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『何だ?この、ユーウツは!!』2026春

  • T・E・N・T

 

 

 映画は時間の芸術なので、できれば途中で中断せず、2時間なら2時間という上映時間の継続を味わいたい。けれど、その2時間を確保するのが今の生活環境ではなかなか難しい。読書であれば通勤時間や寝る前の30分など、隙間時間に自分のペースで進められるが、映画はそうはいかない。日常の中でまっさらな自由時間を2時間も確保するのは、思っている以上にハードルが高い。

 

 そんな背景もあってしばらく映画館から足が遠のいていたら、何を見ればいいのかすらわからなくなってしまった。新作はサム・ライミにエドガー・ライト、リチャード・リンクレイター、特集上映ではクロード・シャブロルやポーランド暗黒SF特集など、心惹かれるラインナップはいくらでもあるのに、映画館へ向かう気力が湧いてこない。ならば自宅で何か観ようかと思っても、これがまた集中力が続かない。仕事終わりの深夜に観ているせいか、気がつけば意識が途切れていることもしばしばだ。

 

 これまでにも何度かこんな時期があった。小説を読んでも活字が頭に入ってこない。音楽を聴いてもただ騒がしいだけで心が動かない。映画を観ても映像が目の前を素通りしていくような感覚がある——。こういう“波”のようなものは、これまでの経験からしてしばらくすれば元に戻るだろうとは思っている。それでも、今はその浮上のきっかけが掴めずにいる。

 

 Xで「#自分を構成する9本の映画」「#あなたを作った小説家を教えて」等、楽しそうなタグを見つけたのだが、参加する元気が出なかった。いつもならあれこれ考えて楽しむのだけれど、全く頭が働かなくて、自分の不調を更に自覚することになった。

 

 そんなことをXで投稿したら、予想外に大きな反響があって戸惑った。同じような感覚を抱えた人がたくさんいるということと、それって鬱の症状じゃないのという指摘を受けて自分の不調の深刻さを認識することとなった。さてその原因はと考えると、落ち込むばかりだ。アタマの老化が原因ならば諦めもつくけど、それだけではないと思う。負担を強いられる仕事、長引く体調不良、政情不安、等々、気になることが多すぎるから、かもしれない。突破口を見出すため、これまで何度もそうしてきたように、出来ることを模索するしかない。PCに向かってこうして言葉を吐き出すことだけで憂鬱を乗り越えられるとは思えないので、何か別の手段で。

 

 ムーンライダーズの名曲『何だ?この、ユーウツは!!』が頭をよぎる。あの歌詞をこれまでになく切実に感じる。ちなみに、86年当時精神的に参っていた慶一さんを救ったのは、歌詞の中で献辞が捧げられているケイト・ブッシュとピーター・ゲイブリル(名曲『DON’T GIVE UP』のMVで抱き合いながら歌う2人)、そしてアーヴィング『ガープの世界』だったという。

 

 とりあえず、少しお休みします。

 

 

『ル・バル』(エットーレ・スコラ)

  • ジュヌヴィエーヴ・レイ=パンシュナ

 

 エットーレ・スコラ監督『ル・バル』(1983年)鑑賞。1930年代から1980年代まで、パリ下町のダンスホールを舞台に描くフランス現代史。男女の出会いと別れ、恋の駆け引きなど、市井の人々が織り成す悲喜こもごもを、台詞なし・音楽とダンスのみで描き出す実験作だ。

 

 正直演出はかなり泥臭く映る部分もあるものの、その素朴さが好ましい。元々舞台劇として上演され、そのキャストがそのまま映画に出演しているとのことで、華やかな映画スターとは違う、どこかくたびれた表情や風貌が生活感を醸し出していて味わい深い。

 

 ダンスホールに流れる音楽は、時代の推移とともに移り変わっていく。戦前のシャンソン、ナチ占領下に響く「リリー・マルレーン」、戦後にはラテン音楽やハリウッド・ミュージカルの影響、次第にアメリカナイズされてきてジャズ、50年代にはプレスリーとロックンロール、そして60年代にはビートルズ・・・。

 

 戦前・ナチス占領下・パリ解放後と、対独協力者が繰り返し登場するのが気になった。とりわけ、ナチス兵士と協力者が踊る場面は、映画のテーマそのものをひっくり返してしまいそうな、奇妙で強烈な迫力があった。あれもまた恋の鞘当ての一形態なのかな。

読書記録(2026年2月)

