〈現代史アーカイヴス〉の3作目、ローレンス・ライト『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道』(訳・平賀秀明)を読んだ。全世界を揺るがした2001年9月11日の同時多発テロ、いわゆる9.11について書かれている。
個人的に、9.11は記憶に残っている最初の世界史的な事件だと思う。なぜか小学校へ向かって坂を歩きながら見た青空の風景と合わせて、煙をあげるビルのイメージが記憶されている。ことの重要性はわかっていなかった。それでも夜の7時のニュースで繰り返し見たことは覚えている。テロという言葉もこのときに知った。
9.11のノンフィクションと聞いて最初に気になったのは、物語をどこからはじめるのだろう、ということだった。あまりに大きく、いくつもの人生と文脈が交錯している。はじめかたによって作品の性格は大きく変わってしまうだろう。
多くの人にとって9.11の物語は9月11日に始まった。被害者にしてみれば9月11日が始まりであり、すべてかもしれない。突然始まって終わった無数の物語がある。一方で、犯行グループが掲げたいのは何世紀も前からつづく物語かもしれない。
プロローグは1996年、アルカイダによるアメリカへの「宣戦布告」から。捜査陣営が真剣に受け止めるべきか、そうでないのか困惑する様子が書かれている。当時、その組織の存在は専門家にもあまり知られていなかったらしい。
第1章では、さらにさかのぼって1948年から始めている。
エジプトのアレキサンドリアからニューヨーク港を目指す大型客船の一等船室に、華奢な身体をした中年の作家兼教育者がすわっていた。名をサイイド・クトゥブといった。彼はいま、信仰の危機を迎えていた。「アメリカにむかうごく普通の留学生のように、奨学金をもらい、食べて寝るだけの生活を送るべきか、それとも特別な暮らしを目指すべきか」思案はつづく。「多くの罪深い誘惑に直面しても、イスラムの教えを堅持すべきか、それとも見渡す限りの誘惑にそのまま浸ってみるべきか」と。一九四八年十一月のことだった。水平線のかなたに聳えたつ新世界はすぐる大戦の勝者であり、ひどく豊かで、そして自由だった。一方、あとに残してきたエジプトは貧しさと悲しみの巷だった。(上, p16)
このスタート地点は、本書の中心になる問いと関係している。なぜアメリカが攻撃対象になったのか。その源流をこの場面においている。
アルカイダを中心とする犯行グループ、FBIを中心とする捜査サイド、その両面から群像劇のスタイルで事件の背景にせまっていく。50年におよぶ事件までの経緯であり、手がかりを手にしながらも事件を未然に防ぐことのできなかったインテリジェンスの失敗でもある。どちらの陣営に対しても冷静に書いていて、事件に対する記述だけでなく、家庭などの日常の場面も入れることで、人物を多面的に描こうとしている。
あらためてなぜアメリカだったのか。疑問をもったことがなかったが、言われてみればまったく自明ではない。そして本を読むとさらにわからなくなる。
まず自分がいくつかの思いこみをしていたことに気づく。ビンラディン家はサウジアラビアで大企業を経営する一家で、かなりの資産をもっている。ウサマ・ビンラディンも親の建設会社で働き、資金をもち、テクノロジーにも親和的だった。単純な反資本主義や反テクノロジーということではありえない。物質主義への反対という側面はあるが。
また犯行グループが掲げる理想の統治を目指すのであれば、地理的にも遠く、思想的にも離れている国を攻撃するよりも、近隣の国の改革を目指す方が理に適っている。実際そうしていた時期もあったが、しだいにグローバルな戦いへと変わっていく。
宗教的な対立や、アメリカ軍がなかなか出ていかないことへの反発はたびたび言及している。しかし届かない。主張を広げること、人員を集めることの工夫が重要になり、過激化する。
思い出す一節は、9.11より20年以上前、ソ連のアフガニスタン侵攻のとき、戦場に集まった人たちのことだ。
多くのアラブ青年をペシャワールに呼び寄せた誘因、それはアフガニスタンで勝利をかちとることではなく、死を迎えることだった。殉教こそまさに、アッザームがその著書やパンフレット、ビデオ、カセットテープで売り込んだ商品だったからだ。(上, p191)
華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的損失に打ちひしがれている場所では、そうした誘惑はとりわけ甘美に響いた。(上, p192)
このあたりの宣伝や意味づけのことは、この事件に限らず普遍的にみられることだと思う。苦しい現実を打破するための物語とアテンションを得るための過激化。その側面はあるはず。しかしこれは自分が理解できる型でくりぬいたようなもので、そのまわりにはわからなさが依然として残る。

