登山家のジョージ・マロリーについて知っていたことは2つだけだった。
なぜエヴェレストに登るのかと問われ、"Because it's there."と答えた人。日本では「そこに山があるから」という意訳で広まっている。おざなりな返しのようでもあり、根源的な衝動のようでもある。
もうひとつは、エヴェレストの初登頂へと出発して消息を絶ったこと。マロリーは頂上に立つことができたのか、という登山史上の謎を残した。
ウェイド・デイヴィス『沈黙の山嶺 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト』(訳・秋元由紀、白水社)の冒頭は、マロリーが頂上へと向かったその場面から始まる。
著者のウェイド・デイヴィスは探検家としても活動する人類学者。原題は"INTO THE SILENCE The Great War, Mallory and the Conquest of Everest"。2024年からはじまった白水社のシリーズ〈現代史アーカイヴス〉の1冊目として新版になった。
本書は第一に探検の物語である。1921年、1922年、1924年にイギリスが主導した3回のエヴェレスト遠征を軸として話が進められる。マロリーはそのすべてに参加しているため登場シーンは多いが、彼(だけ)の評伝というわけではない。
当時エヴェレストはまだ未知の世界だった。世界の最高峰があることは知られていたが、正確な地図はなかった。標高8000メートル以上の場所に、人はどれだけ滞在できるのかについての知見もなかった。そうしたなかで、登山、測量、医療、自然科学などの専門家が招集される。いまでいうところの宇宙飛行士に近いかもしれない。
当然ながら既存のルートというものは存在しない。まずネパールやチベットへの入国の交渉が必要になる。見方を変えれば、これはある種の侵略であり、異文化との接触は政治的な問題にもなる。
1921年遠征では、最高峰の位置を見つけるところからスタートし、次に登るためのルートを開拓する。どの方向からアプローチするのか、ひたすら歩きまわって見極める。
吹きつける冷たい風と雪、薄い酸素、慣れない衣食住など、ずっと過酷な道のりを進む。当時は高度順応について知られていなかったし、防寒などの装備も充実していない。読んでいてつらくなる場面も多いが、どうして歩き続けられるのだろうかと先が知りたくなる。
読者は3回の遠征の結末を知っている。1924年にマロリーとアーヴィンは行方不明になり、遠征は終了した。エヴェレストに登頂して帰還するというミッションは失敗に終わった。
行方不明となった2人が頂上にたどり着いたのかという謎は魅力的で、さかんに議論がなされてきた。本書はその点にも言及しているが、本題ではない。彼らや遠征隊が、あるいはイギリスが世界の頂上へと向かった理由とプロセスを描き出すことに注力している。
本書に書かれるのは、探検の成果だけではない。それは読みはじめるとすぐにわかる。エヴェレスト遠征の前、隊員たちの多くは戦争を生きていた。今日、第一次世界大戦と呼ばれる戦争だ。遠征のストーリーのなかに、各人の経歴と戦場の経験についての分厚い挿話がある。これが本書の大きな特徴だと思う。
たとえば、1921年の遠征に測量班として参加したオリヴァー・ウィーラーは、インド軍とともにフランスで戦っていた。
ウィーラーたちは八時五五分に塹壕を出た。敵の対壕に着くまで音をたてないようにきつく命じられていたが、イギリス軍陣地の鉄条網を突破するやいなや両側面から激しい銃撃を受けた。ドゥンダス率いる班が右側の対壕をめざして斜めに進み、ウィーラーの班がもう片方の対壕のほうに急いだ。どちらの対壕にも大勢のドイツ兵がいた。彼らもインド軍に急襲をしかけるチャンスを待っていたのである。恐ろしい乱闘が始まり、闇の中、双方の兵士がナイフや棍棒、銃剣を手に入り乱れて戦った。インド軍は三四人の死者を出したが、敵を完全に追放することができた。ウィーラーはまず負傷者の世話をして、それから絶え間ない砲火を浴びながら夜通しで対壕を埋める作業を率いた。道具はシャベルだけで、塹壕の底に横たわる両軍の死者もそのまま埋めたのである。先ほど自分と組み合った体、困惑し驚いて目を見開いたまま固まった血だらけの顔、死ぬには若過ぎる若者たちのおびえたような死に顔。戦争日誌をまとめた士官は「ウィーラー中尉が自分の班を指揮する際に見せた俊敏さと冷静さに注目していただきたい」と書いた。
生き残った者、生き残ってしまった者、戦争に行かなかった者たちはそれぞれの過去を抱えて、頂上を目指して歩く。
戦場を生き抜いた隊員たちの死生観をあらわす印象的なエピソードがある。1921年の遠征に参加したアレクサンダー・ケラスが道中で死亡した。その葬儀にウィーラーは参加しなかった。しかし、隊員がそれを非難したという記録は残っていない。
これは今日の読者にはやや不自然なことに感じられる。現代の遠征で、葬儀が行われたときにそのキャンプにいた隊員が仲間の隊員の埋葬に立ち会わないなどということはほとんど考えられない。しかし、一九二一年当時の隊員は戦争を通じて死のとらえ方自体が変わってしまっていた。彼らは塹壕の中で一刻一刻、死を生きたのであり、ウィーラーの場合はそれが何年間も続いた。
常に死が迫りくる中、彼らはそれぞれがふさわしいと思うやり方で死に応ずるしかなかった。塹壕の中に礼節があったとすれば、それは一人ひとりの兵士が、自分そして友人や兄弟の死を待つうちに自分の中で作り、周りも尊重した、私的な尊厳の空間にあった。そこに踏み込む者はいなかった。
手紙や手記を読み込み、書かれていないことに注目する。そうして登山家たちの戦後、あるいは戦後の登山家たちの一面を描き出す。これはかなり思い切った書き方で、できる限りの資料を読んだという自信がなくてはできないだろう。
もう1点、登山家の思考という意味で興味深かったことに、酸素ボンベをめぐる議論があった。高所での酸素不足への対策として、1922年の遠征から酸素ボンベの導入が検討される。重さは10キロ以上あり、取り扱いも容易ではなかった。重さ分のメリットがあるかという論点以上に、美学の話がでてくる。酸素ボンベの助けを借りて山を登るのは登山といえるのか、という議論だ。
ここにはテクノロジーへの忌避感やフェアプレー精神など、いろんな観点がありそうに思える。遠征隊のなかでも使う人と使わない人に分かれ、酸素の有効性が示されたあとでも、考えを変える人と変えない人に分かれる。
この話は、序盤の挿話の中にでてくる、第一次世界大戦初期のイギリスが機関銃や鋼鉄製ヘルメットの導入に消極的だったことと、どこか重なって見えた。是非はともかく、現代史でたびたび起きることなのかもしれない。
最後に、本書を読んでいて、参照される手紙や手記の量に驚かされた。そんなに書いていたのか、と。もちろんそれが仕事ということもあるのだろうけど、私的なものも含めてたくさん書いている。メディア状況や死生観ともつながっているように思う。
記録を残した人がいて、それをまとめる人がいる。そのおかげで、100年前のエヴェレストの出来事をいま読むことができる。