 2月に読んだ本は15冊。今月もまた映画鑑賞は滞り気味で、読書だけがサクサク進んだ。まだブログに書いていなかった分について、簡単に感想を書き記しておきます。

 

セルジョ・トーファノ 『おやつにキャベツ』(1920年)

 『ぼくのがっかりした話』のトーファノによるコミカルな童話集。小さな失敗がやがて町中を巻き込んだ騒動に発展するお話『サクランボのような不幸の連続』『ケッコ、かわいそうなケッコ』『思慮深い判断』が面白かった。奇妙なタイトルは「その場にそぐわないもの」「不釣り合いなもの」を指すイタリア語の言い回しだという。

 

 

 

日野啓三『天窓のあるガレージ』(1982年)

 学生の時以来の再読。解説によると本書はデビュー当時の作風からの転換点に当たるとのこと。故に異質な作風の作品が混在しているようで、表題作が浮いている印象を受けた。作者自身と思われる語り手が異国の文化に触れる話は今の自分の嗜好からすると描写が丁寧過ぎるというか、少し説明過多に感じる。80年代以降の都市小説を予告する表題作にしても、ベクトルは違えどやはり説明過多に感じる。それと風俗的な部分の古臭さは否めない。しかし実際に諸外国を旅する他の作品に比べて、普通の民家のガレージを舞台にした表題作の方が世界の広がりを感じさせるのはなぜだろう。ガレージに差し込む様々な光の様相の描写はとても好きだった。

 

 

 

ニコルソン・ベイカー『室温』(1990年)

 ロッキング・チェアに座り、幼い娘にミルクを与える父親。彼のとりとめもなく移ろう視点と意識の流れを事細かに描写する。連想ゲームのような思考の変化と細部を際限なく深掘りしていく様子が独特のユーモアを醸し出す。何しろコンマとピリオドの違いに思いを巡らすだけで丸々一章使ってしまうのだから面白い。

「コンマは川に落ちて流れを部分的に堰き止める木の枝にも似て、目の動きに対して障害物となる感じがするが、ただの点にすぎないピリオドは、川底の冷たい小石のように、その上を文章がさらさらと流れ過ぎていきそうに思える。」

 いろんなことを考える父の思考に映画ネタはあまり出てこなかった。しかし面白い例えにアーネスト・ボーグナイン、ピーター・ローレが出てくるので注目。

 本書が初ベイカー。その作風は「日常の微細(ミクロな)な観察」だという。これは大いにアリだという手応えがあったので、他の作品も読んでみよう。

 

 

 

リン・マー『ブリス・モンタージュ』(2022年)

 モンタージュ、というからきっと映画の話だろうと何の予備知識もなく手に取ってみた。衰退しつつある現代のアメリカで、居場所や故郷を失ったアジア系移民の女性を描く8篇。作者は中国出身・アメリカ在住の作家とのこと。どのエピソードもいわゆる短編小説らしいオチが無くて、主人公が奇妙な状況に宙づりになったままぷっつりと幕を閉じるのが不穏な後味を残す。大学の研究室のクローゼットの奥に異界が広がる『オフィスアワー』には何故か強烈な既視感があった。

 

 

 

トバイアス・ウルフ『兵舎泥棒』(1984年)

 先に読んだ『いずれは死ぬ身』が良かったので、ウルフの長編作品を手に取ってみた。ベトナム戦争中、兵舎で出征を待つ三人の新兵が主人公。泥棒事件が起こり、兵舎に緊張が走る。ロバート・アルトマン『ストリーマーズ/若き兵士たちの物語』を思わせるシビアなドラマで、同時期の作品なので何か影響関係があるのかもしれない。戦友になり損ねた若者たちの無念とそれぞれの末路に胸が痛む。

 

 

 

トバイアス・ウルフ『危機一髪』(1994年)

 ウルフのベトナム戦争従軍時代の回想録。原題は『ファラオの軍隊:負け戦の思い出』。ウルフは1945年生まれで、ティム・オブライエン(『本当の戦争の話をしよう』『カチアートを追跡して』)と同世代。ウルフもオブライエン同様に、生き残った者としてこれを書かずにはいられなかったのだろう。戦場のパートでは悲惨なエピソードが満載で、特に仔犬の話が辛すぎた。戦争反対・・・。

 ロクデナシの父親との反目と和解のエピソードはこれぞアメリカ文学と言うしみじみとした良さがある。映画ネタでは、ルノワール『大いなる幻影』、ペン『俺たちに明日はない』が印象的に登場。戦場で『明日はない』ラストの流血場面の是非を口論するのだ。

