよう』『カチアートを追跡して』)と同世代。ウルフもオブライエン同様に、生き残った者としてこれを書かずにはいられなかったのだろう。戦場のパートでは悲惨なエピソードが満載で、特に仔犬の話が辛すぎた。戦争反対・・・。
ロクデナシの父親との反目と和解のエピソードはこれぞアメリカ文学と言うしみじみとした良さがある。映画ネタでは、ルノワール『大いなる幻影』、ペン『俺たちに明日はない』が印象的に登場。戦場で『明日はない』ラストの流血場面の是非を口論するのだ。
宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(2025年)
大ヒットシリーズ第3作。大学生になった成瀬の縦横無尽の活躍を描く。このシリーズは基本ローカルなネタばかりなのに、登場人物たちの洋々たる未来と世界の広がりを感じさせるのがとても良い。本作もまた。つい娘の成長を見守る親の目線で読んでしまって涙腺が緩んだ。
アントニオ・タブッキ『時は老いをいそぐ』(2009年)
タブッキ晩年の短編集。戦争や国家権力に翻弄されながら、何とか生き延びた者たちの苦い郷愁の物語。『フェスティバル』はキシェロフスキ作品の脚本家クシシェトフ・ピェシェヴィッチに捧げられている。XのFF様が教えてくれたのだけど、装丁の写真はジョセフ・クーデルカ作品。チェコの亡命者で世界を捉え続けたカメラマンの作品となれば、正に本書のテーマにぴったりで、編集の一貫性を感じる。
「男は人生の風のことを考えた。ひとの生を誘う風というのがあるからだ。春に西から吹くそよ風、青春の熱風、その熱をさます冷たい北西風、強烈であたたかな南西風、それを打ちのめすシロッコ、凍てつく南西風とめぐっていくような。」
「風だ、と男は思う。ひとの生涯は風でできている。一陣の風と、それが過ぎ去ったあとと。わたしたちにしたところで、一陣の風以外のなにものでもない。」(『風に恋して』)
マリオ・レブレーロ『場所』(1982年)
見知らぬ部屋で目覚めた男が、迷路のような空間から脱出を試みる。ディッシュ『リスの檻』を思わせる冒頭から、中盤のサバイバル、終盤の市街戦まで、どこにも辿り着けない不安と恐怖に圧倒される憂鬱な傑作。ウルグアイ軍事政権下の閉塞感が色濃く反映しているのだろう。異常な状況を受け入れて脱出を諦めそうになるのが怖い。
チェーザレ・ザヴァッティーニ『ぼくのことをたくさん話そう』(1931年)
『ひまわり』『自転車泥棒』他ビットリオ・デ・シーカ作品の脚本家サヴァッティーニの小説。幽霊と死後の世界を旅するファンタジックなお話。死者や天使と繰り広げる珍問答は「死後コント」みたいな味わい。『ミラノの奇蹟』見直してみたくなった。
フリオ・コルタサル『対岸』(1945年)
コルタサルの初短編集。怪奇小説の定番素材を料理した『吸血鬼の息子』『魔女』、存在不安を揺さぶる『夜の帰還』『転居』『遠い鏡』、皮肉な味わいのSF『天体間対象』『星の清掃部隊』等13篇。野良猫のように部屋を訪れる「手」との交流を描く『手の休息所』の可愛らしさと怖さのブレンドは格別の味わい。
リチャード・ブローティガン『風に吹きはらわれてしまわないように』(1982年)
ブローティガン生前最後に発表された小説が改訳・改題されて復刊。(『ハンバーガー殺人事件』という珍妙な邦題だった)風に舞う塵のように名もない人々の声を聞き、そっと掬い上げて紡がれた大切な一冊。So the Wind Won't Blow It All Awayが祈りのようにいつまでも心に残る。