 

 

 

宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(2025年)

 大ヒットシリーズ第3作。大学生になった成瀬の縦横無尽の活躍を描く。このシリーズは基本ローカルなネタばかりなのに、登場人物たちの洋々たる未来と世界の広がりを感じさせるのがとても良い。本作もまた。つい娘の成長を見守る親の目線で読んでしまって涙腺が緩んだ。

 

 

 

アントニオ・タブッキ『時は老いをいそぐ』(2009年)

 タブッキ晩年の短編集。戦争や国家権力に翻弄されながら、何とか生き延びた者たちの苦い郷愁の物語。『フェスティバル』はキシェロフスキ作品の脚本家クシシェトフ・ピェシェヴィッチに捧げられている。XのFF様が教えてくれたのだけど、装丁の写真はジョセフ・クーデルカ作品。チェコの亡命者で世界を捉え続けたカメラマンの作品となれば、正に本書のテーマにぴったりで、編集の一貫性を感じる。

「男は人生の風のことを考えた。ひとの生を誘う風というのがあるからだ。春に西から吹くそよ風、青春の熱風、その熱をさます冷たい北西風、強烈であたたかな南西風、それを打ちのめすシロッコ、凍てつく南西風とめぐっていくような。」

「風だ、と男は思う。ひとの生涯は風でできている。一陣の風と、それが過ぎ去ったあとと。わたしたちにしたところで、一陣の風以外のなにものでもない。」(『風に恋して』)

 

 

 

マリオ・レブレーロ『場所』(1982年)

 見知らぬ部屋で目覚めた男が、迷路のような空間から脱出を試みる。ディッシュ『リスの檻』を思わせる冒頭から、中盤のサバイバル、終盤の市街戦まで、どこにも辿り着けない不安と恐怖に圧倒される憂鬱な傑作。ウルグアイ軍事政権下の閉塞感が色濃く反映しているのだろう。異常な状況を受け入れて脱出を諦めそうになるのが怖い。

 

 

 

チェーザレ・ザヴァッティーニ『ぼくのことをたくさん話そう』(1931年)

 『ひまわり』『自転車泥棒』他ビットリオ・デ・シーカ作品の脚本家サヴァッティーニの小説。幽霊と死後の世界を旅するファンタジックなお話。死者や天使と繰り広げる珍問答は「死後コント」みたいな味わい。『ミラノの奇蹟』見直してみたくなった。

 

 

 

フリオ・コルタサル『対岸』(1945年)

 コルタサルの初短編集。怪奇小説の定番素材を料理した『吸血鬼の息子』『魔女』、存在不安を揺さぶる『夜の帰還』『転居』『遠い鏡』、皮肉な味わいのSF『天体間対象』『星の清掃部隊』等13篇。野良猫のように部屋を訪れる「手」との交流を描く『手の休息所』の可愛らしさと怖さのブレンドは格別の味わい。

 

 

 

リチャード・ブローティガン『風に吹きはらわれてしまわないように』(1982年)

 ブローティガン生前最後に発表された小説が改訳・改題されて復刊。(『ハンバーガー殺人事件』という珍妙な邦題だった)風に舞う塵のように名もない人々の声を聞き、そっと掬い上げて紡がれた大切な一冊。So the Wind Won't Blow It All Awayが祈りのようにいつまでも心に残る。

 

 

『夜の大捜査線』(ノーマン・ジェイソン)

  • シドニー・ポワチエ

 

 何か「対話」のある娯楽映画を見たくて、ノ-マン・ジェイソン監督『夜の大捜査線』(1967年)鑑賞。大昔TVの吹替洋画劇場で見て以来の再見。

 

 1960年代、差別が根強く残るアメリカ南部の町が舞台。敏腕黒人刑事(シドニー・ポワチエ)が、地元の横暴な白人署長(ロッド・スタイガー)と対立しながら殺人事件の真犯人を追う。

 

 社会派サスペンスとして評価の高い本作、改めて見ると「大走査線」とタイトルに謳うようなスケール感や犯罪映画としての迫力はない。原題「IN THE HEAT OF THE NIGHT」の方が映画のムードを的確に言い表しているようだ。愚かしい人間模様が主体のドラマで、記憶よりもずっと小ぢんまりとした映画だった。登場人物たちの剥き出しの人間臭さが一番の魅力で、パターン通りの展開とはいえ、スタイガー演じる署長の孤独と逡巡、2人が出来得る限り精一杯歩み寄る姿にはやはり胸を打たれる。人種偏見に晒されながら毅然とした態度を貫くポワチエはやはり格好良い。後にシリーズ化されたのも納得。

 

 脇にはウォーレン・オーツ、スコット・ウィルソン、アンソニー・ジェームズ、マット・クラークら後に70年代アクション映画に色を添えるイイ顔が揃っている。特に地元警官役ウォーレン・オーツの突っ込みどころ満載の間抜けなキャラクターが楽しい。

 

 脚本は『タワーリング・インフェルノ』『ポセイドン・アドベンチャー』の二大パニック映画で有名なスターリング・シリファント。『センチュリアン』『マーフィの戦い』『キラー・エリート』といった気の利いた活劇もシリファントの仕事だ。音楽はクインシー・ジョーンズ。レイ・チャールズによる主題歌がムードたっぷり。撮影ハスケル・ウェクスラー、編集ハル・アシュビーとニュー・ハリウッド期に活躍するスタッフがバックアップしているのも目を惹く。

 

 

『綱渡りの男』(エリア・カザン)

  • フレドリック・マーチ

 

 エリア・カザン監督『綱渡りの男』(1953年)鑑賞。タイトルからしてサーカスの話(『地上最大のショウ』とか、ジョン・ウェイン主演の『サーカスの世界』みたいな)を想像していたら、チェコスロバキアのサーカス団が、共産圏の抑圧から逃れ自由を求めて亡命を企てるサスペンス活劇だった。ほとんど予備知識なく見たのが良かったのか、驚くほど面白かった。

 

 個性的な団員たち、ライバルサーカス団の団長との共闘、若い恋人たちの水辺でのラブシーン、密告者の正体など、隅々まで面白い。サーカスの芸を随所に盛り込んでいるのが異色で、慰問のパレードを装って白昼堂々と国境の検問突破に挑むクライマックスは最高に盛り上がる。本作や『暗黒の恐怖』『影なき殺人』等、ノワール、サスペンスジャンルにおいても確かなカザンの演出力を堪能することができた。

 

 主演は『我等の生涯の最良の年』のフレドリック・マーチ。サーカス団と亡命計画をまとめる頼りになるリーダーであり、舞台ではピエロという意外性が面白い。主人公の妻役はグロリア・グレアム。1953年作ということはフリッツ・ラング『復讐は俺に任せろ』と同時期か。『復讐は俺に任せろ』同様に、最初は添え物のように出てきて、後半ぐんぐん存在感を増して、最後はまるで主役のように映画を締めくくる。主人公と和解してキスに至る場面ではカメラも歓びに華やぐのが素晴らしかった。主人公の娘と恋仲になる米軍の脱走兵役はキャメロン・ミッチェル。マカロニ者としては、後年の『ミネソタ無頼』で見せた渋い演技が印象的だ。本作ではまだ若々しい。

 

 恐らく本作は50年代に量産された「反共映画」のひとつと思われる。1953年と言えば、当時カザン自身赤狩りの密告騒動の渦中にあったはずだ。と考えると、作り手が登場人物たちの行動や個々の描写に託するものがあったと思われる。単なるサスペンス活劇として抜群に面白いんだけど、それだけでは割り切れない、複雑な気持ちに囚われてしまった。

 

  • アットワンダー

 

追悼ロバート・デュヴァル、『ブゴニア』と玉羊羹、心身疲労、とかその他

  • GENERIC

 

 『ゴッドファーザー』のトム・ヘイゲン、『地獄の黙示録』のキルゴア中佐等で知られる名優ロバート・デュヴァルが亡くなった。燻し銀の存在感で名演数知れず。ペキンパー『キラーエリート』、カウフマン『ミネソタ大強盗団』等の狂気じみた役も上手かった。主演作『組織』『バッジ373』あたり再映されないかな。R.I.P.

 

 監督ヨルゴス・ランティモス+主演エマ・ストーンコンビの最新作『ブゴニア』鑑賞。韓国映画『地球を守れ!』(2003年)のリメイク作品とのことだが、オリジナルは未見。※以下は結末に触れている部分がありますので、気にする方は鑑賞後にお読みください。

 製薬会社のカリスマCEO(エマ・ストーン)を、陰謀論に取り憑かれた社員(ジェシー・プレモンス)と従弟(エイダン・デルビス)が誘拐する。彼女を宇宙人だと信じ込む2人は地下室に監禁して「地球から撤退しろと」と要求するが・・・。

 女性指導者と陰謀論者との緊張感あふれる会話劇。『哀れなるものたち』に続き、エマ・ストーンのオン・ステージ状態で、本作では拘束され動きを封じられながらも、スキンヘッドのヴィジュアル・インパクトと犯人と渡り合う堂々たる物腰で映画を牽引する。ランティモスがジャン=パトリック・マンシェット『殺戮の天使』(1977年)映画化を企画しているというニュースがあったけど、エマ・ストーンが主人公エメを演じるならぜひ見てみたと思う。

 映画としては、エマ・ストーンがクローゼットに消えて以降は蛇足という印象を受けた。しかしその後のシークエンス、チープなSF的表現、静かな世界の終わりこそがランティモスの描きたかったヴィジョン、彼の立ち位置とも思われて悩ましい。玉羊羹に楊枝を突き刺して外皮を割るみたいな感覚でヌルっと世界を終わらせる描写は独創的だった。

 

 やっと映画館で新作を見ることができた。『ブゴニア』はテーマは明瞭、演出は力強く、毒気も十分。キャストもハマってるし、話が進むにつれてジャンルがずれていく面白さもある。映画のサイズ感もほど良い塩梅。なんだけど、正直のところあんまり楽しい気分にはなれなかった。

 自分はホラー耐性はあるつもりだし、ブラック・コメディとして演出されているのは重々承知しつつ、拉致監禁、拷問の場面は見ていて辛いものがあった。映画館の大音量も堪えた。自分の心身がかなり弱ってることを自覚してしまった。マズいなこれは。 

 

  • Milan Records

 

『ゴダールのリア王』(ジャン=リュック・ゴダール)

 

 早稲田松竹にて、ジャン=リュック・ゴダール監督・出演『ゴダールリア王』(1987年)鑑賞。約30年ぶりの再見、劇場鑑賞は初めて。劇場はほぼ満席の盛況ぶりだった。

 

 キャノン・フィルムズから『リア王』の映画化を依頼されたゴダールの製作過程を大枠に、シェイクスピアの末裔、ウィリアム・シェイクスピア五世(ピーター・セラーズ)が『リア王』現代に蘇らせる手法を模索する姿を、怒涛の映像コラージュ(映画史への言及、トリュフォーの肖像も)、異様にクリアな音と言葉の奔流で描き出す。主人公が思索に耽りながら湖畔を歩く静的なイメージの映画だと記憶していたが、再見したら記憶よりもずっと饒舌で騒々しい映画だった。チェルノブイリ原発事故(1986年)への言及はリアルタイムか。

 

 全盛期のキャノン・フィルムズ製作のメジャー感からか、『ロッキー』等で有名な超ベテラン、バージェス・メレディスやティーン・スターのモリー・リングウォルド、作家のノーマン・メイラーら異色のキャストが参加している。終盤に映画編集者エイリアン氏として登場するのはウディ・アレン。80年代の全盛期でまだ若々しい。ゴダール自身もドレッド・ヘアの奇怪なファッションで登場する。脇にはレオス・カラックスジュリー・デルピーの姿も。

 中では当時『プリティ・イン・ピンク』等の青春映画で人気だったモリー・リングウォルドが美しく捉えられていて息を飲む。何をやらされてるのかよくわからない不安気な表情も魅力的で、テラスに立つ姿、白馬とともに現れる終盤の姿など、本作一番の見どころは彼女の出演場面と言いたくなるくらいの素晴らしさだった。

 

 劇中にバージェス・メレディスが実在のギャングについて語る場面がある。80年代に渡米したゴダールがコッポラの下で企画していた映画はバグジー・シーガルの話ではなかったかな。確かロバート・デ・ニーロダイアン・キートン主演で企画が進められていたという。

 

 ちなみに初見は1993年、中古VHSを入手して鑑賞した。当時のメモを見ると「思うところがあまりに多すぎて胸が苦しい。」とだけ書いてあった。『リア王』映像化の困難、新興のメジャー映画会社(キャノン・フィルムズ)との協業の困難、恐らく本作をヴェンダース『ことの次第』のような映画として受け止めていたのだろうなと思う。

 

 そういえば、学生時代の先輩が本作を知って「ゴダールも『リア王』を撮ったのか!」と騒いでいたのを思い出した。彼は黒澤明信奉者だったので、『乱』(1985年)みないなものをイメージしていたのかもしれない。本作を見たらご立腹のことだろうなあ。シェイクスピアの子孫って何なんだよ!と。

 

 




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